――第23章・カワリビトのルイ――
カイタンシャ本社――
社内のあちこちに設置されたモニターが、レイドトーナメントのライブ映像を流していた。
エージェントたちはそれぞれのデスクに座り、更新されるスコアボードに目を走らせている。
その間を、マリンが歩きながら全体の様子をチェックしていた。
(ハヤテ局長は現地のまま……)
(そこまでニュガワに固執するものかしら)
考え事に夢中になっていたせいか、マリンは曲がり角で誰かと肩をぶつけた。
「悪いっす」白髪の若い男が頭をかく。「今日マジで、色んなモンにぶつかりまくっててさ」
男が去ろうとした瞬間、マリンは素早く腕を伸ばして制した。
「あなたは?」
「シオン」男は軽く笑う。「アラカネ・シオンっす」
マリンは細めた目でじっと男を見る。
「その名前、うちのデータベースにはないけれど」
「新人なんで」
「所属カイダンは?」
「エイカイダン。カイダンチョウがスマホいじるのに夢中でさ、隊列から一人いなくなってんのに気づいてないっていう」
「それで、本社に何の用?」
「ちょっと装備取りに来ただけっす」シオンは言う。「すぐ消えるから、そんな怖い顔しないで」
ぺこっと不器用なお辞儀をして、シオンは廊下をぴょんぴょん跳ねるように去っていった。
ちょうどその時、ジュンペイが駆け寄ってくる。
「マリンさん。橘局長は到着が遅れるとのことです。本日のオペレーションは、あなたに一任するよう指示がありました」
マリンは、廊下のあちこちのドアをのぞき込んでいるシオンを顎で示した。
「彼から目を離さないで」
「彼は?」
「知らない人間よ。それが問題。絶対に見失わないで」
ジュンペイは真剣な顔でうなずき、シオンの後を追っていった。
◇
一方その頃――
名取ユカは、地下墓地の通路を迷いなく走っていた。踏みしめるたび、足元には薄い氷が形成されていく。
後ろをついていくルーキーたちは、滑らないように足場を選びながらついていくのに必死だった。
「どこに向かってるんですか、ユカさん?」シノが尋ねる。
ユカは答えない。
「ですよねー……」シノは肩をすくめた。
奥へ進むほど、空気の中に不気味な囁き声が混じり始める。
『引き返せ……』
『汝らの行軍は死への行進……』
『ジ・エンドレスはお前たちを退ける……』
バクオウは思わず爪を噛んだ。
「い、今の聞こえました? 絶対聞こえましたよね?」
「耳を澄ますのは、“現実”だけにしなさい」ユカは静かに命じる。「幻声に構う暇はないわ」
やがて通路が途切れ、大広間へと開けた。
天井まで伸びる柱、壁にびっしりと描かれた髑髏と死の絵画――。
「ひえっ……」バクオウが喉を鳴らす。「なんか、ホラー映画みたいっすね……」
「怯むな」ユカは全体を見渡す。「ここにいるものは、結局のところ他のダンジョンの怪物と変わらない」
バルトが広間の中央を指さした。
「あそこ、誰か座ってる」
中央の椅子には、着物をまとった痩せ細った老人が背を丸めて座っていた。
頭には一切の毛がなく、つるりとしている。
「おお、お客人とは珍しい」老人は、にぃっと笑みを浮かべた。「さあ、座りなさいな」
三人が顔を見合わせ、前へ出ようとした瞬間、ユカが腕を横に出して制した。
「下がって。あの男は見た目どおりじゃない」
「失礼な」老人は不満げに唇を尖らせる。湯呑みをすすりながら続けた。
「わしの住処に入るなり、いきなり人を値踏みとは。じゃあ、わしがあんたをどう評価しても文句はないということかね? 例えば――金髪で頭の固い、氷の魔女と呼んだら。非常に無礼だとは思わんか? 礼儀は徳じゃよ」
「そうね」ユカはあっさり同意する。「ただし、徳が求められるのは“人間”同士の間だけ。ダンジョンの産物には該当しない」
「何が違うという?」老人は目を細める。「わしらも食う。眠る。息をする。答えてくれ、人間よ。何故、そちらは好き勝手にこの家に踏み込み、虐殺場にしていいと考える?」
老人の身体から放たれる圧が、部屋全体をびりびりと震わせた。
ユカが天井を見上げると、そこには無数の骸骨が吊るされていた。
(普通のモンスターではない……)
(知性……それに、悪意がある)
老人はゆっくりと立ち上がり、着物の裾を払った。
「名取ユカ、だったかの」
ユカが構えを崩さないまま、老人は数歩近づいてじろじろと彼女を観察した。
「ふむ。ニュガワじゃないが――レベル七万八千か。大したもんだ。よくそこまで自分の力を研ぎ澄ませた」
「見る目はあるようね」ユカは皮肉を返す。「少なくとも、まだ“目”が付いているうちは」
老人の喉から、ねっとりとした笑い声が漏れた。
「で、答えは? そこの小僧どもを引き連れて、兵隊のように踏み込んできた理由を聞こうか。何があんたに、その“権利”を与える?」
ユカは腰に手を当てる。
「単純な話よ。この場所にいる存在は、二種類しかいない」
「ほう?」
「“助ける側”と、“傷つける側”。あなたみたいな存在は、この言葉を聞いたことないでしょうけど、私たちには一つの決まり文句がある」
指先に冷気が踊る。
「殺すか、殺されるか」
老人はしばし沈黙した。
「カイダンチョウという連中がどんなものか、一度見てみたかったんだがね……正直に言おう。がっかりしたよ」
着物を脱ぎ捨てると、その下には黒銅色のプレートアーマーがぎっしりと装着されていた。
「口だけかどうか、身体で確かめさせてもらおう」
〈規則:迷いの妖精のカワリビト――ミカゲ・ルイを撃破せよ レベル:81,000〉
「八万越え!?」バクオウが悲鳴を上げる。
「下がりなさい」ユカは即座に命じる。「あんたたちが全力を出しても、これは手に余る」
三人は素直にうなずいた。
「そこは最初から分かってますって、ユカさん!」シノが叫ぶ。
次の瞬間、ルイは瞬きする間もなくユカへ突進し、拳で床を叩き割った。
ユカはそれを軽やかに回避し、氷のワシを放つ。ワシは一直線に飛び、ルイの顔面を捉えた。
「レベルのわりに随分動きが鈍いわね」ユカは冷笑する。「思っていたよりハズレかしら?」
続けざまに蹴りを叩き込み、ルイの身体を滑らせて吹き飛ばす。
だが、ルイは床を転がりながらも笑い声を上げた。
「自信に満ちた女だ……いいね。どれほどのものか、もっと見せてもらおう」
その身体が、ぐにゃりと揺れ始める。
骨格ごとねじれ、皮膚の色が変わり、あっという間に――
ユカ自身の姿がそこに立っていた。
「……何の茶番?」
〈領域効果:チェンジリング・ミミクリ
ルイは、自分に攻撃を当てた相手に変身し、その者のスキルセットを完全コピーできる〉
ルイは新たな腕をぐっと伸ばし、ユカの声で楽しそうに笑った。
「女の身体は初めてだな。悪くない」
ユカは即座に腕を振りかぶる。
「ジュゲン魔法士:《霜月礼讃の鷲》!」
氷のワシが飛び出すと同時に、ルイもまったく同じ動きをなぞる。
「ジュゲン魔法士:《霜月礼讃の鷲》」
二羽のワシが空中で衝突し、広間全体を呑み込むほどの氷の爆発を巻き起こした。
部屋中が瞬く間に氷に覆われる。
その余波を物ともせず、ルイはユカ目がけて飛び込んだ。
「他にどんな玩具を持ってる? おお、これは良さそうだ!」
肩が怒張し、背中から八本もの巨大な氷の脚が生えてくる。
「ジュゲン魔法士:《雪雲忘却》《ユキグモ・ボウキャク》」
蜘蛛の脚のような氷の脚がユカへと襲いかかる。
ユカも負けじと跳び込み、同じ技を展開する。
「ジュゲン魔法士:《雪雲忘却》!」
互いの氷脚がぶつかり合い、連続して炸裂する。
広間全体が揺れ、三人は思わず後ろへよろめいた。
「うわっ、この建物ごと吹き飛ぶ勢いじゃん!」シノが叫ぶ。
バクオウは顔を両手で覆う。
「勝ってます? 負けてます? 見たくない、見たくない!」
バルトはあくびをしながら呟く。
「休憩入んないかな……」
ユカは怒涛のコンボを叩き込むが、ルイもすべてを正確に打ち消してくる。
「その子たちの力も見たいなあ」ルイは笑う。「どんなスキルを持ってる?」
「知りたきゃ、その気持ちのまま死になさい」ユカは吐き捨てる。「ジュゲン魔法士:《雪雲忘却・乱舞》!」
氷脚がさらに肥大化し、猛スピードでルイを突き刺していく。
ルイの攻撃が徐々に押され始め――
「ははっ、そう来るか!」
「そこまで引き出すとは、さすがカイダンチョウだね!」
二本の脚で自身を支え、残りの脚で雨あられとルイを串刺しにする。
ルイの氷がひび割れ、肩に一本が突き立った。
「痛いねえ……」ルイは笑いながら肩を見やる。「でも――鋭い」
〈ボスHP:??? → ???〉
(HPバーが見えない……?)
(本当に、普通のボスじゃない)
ルイは氷のワシを飛ばし、ユカを吹き飛ばした。
「もう一つ、面白そうな技があるな。これも真似させてもらおう」
淡い青色の光がルイの瞳に灯り、足元の氷がせり上がり始める。
ユカは即座に振り返った。
「下がりなさい!」
「ジュゲン魔法士:《氷河葬滅》《ヒョウガ・ソウメツ》!」
氷の塊がルイを押し上げ、その下に巨大な氷山が形成されていく。
そこから放たれる霜の衝撃波が、刃のように周囲を薙ぎ払った。
ユカは氷脚を盾にして三人を庇うが、衝撃はあまりに強く、脚は次々に砕かれ、彼女の身体にも無数の傷が刻まれた。
「ユカさん!」シノが叫ぶ。「大丈夫ですか!?」
「自分の技を、こうも完璧に切り返してくるとはね……」ユカは息を整えながら言う。「いいこと。覚えておきなさい。氷を砕けるのは、結局“氷”だけよ」
新たな霜の波が押し寄せてくるが、ユカは氷のワシで受け止めた。
「一つ、見落としていることがあるぞ、名取」ルイが上から声をかける。
「何を言いたいの」
「まさか、私が“一人で”来ているとでも? 知っておいたほうがいい。俺たちは――どこにでもいる」
その言葉と同時に、背後の闇から姿が現れる。
シノ、バクオウ、バルト――そのコピーが三体ずつ。
「えっ……」バクオウは自分のコピーを見て固まった。「なんで、俺が二人……?」
「なるほどね」ユカは悟る。「最初から、そういう仕掛けだったわけ」
ルイが手を叩いた。
「氷の魔女、ご名答! さっきのスケルトンたち覚えてる? あの中に、ちょこっとだけ仲間を混ぜておいたのさ」
「わあ……」シノは額に手を当てる。「見事に踊らされてたわけか……」
「ぼやいている暇はないわ」ユカは鋭く言い放つ。「目の前の敵は、放置すれば確実に被害を出す。戦うしかない。なら、全力でやりなさい――!」
「ジュゲン魔法士:《霜月礼讃の鷲》!」
コピーのユカ――いや、ルイが撃った氷のワシが、ユカを壁まで吹き飛ばした。
ドゴォンッ。
「ユカさん!」
「やばいやばいやばい!」バクオウは半泣きで叫ぶ。「話し合いとか、無理っすか!?」
コピーのバクオウは、腰を落として構えを取る。
「《荒野憤怒の獣牛》!」
たちまち巨大な黒い獣牛へと変貌し、唸り声を上げながら突進してくる。
「待った待った待ったぁぁ!」
バクオウは必死で転がり避けるが、獣牛は壁に角をめり込ませただけで、すぐさま引き抜いて再びこちらを睨んだ。
「やっぱダメじゃん!」
もう一度突進してくるのを見て、バクオウは歯を食いしばる。
「も、もう知らねえ! ジュゲン変性者:《荒野憤怒の獣牛》!」
バクオウも獣牛へと変わり、二頭の牛が角と角をぶつけ合う。
地響きのような衝突音が大広間に響き渡る。
「りゃああああ!」
「ふんッ!」
二体の獣牛は、取っ組み合いながらあちこちに転がっていった。
その頃、シノの前ではコピーのシノが腕を組み、上から下までじろじろと見下ろしていた。
「ほんっと、人間って虚栄心の塊ね」コピーが鼻を鳴らす。「その顔にどれだけ塗り重ねてんの? 成果の出ない努力。進歩してるつもりで何も変わってない。教科書みたいなお手本よ」
シノのこめかみに青筋が浮かぶ。
「今、何て言った?」
「聞こえなかった? 耳も悪いの?」
シノは即座に指を構えた。
「ジュゲン滅者:《指先滅鍵》!」
飛び出したベクトルを、コピーはあっさり指で弾き返す。
「軽すぎ。重みゼロ」
「ジュゲン滅者:《指先滅鍵》」
向き合う形でベクトル同士がぶつかり合う。
「ほらほら、カメみたいな顔してないで、ちゃんと“当てる”努力くらいしなさいよ」コピーが顎をしゃくる。
「ぶっ殺す!」シノは叫び、ほとんど咆哮に近い声で突っ込んでいった。
一方、バルトとバルトのコピーは、互いに手をポケットに入れたままじっと立っていた。
「で」コピーが言う。
「で」バルトも返す。
「どうやってここまで来た?」
「依頼受けて。受かったから。働いてるだけ」
「そりゃそうだ」
「これからどうする?」
「たぶん、ここで殴り合う」
「了解。先、行く?」
「どっちでも」
コピーは手を組み、大剣を形成する。
「ジュゲン闘士:《裂断殲滅の崇剣》」
振り下ろされた大剣を、バルトは一歩下がって避け、自分も同じように剣を呼び出す。
「ジュゲン闘士:《裂断殲滅の崇剣》」
両者はそれぞれ大剣を構え、ゆっくりと周回し始める。
「技、いくつ持ってる?」コピーが訊く。
「二つ」バルトはあくまで淡々としている。「三つ目を練習中」
「いいね。見せてよ」
「どうぞ」
バルトは大剣を持ち上げ、その刃をさらに巨大化させる。
「ジュゲン闘士:《暗鎖巨刃》《アンサ・キョジン》」
そのまま横薙ぎに振るわれた刃を、コピーは滑り込みでくぐり抜けた。
「ちゃんと合わせてあげるよ」
コピーも同じように刃を光らせる。
「ジュゲン闘士:《暗鎖巨刃》」
二人は同時に一歩踏み出し、刃と刃をぶつけ合った。
耳をつんざく金属音が響く。
「腕は悪くない」バルトが短く告げる。
「お前もな」
幾度も打ち合う中で、互いの動きはどんどん精密さを増していった。
――その間にも、壁際で氷の破片が飛び散り、ユカが膝をつきながらゆっくりと立ち上がる。
砕けた壁から光が差し込み、ユカは大きく息を吐いた。
「自分の技を食らう側の気持ちなんて、考えたことなかったわね……これはこれで、貴重な体験だわ」
ルイが歩み寄る。
「大抵の相手なら、もうとっくに死んでるんだがね。口の利き方もうるさいが、技の切れ味も相当だ」
答えを待たずに、ユカは再び氷の蜘蛛脚を叩きつける。
不意打ち気味の攻撃に、ルイはさすがに一歩退いた。
「先の読めない女は好きだよ。やっぱり、リーダーやってるだけある」
ルイは片腕を掲げ、自分の身体から氷の分身をいくつも生み出す。
「……そんなこと、私はできない」ユカは目を細めた。
「俺はね」ルイは楽しそうに言う。「コピーしたスキルを、そのまま使うだけの男じゃない。自分の色もちゃんと足すのさ」
両手を組み、軽く振る。
「この技の名は、《永凍表現》《エイトウ・ヒョウゲン》」
「しっかり目に焼き付けておけ、名取。冬は――これからが本番だ」
◇
カイタンシャ本社――
アラカネ・シオンは廊下を進み、一枚のドアの前で立ち止まった。
プレートには【アーカイブ】と書かれている。
「たぶんここだな」
ドアノブを回すと、あっさりと開いた。
「マジかよ。これだけの組織が、こんなガバガバセキュリティでいいわけ?」
シオンは書棚を指でなぞりながら、一つ一つラベルを読んでいく。
「闘士……魔法士……変性者……回生者……後備者……操運者……滅者……っと。……おいおい、肝心のやつは破棄済みか?」
ふと、隅の方に置かれていた一冊のファイルが目に留まる。
「オマリロ・ニュガワ? 当たりじゃねえか」
それを手に取った瞬間、背後から声が飛んできた。
「失礼。そこにある物は、あなたの所有物ではないはずですが」
シオンの動きが止まる。
「だよな。さすがに簡単すぎると思ったよ。で――何の用?」
ドアのところにはジュンペイが立っており、その背後には数名のエージェント。
皆、銃口をシオンに向けている。
「用件はただ一つです。そのファイルを床に置いて、両手を頭の後ろへどうぞ」
「物騒だねえ」シオンは鼻で笑う。「ドーナツでも添えたらどうだ?」
「カウントは五から始めます。五……四……三……二――」
ジュンペイの目が見開かれる。
シオンの身体が、黒い粘液のようなものに覆われ、瞬く間に暗黒の鎧へと変わっていく。
顔は漆黒のヘルメットで覆われ、そこから漏れる声は、もはや人間のものとは思えない歪んだ音だった。
「……一」
エージェントたちの悲鳴が上がり、同時にドアがバタンと閉じる。
直後――
ドゴォォンッ。
アーカイブ室の中から、すさまじい爆音が響き渡った。
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