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第三章 陰謀の海路

列車が再び動き出した頃、使節団の車両には重苦しい沈黙が漂っていた。


先ほどの襲撃――贈答品を狙った強盗団の奇襲は、誰もが予想していなかった。


贈答品は無事だった。


だが、それは奇跡に近い。


護衛の清之介達が命を賭して戦ったからこそ、守られたに過ぎない。


「まさか……我々が狙われるとは」


団員の一人が呟いた言葉に、誰もが顔を伏せた。


使節団の任務は、ただの外交ではない。


日本の未来を背負い、異国の地で信頼を築くという、重く、そして危険な使命だった。


「贈り物は、我が国の誠意そのものだ。それを狙う者がいるということは……」


「我々の行動が、誰かにとって都合が悪いということだ」


車両の隅で、団長が静かに言った。


その言葉は、団員たちの胸に重く響いた。


清之介は、右肩を押さえながら壁にもたれていた。


顔色は悪いが、目は鋭く、まだ周囲を警戒している。


グレイスは彼の傍らに座り、そっと手を握っていた。


彼女の瞳には、恐怖と安堵、そして決意が宿っていた。


「この旅は、ただの儀礼ではない。命を懸ける覚悟が、必要なのだ」


誰かがそう言った時、車両の空気が変わった。団員たちは互いに目を合わせ、静かに頷いた。


使節団は、ただの旅人ではない。彼らは、国の未来を託された者たちだった。そして今、その未来が、誰かに狙われている。


アスピンウォールの港に到着した使節団は、熱帯の湿気と喧騒の中に身を置いていた。


パナマ鉄道での襲撃を乗り越えたばかりの彼らにとって、港の風景は一時の安堵をもたらすはずだった。


だが、そこに待っていたのは、冷たい現実だった。


「軍艦が……来ていない?」


通訳を介して港の役人に確認した団長の顔がこわばる。


予定されていたアメリカ海軍の軍艦は、何らかの理由で派遣されていなかった。


代わりに案内されたのは、老朽化した一般の貨客船だった。


「これは……どういうことだ。軍艦への便乗は、正式な外交ルートのはずだ」


「申し訳ありません。上からの指示で、軍艦の派遣は中止されたとのことです」


その言葉に、使節団の面々は言葉を失った。


軍艦は、外交使節の安全を保障する象徴でもあった。


それが失われた今、彼らはただの旅人として、危険な海路を進まねばならない。


「これは……いったい.....?」


清之介が低く呟いた。


彼の右肩の傷はまだ癒えていない。


だが、その目は鋭く、港の周囲を警戒していた。


グレイスもまた、何かを感じ取っていた。


軍艦の不在、港の役人の曖昧な態度、そして使節団の動きを監視するような視線。


「私たちは、狙われている?……」


使節団は、やむなく貨客船への乗船を決断した。


船の甲板は狭く、積み荷の間に身を寄せ合うような状態だった。


外交の誇りも、格式も、ここでは通用しない。


だが、彼らは進まねばならなかった。ワシントンへ。国の未来のために。


そしてその船の下――海の闇には、さらなる陰謀が待ち受けていた。


夜。甲板に立ち、海風を受けながら水平線を見つめていると、そっと足音が近づいた。


「軍艦じゃなくて、残念ですね」


金色の髪を夜風になびかせたグレイスだった。


蒼い瞳が月光に照らされている。


「我らの命は、木の板一枚に預けられたというわけだ」


清之介が言うと、彼女は苦笑した。


「でも、どんな船でも……あなたがいれば心強いです」


その言葉に清之介は言葉を失った。


剣一本で異国に渡った身にすぎぬ自分。


だが、彼女の瞳には確かな信頼が宿っていた。


三日目の夕刻。船旅は順調に見えたが、空気にはどこかざらついたものがあった。


見張りが突如、緊迫した声を上げた。


「Sail! Sail on the horizon!」


水平線上に、黒い旗を掲げた帆船が現れた。


骸骨の紋章が風に翻る。――海賊だった。


「まずいな……」


ジョン万次郎が低くつぶやいた。


船長は慌てて帆を張り、逃走を試みる。


しかし相手は軽快な快速船。


瞬く間に距離を縮めてくる。


使節団の船室にいた護衛武士たちが慌てて甲板に駆け上がる。


船長が舵を切ろうとするが、貨客船の速度では逃げ切れない。


「武器を!防御を固めろ!」


だが、船には十分な武装がない。


軍艦ならば砲撃で牽制できたはずの敵が、今や牙を剥いて迫ってくる。


清之介は刀の柄に手を添え、グレイスに言った。


「そなたは船室に戻れ。ここは危険だ」


「嫌よ。あなたを一人にしない」


彼女の声は震えていたが、目は真っ直ぐだった。


海賊船が接舷した瞬間、甲板は修羅場と化した。


鉤縄が飛び交い、黒ずくめの男たちが次々に乗り込んでくる。


銃声、怒声、悲鳴――使節団の貨客船は、まるで戦場のようだった。


「来やがったな……!」


護衛武士の一人、勝之進が刀を抜き、海賊の群れに向かって踏み込んだ。


彼は清之介の親友であり、剣の腕も確か。


だがその戦い方は、清之介とは対照的だった。


「お前ら、まとめて相手してやる!」


勝之進は豪快に笑いながら、海賊の一人の銃を刀の背で叩き落とし、続けざまに柄で顎を打ち抜いた。


敵がよろめいた隙に、もう一人の腹を蹴り飛ばす。


「清之介が一人で頑張ってるってのに、拙者が黙ってられるかよ!」


彼の背中には、清之介への友情と誇りが宿っていた。


「清之介、下がれ!ここは拙者が!」


勝之進が清之介の前に立ち、二人の海賊を同時に相手取る。


刀が閃き、敵の銃を弾き、肩を斬り裂く。


「お前が倒れたら、グレイス殿が泣くぞ!」


清之介は勝之進の背中を見つめながら、わずかに笑った。


「……すまぬ、勝之進」


戦いは激しさを増す。


だが、護衛武士たちの奮闘が功を奏し、海賊たちは次第に押され始める。


そして――


「撤退だ!船を離れろ!」


海賊の頭領が叫び、残った者たちが慌てて船を離れていく。鉤縄が外され、海賊船は波間に消えていった。


甲板には、息を切らした護衛たちと、倒れた敵の残骸。


そして、清之介を支えるグレイスの姿。


「勝之進……かたじけない」


「礼なんていらねぇよ。お前が無事なら、それでいい」


玉虫は積み荷の箱の上に座り込み、汗だくで叫んだ。


「誰か、水!拙者は記録係だぞ!」


「お主何かしてたか?」


護衛たちは笑いながらも、互いの無事を確かめ合った。


だが、誰もが心の奥で違和感を覚えていた。


勝之進は刀を拭いながら、周囲を見渡した。


血の匂いが漂う甲板の上で、彼の目は鋭く細められる。


「……妙だな」


清之介が顔を上げる。


右肩の痛みはまだ鋭いが、その目は冷静だった。


「何が妙なんだ?」


「偶然の襲撃とは思えん。何者かが、我々の行程を漏らしたのではないか……」


勝之進の言葉に、重い沈黙が落ちる。


「しかも、狙いは積み荷だけじゃなかった。この箱……」


グレイスがそっと口を開いた。彼女は戦闘中、海賊の一人が特定の箱を探していたことを思い出していた。


「彼らは、外交贈答品ではなく、文書の入った箱を探していた。批准書がどうしても欲しいみたいだったわ。」


清之介の目が鋭くなる。


「つまり、奴らはただの海賊じゃない。誰かの指示で動いている」


勝之進が拳を握りしめた。


「使節団の動きを妨害しようとしている者がいる。港で軍艦が手配されなかったのも、鉄道で襲われたのも……すべて繋がっているのかもしれん」


そのとき、玉虫が積み荷の陰から顔を出し、震えながら言った。


「えっ……じゃあ、俺たち、ただの旅じゃなくて、なんか……陰謀の渦の中にいるってこと?」


「この旅は、命を懸ける任務だ。敵は、我々の想像以上に近くにいる」


清之介は静かに言った。


護衛たちは、互いに目を合わせた。疑念は確信へと変わりつつあった。


そして、使節団の船は、陰謀の渦へとさらに深く進んでいく――。


海賊の襲撃を退けた後、貨客船は再び静かに進み始めた。


甲板には、戦いの痕跡が残っていた。割れた木箱、血の跡、そして疲れ切った護衛武士たちの姿。


清之介は船室の隅で横になっていた。右肩の傷は思いのほか深く、動くたびに痛みが走る。


だが、彼の目はまだ鋭く、窓の外の海を見つめていた。


グレイスは彼の傍らに座り、静かに包帯を巻き直していた。


彼女の手は震えていたが、決して止まらなかった。


「もうすぐ……ワシントンね」


「そうだ。だが、戦いは終わっていない」


清之介の言葉に、グレイスは頷いた。


海賊の動きは、ただの略奪ではなかった。


背後に潜む陰謀の気配は、船の進路とともに濃くなっていた。


数日後、船はチェサピーク湾を抜け、ポトマック川を遡った。


川沿いの風景が徐々に都市の姿を見せ始める。


「見ろ、あれがワシントンだ」


勝之進が甲板から叫んだ。遠くに、白いドーム――連邦議会議事堂が見える。


使節団の面々が次々に甲板へと集まり、その光景を見つめた。


「ついに……着いたか」


団長・新見正興は、静かに頭を下げた。


この旅の果てに待つのは、条約の批准。そして、国の未来。


だが、誰もが知っていた。ここからが本当の戦いだ。


港には、アメリカ側の迎賓官が待っていた。


礼儀正しく微笑みながらも、その目には計り知れない思惑が宿っている。


清之介は、刀を腰に差し直し、グレイスと共に船を降りた。


「行こう。俺たちの使命は、まだ終わっていない」


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