――第29章・神殿ラン――
フロア1,931―――
アツシ、ノノカ、ユズハは、謎の少女が棘の上に着地するのを見た。足から血が噴き出しているのに、本人はまるで気にしていない。
「もおっと人間! あそべる! すてきィ! wOnDerFuL!」
〈エラー。エラー。ニンフを検知。〉
「ニンフ?」ノノカが鼻で笑う。「なんだそれ。地獄かよ」
「愚者を騙す者だ」アツシが言う。「すぐに離脱する」
〈パスを選べ。〉
「……チッ」アツシが舌打ちする。「もう遅い」
〈パスA:ゲームをする〉
〈パスB:逃げる〉
「嫌な予感……」ユズハが不安そうに言う。「Bにしない?」
「そもそもパスって何?」ノノカが眉をひそめる。「余計な演出ばっか」
「縛られる」アツシが言う。「ここからは二択だ」
タイマーが動き出し、ニンフがじりじり近づいてくる。
〈残り時間:0:30〉
「さあ……あそびましょォ」
アツシは彼女の背後の扉を見た。
(罠かもしれない。だが、先に進む鍵かもしれない。どちらでもいい)
(他が依頼を終えているなら、こちらは取り返すだけだ)
アツシはUIへ向けて言う。
「ゲームをする」
「え、本当に?」ユズハが青ざめる。
「恐怖は贅沢だ。狩人にそんな余裕はない」
〈確定。ゲーム開始。〉
ニンフは目の前で止まり、血に濡れた笑みを浮かべた。飢えた目がぎらつく。
「賢い選択ねェ。大好きなゲームをしましょ。――かくれんぼ」
「かくれんぼ?」アツシが聞き返す。
ニンフは背を向け、両手で目を覆った。
「10……9……8……」
ノノカがアツシの腕を引く。
「アツシ。これ、ヤバいって」
「7……6……5……」
「絶対ヤバい!」ユズハも言う。「最後に出たやつ、ニンフのエサ!」
周囲の扉が三つ開く。最後の扉だけは開かない。
「分かれるぞ」アツシが命じた。
三人が散った瞬間、ニンフが数え終える。
「4……3……2……1!」
声が急に低く落ちた。
「狩りの時間」
〈ボス:毒姫 Lv60,000 ドメイン効果:???〉
一瞬で、彼女は一つの通路へ消えた。
◇
カイタンシャ本部―――
マリンは本部の廊下を歩いていた。ふと、血の跡が一室へ続いているのに気づく。
「……?」
眉を上げ、血の筋を辿る。先はアーカイブだった。扉を開け放つと、棚の間にエージェントが倒れており、周囲の棚はほとんど破壊されていた。
「綾瀬……さん……」男が呻く。
「何があった」マリンは膝をつき、脇腹を押さえながら応急する。
「……あの……ガキが……ジュンペイたちを……」
「人間じゃない……それに……仲間を呼び出して……」
男はマリンの腕を掴む。マリンの顔が険しくなる。
「……何を持ち出した?」
「ニュガワ……の……ファイル……」
マリンの目が見開かれた。
「……最悪」
彼女は男を起こした。
「来い。治療に回す。見たものを全部、今すぐ話せ」
二人が部屋を出た、その直後――暗がりの隅から影が一筋、すうっと逃げていった。
◇
フロア1,931―――
ノノカは神殿の回廊を進み、指で壁をなぞった。
(どんだけ古いんだよ……風化しすぎ)
足元へ頭蓋骨が転がってきて、ノノカは一歩引く。
「うげ……あいつになりたくねえ」
そのまま進むと、背後から不気味な呻き声がした。
「……は?」
振り返る。何もいない。だがUIが浮かんだ。
〈ルール:捕まらずにウェイポイントへ到達せよ 距離:300m〉
「ウェイポイント?」
廊下の奥に青い光のマーカーが出現する。呻き声がどんどん大きくなる。
(文句言ってる暇ないな。退避!)
ノノカは首元に手を当てた。
「……ジュゲン操運者:呪いのスキル強化!」
〈バフ付与:現在のパーティメンバーに200%バフ〉
軽く伸びをして、助走。
「ブースト!」
一気に加速し、壁を流れるように駆け抜けてウェイポイントへ到達する。
(ふぅ。余裕――)
「fOuNd yOu!」
「うわっ!」
ノノカが跳ね退く。毒姫が、血まみれの笑みでゆっくり迫ってきた。
「hELLo tHere!」
〈警告! 警告! 敵が射程内。〉
「見りゃ分かる!」
毒姫が飛びかかる。ノノカは転がってくぐり抜け、猛ダッシュ。
〈新ウェイポイント:660m〉
「最悪」ノノカが呻く。「危機の最中に車輪付け替えるな」
次の瞬間、毒姫が背後にいる。壁にぶつかりながら追ってくる。
「Not FaSt eNougH!」
(こいつ、察し悪すぎだろ。私は帰る!)
〈ウェイポイント:300m〉
毒姫が脚を掴んで引き倒そうとする。
「離……せ……!」
「cOmE! jOiN yOur FRIENDS!」
「意味分かんねえけど、お前が殺した連中は友だちじゃねえし、お前も友だちじゃねえ!」
毒姫が甲高く叫び、ノノカを壁へ投げつけた。背中にひびく痛み。だがノノカは跳ね起きる。
「いいよ。喧嘩売るなら買う!」
――しかし、周囲に彼女の姿はない。
「……消えた?」
〈逃げろ ウェイポイント:300m〉
〈join…〉
〈or…〉
〈perish!〉
「キモ」ノノカが吐き捨てる。「行くぞ」
再び加速し、姿を消した。
◇
一方――
アツシは祭壇の間へ入った。中央に光る祭壇。周囲には六体の異形の像。
「狂っている」アツシが呟く。「ダンジョンの連中は神に祈るのか」
アツシは祭壇へ拳を叩きつけた。
「――あいつらがやったことの後で、か?」
記憶がフラッシュする。燃え盛る炎。
(ノノカ……無事でいろ)
〈あら……なにこれ?〉
〈狩人っぽいね、兄さん〉
〈いい体。食べごたえありそう。若すぎない。肉が美味しそう〉
アツシが顔を上げる。
「誰だ。姿を見せろ」
二つの扉が開き、重い足音が近づく。
「兄さん……」
「……裂いて、喰おう」
影から出てきたのは、ホラー映画そのものの化け物だった。
「……引き裂いてやる!」
樹木のような二体。全身に橙の光る目が複数。樹皮の腕と脚。葉の髪。木製の笑みをアツシへ向ける。
〈敵:歩く木の兄弟――シラカバ&カシ〉
「運が悪い」アツシがぼそり。
二体が腕を上げ、歩み寄る。
「消えろ」
アツシは腕を石に変え、シラカバの顔面を殴る。だが効いた気配がない。
「美味い」
〈敵効果:歩く木の兄弟は全てのジュゲン攻撃に対し無敵。射程外になると《木の視界》が発動し、パーティ位置を見失う。〉
(つまり、十分に距離を取れば追跡が切れる……か)
(馬鹿げたルールだ)
カシが振り下ろす。アツシは拳で受けようとして――砕け、下から生身の腕が露出した。
「だが……悪くない!」
アツシは跳んでかわし、祭壇の通路へ突っ込む。
「どこだ、兄さん?」カシが問う。
「――あっちだ」シラカバが指す。「廊下へ入った」
「廊下か……追うぞ」
二体は一斉に走り出し、速度で詰めてくる。
「速い木だな」アツシが息を吐く。「だからティア3なのか!」
〈パスを選べ〉
瓦礫で塞がれた三つの分岐が現れる。アツシは立ち止まり、即座に判断する。
〈パスA:左〉
〈パスB:中央〉
〈パスC:右〉
(経験上、中央は罠。右は大抵ハズレ。なら――)
「左だ」
〈確定〉
兄弟が迫る直前、左の通路が爆ぜ、アツシは中へ滑り込んだ。
「どっちだ、兄さん?」
「左だ」シラカバが答える。「あいつ、狡い」
左の通路には、ワイヤー罠、棘穴とロープ、そして周期的に炎を吐く二対のドラゴンヘッド。
「神殿といえば罠だな」
アツシは身を伸ばし、ワイヤーを跳び、ロープで棘穴を越え、ドラゴンヘッドの下を滑り抜けた。
「容易い。――あの木どもに出来るか?」
案の定、二体はワイヤーの前で止まった。アツシは距離を稼ぐ。
「逃げていく……兄さん……」
「いい」シラカバが低く言う。「妹が処理する。肉を持ってくる」
アツシは宝物庫へ辿り着いた。床には金貨。誰かが漁っている。
「……エルフ?」
ユズハがびくっとする。
「ちょっ、背後から来ないでください!」
「お前は人間じゃない。それと何をしている」
ユズハは腰に手を当てる。
「当然、元を取ってます! 見てくださいよ、この量! 全部高く売れる!」
武器、金貨、鎧、アーティファクトが散乱している。
「確かに価値はある」アツシが言う。「だが、ヒバコ・ミスティックほどではない」
「なにそれ?」ユズハが首を傾げる。「神殿の宝箱?」
「違う」アツシが否定する。「強力な戦利品が詰まった秘宝箱だ。今期の箱は最高位」
「それがあれば俺と部隊は、あの老いぼれ――オマリロ・ニュガワに追いつける」
「誰だっけ、それ」ユズハが首を傾げる。
「昔話だ」アツシは言い捨てる。「そして俺は思い知らせる。どれだけ老いたかを」
ユズハがシジルを拾う。
「え、これも入ってる!」
アツシが一枚掴む。
「見せろ」
読み取る。
〈シジル能力:増幅 バフ効果の上限を500%引き上げる〉
「……完璧だ」
「神殿の後半のために温存しません?」ユズハが言う。
「しない」アツシは言った。「もっといい使い道がある。待っていろ。すぐ分かる」
ユズハはバッグを満杯にする。
「熱量すご……」
そこへノノカが宝物庫へ飛び込んできた。息が荒い。
「ノノカ」アツシが身構える。「何があった」
「ニンフ……」ノノカが吐き捨てる。「……後ろ」
ノノカは二人を見て、目を細める。
「てかさ。私が命懸けで逃げてる間、二人は宝漁りしてたわけ?」
〈hEHehE…〉
アツシが咳払いする。
「今はそれどころじゃない。構えろ」
照明が落ちる。
〈別のゲームの時間! 名付けて……鬼ごっこ〉
部屋が震え始めた。
〈ルール:触れられるな〉
「ルールは見たな!」アツシが叫ぶ。「指一本でも掠らせるな!」
「何も見えない!」ユズハが震える。「掴まないで!」
「来るの分かる」ノノカが低く言う。「アツシ、気をつけろ!」
唸り声。アツシが身を沈めた瞬間、爪が壁を引っ掻いた。
「いい、ノノカ! スキルで位置を掴め!」
「了解」
ノノカが手を伸ばす。
「ジュゲン操運者:追跡強化上昇!」
〈追跡バフ:起動〉
空中に、赤い残像がかすかに走る。ノノカが捉えた。
「天井だ! ユズハ、上!」
ユズハが躓き、爪が落ちてきて紙一重で避ける。
「警告もっと早く!」
ノノカが目を凝らすと、さらに二つの影。
「……ねえアツシ。なんでこの部屋、あと二匹いるの?」
「木だ」アツシが噛み締める。「罠を抜けたか」
〈妹が助けた……〉
〈妹、優しい……〉
「優しいは違う」ノノカが言う。
「むしろ狂ってる!」ユズハが叫ぶ。
「待って、木って――」
ノノカが身を沈める。赤い閃光が頭上を走り、樹皮の輪郭が一瞬見えた。
「そのままだ」アツシが言う。「生きてる木」
「どう勝つの?」ユズハが焦る。「耐久時間も出てない!」
「耐える必要ないかも」ノノカが言う。「ルール、あいつらにも適用されるよね?」
アツシが頷く。
「俺が越えた段差、木は越えられなかった」
「――分かった。触れさせろ。互いに触れさせる」
「どうやって?」ノノカが歯噛みする。
「釣れ。一点に集めろ。背中合わせだ」
ユズハとノノカが視線を交わし、指示通りに寄る。アツシも後退して合流した。
「同時に触れさせろ」アツシが命じる。
「奴らは毎回狙いが分散する。足音で来る方向を読んで飛べ」
「ってことは、今は私に来るんだろ」ノノカがため息をつく。「当たってよ、隊長」
「俺の合図で動け。ノノカ、お前が最後だ」
左右から足音が迫る。
「……待て」
近い。
「……待て!」
さらに近づき――ノノカは二つの樹皮が同時に突っ込むのを見た。
「アツシ、来る!」
「今だ! ユズハ、跳べ!」
二人が跳ぶ。木同士が衝突し、絡み合う。
ノノカだけが中央に残る。
「え、私――」
視界に赤い閃光。首元へ飛びつく影。
「うわっ!」
「動けノノカ!」アツシが叫ぶ。「動け!」
「分かった! ブースト!」
ノノカは後ろへ蹴り出すように跳び、紙一重で回避。
毒姫が、そのまま兄弟へ激突した。
「やだ、やだ、やだぁぁ!」
照明が一気に点いた。三体が震え、硬直する。
〈3体が接触。脱落。〉
白い閃光とともに、三体は消滅した。
〈ボス撃破。次の部屋への通行を許可。〉
背後で扉が開き、松明の列が神殿のさらに奥へ続いている。
「……なるほど」アツシが呟く。「探してる物はあっちか」
「絶対そう!」ユズハが弾む。「行きましょう、チーム!」
ユズハが駆け出し、アツシが続く。ノノカは一度だけ背後を振り返り――それから走った。
彼女は知らない。
暗闇に紛れた小さな影のポータルが、じっとこちらを見ていたことを。
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