第二章 剣と銃声の中で
蒸気機関車がジャングルの中を走り抜ける。
窓の外には濃い緑が流れ、時折、鳥の鳴き声が風に乗って車内に届いた。
パナマ地峡を横断するこの鉄道は、使節団にとって初めての陸路移動であり、異国の技術に触れる貴重な体験でもあった。
榊原清之介は、車両窓際に座り、静かに外を見つめていた。
刀は膝上に、視線は遠く。
だが、彼の心は、隣に座るひとりの女性に向いていた。
「このジャングル、まるで生きているみたいですね」
グレイス・エリザベス・グレイは、窓の外を見ながら微笑んだ。
金色の髪が夕陽に照らされ、まるで炎のように揺れていた。
「日本にも、こういう森はありますか?」
清之介は少し考えた後、静かに答えた。
「森はあります。けれど、これほど密で、息苦しいほどの緑は……見たことがありません」
グレイスは興味深そうに頷いた。
「あなたの国の贈り物、どれも美しいですね。漆器も、刀も、屏風も……まるで芸術品です」
「それらは、我が国の誇りです。大統領への贈り物として、最も良きものを選びました」
清之介の声には誇りがあった。
だが、その誇りが、今まさに危機に瀕していることを、彼はまだ知らなかった。
列車が密林を抜け、視界が開けた瞬間だった。
突如、線路上に倒木が横たわっているのが見えた。
運転士のマルティネスがブレーキを引くと、車輪が悲鳴を上げて止まった。
「なんだこれは……?」
その刹那、茂みから黒ずくめの男たちが銃を構えて飛び出してきた。
顔にはスカーフを巻き、目だけがぎらついている。
「手を挙げろ!動くな!」
機関士のロペスが反射的にレバーに手を伸ばそうとしたが、銃口が額に突きつけられた。
「やめとけ、じいさん。命が惜しけりゃな」
マルティネスとロペスは両手を挙げ、ゆっくりと機関室の床にひざまずいた。
強盗の一人が背後から縄を取り出し、手際よく二人の手首を縛り上げる。
「列車は止めた。あとはこいつらを黙らせとけ」
別の男が口を布で塞ぎ、二人を機関室の隅に転がす。
マルティネスの目には怒りと恐怖が入り混じっていたが、何もできなかった。
「よし、次は後方の車両だ。積み荷を探せ」
強盗団は合図を交わし、石炭車の後方の客車へと向かった。
乗客の悲鳴が上がる。
次の瞬間、銃声が轟き、窓ガラスが砕け散った。
「何事か……!」
清之介は立ち上がり、グレイスを庇うように前に出た。
彼女の肩に触れた瞬間、熱い鼓動が指先に伝わる。
だが、今はそれを意識している場合ではない。
「グレイス殿、伏せて!」
彼の声に、彼女は迷わず従った。
だが、その蒼い瞳には恐怖よりも決意が宿っていた。
「清之介、批准書だけは渡せない。日本とアメリカの未来がかかっているの!」
彼女の手には、木箱には収められている批准書が握られていた。
清之介は頷き、刀を抜いた。鞘走りの音が、銃声に負けない鋭さで響く。
「拙者が守る。命に代えても」
言葉と同時に、敵が車内に雪崩れ込む。
銃口がこちらを向いた瞬間、清之介の体が疾風のように動いた。
柳生新陰流――一刀が閃き、敵の腕から銃が弾き飛ぶ。
護衛武士たちも即座に動いた。
「勝之進、玉虫! 贈答品を守れ!」
清之介の声に、大石勝之進が力強く頷く。
「任せろ、清之介!」
勝之進は刀を抜き、敵に突進した。剣が閃き、銃声と火花が交錯する。
最後尾の車両では玉虫が必死に記録を取りながら、贈答品の箱を守っていた。
「異国の鉄道にて襲撃……護衛奮戦す――」
彼の筆が震える。だが、その目は冷静だった。
「ジョン! 乗客を安全な場所へ!」
清之介が叫ぶと、ジョン万次郎が英語で指示を飛ばし、乗客を後ろの車両へ誘導する。
「皆と一緒に、グレイス殿!」
彼女は躊躇わず、木箱を胸に抱えて車両の奥へ駆けた。
だが、背後から迫る影に気づいた瞬間、銃声が再び轟く。
「危ない!」
清之介は反射的に彼女を抱き寄せ、身を翻した。
弾丸が彼の肩をかすめ、熱い痛みが走る。
敵は次の一撃を急ぐが、前装式の銃は弾込めに時間がかかる。
その隙を、勝之進は逃さなかった。
「今だ!」
刀が閃き、銃身を叩き折る。火花が散り、敵の顔に恐怖が走る。
清之介は肩の痛みに歯を食いしばりながら、グレイスを背後に庇い、足元の銃を蹴り飛ばした。
「構える暇など、与えぬ!」
硝煙の中、鋼と鋼がぶつかる音が響き渡る――。
「清之介……血が……!」
「構うな。そなたを守る方が先だ」
彼の声は低く、だが確かな力を帯びていた。
グレイスはその胸に顔を埋め、初めて恐怖ではなく、安堵の涙をこぼした。
「どうして……そこまで……?」
「拙者には使命がある。だが――そなたを失うことだけは、耐えられない」
その言葉に、彼女の心臓が跳ねた。
「勝之進、右だ!」
「任せろ!」
勝之進の刀が唸り、敵の銃を叩き落とす。
ジョン万次郎は素早く縄を取り出し、倒れた強盗を縛り上げた。
「捕縛完了!」
ジョンの声が響く頃、最後の敵が清之介の一刀で膝をついた。
車内に静寂が戻る。
縛られていたマルティネスとロペスは護衛武士たちの手によって解放され。
倒れた強盗たちは縄で縛られて先頭車両へ連行された。
強盗達は護衛武士たちの監視の元、次の停車駅で警察へ引き渡すことにした。
清之介は肩の痛みに顔をしかめながらも、グレイスの手を握った。
「そなたが無事で、本当に……よかった」
その言葉に、彼女の蒼い瞳が潤む。
汽笛が鳴り、鉄道が再び動き出す。
だが、二人の心はもう、元には戻れない――。




