第七章 真実の足音
夜の戦略調整室は、まるで時間が止まったかのように静まり返っていた。
ガス灯の明かりが壁に揺れ、廊下の奥へと続く影が、まるで何かを誘うように伸びている。
グレイスは、深く息を吸い込んだ。
目指すは、戦略調整室室長――エドワード・ラングフォード次官補の執務室。
「ここに、何らかの証拠があるはず……」
扉の前に立ち、耳を澄ます。
中からは物音ひとつ聞こえない。
ノブに手をかけると、鍵は――かかっていなかった。
静かに扉を押し開ける。
重厚な書棚、大理石の暖炉、そして大きなマホガニーの机。
空気は重く、どこか鉄とインクの匂いが混じっている。
グレイスは迷わず机へと向かい、引き出しを開けた。
中には、封筒に入った数通の文書と、革張りの帳簿があった。
彼女は手早くそれらを取り出し、目を通す。
1通目:ブラックストーン社からの送金記録
送金日:1860年3月5日
送金者:Blackstone Shipping & Trade Co.
受取人:E. Langford(個人口座)
金額:$5,000
備考:「通商調整支援費」
「……やっぱり。ブラックストーンからの賄賂」
「この賄賂で色々と便宜を図っていたのね」
2通目:使節団襲撃の指示書
件名:特別任務指示書①
対象:J. McGraw(強盗団頭領)Captain R. Vance(海賊船長)
内容:
使節団は3月15日、パナマ鉄道に乗車予定。
同日午後、鉄道区間第3橋梁付近にて襲撃を実行。
目標:批准書の奪取および使節団の混乱誘発。
成功報酬:各頭領に$2,500を送金済。
3通目:軍艦手配の取消命令
発信者:陸軍第12師団長 Ernest Hargrave 中将
宛先:海軍省輸送局
内容:
予定されていた日本使節団護衛の軍艦手配を中止。
同艦は第12師団第52連隊の物資輸送に転用すること。
理由:緊急戦略調整のため。
「パナマで軍艦が来なかったのはこのせいね」
4通目:特別任務指示書②
対象:Captain R. Vance(海賊船長)
内容:
日時・場所:3月18日、パナマ沖合の指定海域(座標:XX°YY′)
目標:使節団が乗船予定の貨客船を襲撃し、航路を遮断。
批准書および外交文書の奪取を最優先。
拿捕後の処理:使節団員は拘束、交渉材料として確保。批准書は即時回収。
報酬:成功時、各頭領に $2,500 を送金済み。追加報酬は批准書の確保に応じて支給。
5通目:宿舎焼き討ちに関する極秘命令
発信者:Ernest Hargrave 中将
宛先:私設部隊指揮官
内容:
日本使節団の宿舎を3月14日深夜に襲撃。
火災を装い、混乱を誘発。
生存者は拘束せず、混乱の中で自然消滅させること。
「……これが、すべての裏付け……」
そのときだった。
コツ、コツ、コツ……
廊下から、革靴の音が近づいてくる。
グレイスは息を呑み、書類を懐に押し込むと、机の下に身を滑り込ませた。
心臓の鼓動が耳の奥で鳴り響く。
カチャ……
扉のノブが回る音。
扉が、ゆっくりと軋みながら開いた。
「……誰かいるのか?」
ラングフォードの声。
その低く、冷たい声が部屋に響く。
彼の影が、ガス灯の明かりに揺れて床に伸びる。
グレイスは机の下で身を屈めながら、静かに移動を始めた。
ラングフォードが机の右側に回れば、彼女は左へ。
まるで、互いに机を中心に円を描くように。
ラングフォードが机の上の書類に目をやり、何かが動かされた気配に眉をひそめた。
「……妙だな」
彼は窓の方へと歩み寄り、カーテンを開ける。
窓を開け、外を覗き込む。
「……誰かがいたのか?」
その隙を突いて、グレイスは机の影から抜け出し、扉へと駆け寄った。
ノブを静かに回し、音を立てぬように扉を開ける。
ギィ……
わずかな軋み音に、ラングフォードが振り返る。
「……!」
だが、グレイスの姿はすでに廊下の闇に消えていた。
彼女は廊下を駆け抜ける。
だが、角を曲がった先に――
「止まれ!誰だ!」
警備兵が二人、銃を構えて立ちはだかった。
「私はグレイス。政治局補佐官よ。父の命令で調整室の資料を確認していたの」
「通行証を見せろ」
「入るときに見せたはずよ」
グレイスは震える手で通行証を差し出す。
警備兵はそれを受け取り、懐中電灯で照らす。
「グレイス補佐官、15分とお伝えしたはずですが?」
「緊急案件よ。父の部屋に戻って報告しなければならないの。今すぐに」
一瞬の沈黙。
「いいわ、あなたたちが同行しても。とにかく、時間がないの」
その気迫に押され、警備兵は顔を見合わせた。
「……わかりました。行ってください」
グレイスは礼も言わずに駆け出した。
階段を駆け下り、政治局のある西棟へと向かっていった。




