第十章 謁見式と批准書
ホワイトハウスの一室に保護された清之介達。
グレイスの父、国務次官補ジョン・W・グレイの尽力により、清之介達一行はついに大統領との面会を果たすこととなった。
応接室には、ブキャナン大統領と国務長官ウィリアム・マーストンが待っていた。
グレイスの父が一歩前に出て、丁寧に頭を下げる。
清之介は、グレイスとともに証拠書類の入った革鞄を差し出した。
そこには、ブラックストーンとハーグレイヴ中将が仕組んだ陰謀の全貌が記されていた。
パナマでの軍艦手配の出航停止命令、武器の不正流用、海賊と強盗団との密約、そして上院議員ラングフォードへの金銭の流れ——すべてが揃っていた。
大統領は書類に目を通し、眉をひそめた。「これは……国家の根幹を揺るがす重大な問題だ」
その言葉に、グレイスは静かに頷いた。
「大統領、これが真実です。清之介たちは命を賭してこの証拠を守りました」
数日後、ホワイトハウスの大広間で盛大な謁見式が執り行われた。
星条旗が風に揺れ、軍楽隊の演奏が響く中、正使・新見忠興と国務長官ウィリアム・マーストンとの間で批准書が交換された。
式典の最後、ブキャナン大統領が壇上に立ち、力強く演説を行った。
「本日、我が国は日本との友好の証として、正式に条約を批准する。これは両国の未来を照らす光であり、平和と繁栄の礎である」
拍手が鳴り響く中、清之介はグレイスの隣に立っていた。
彼女は淡い水色のドレスに身を包み、凛とした表情で壇上を見つめていた。
その横顔に、清之介は目を奪われた。
「晴れやかな日ですね、グレイス殿」
「ええ。あなたがいてくれたから、ここまで来られたの」
彼女はそっと清之介の袖を握った。周囲の視線を気にすることなく、二人は静かに微笑み合った。
異国の地で、異なる文化の中で育った二人が、同じ志を胸に並び立つ姿は、まるで未来を象徴するようだった。
式典の後、庭園での祝賀会が開かれた。
グレイスは清之介の腕を取り、彼を人々の輪の中へと導いた。
外交官たちが言葉を交わす中、二人はひとときの安らぎを得ていた。
「この瞬間を、私は一生忘れないわ」
「私もだ。たとえ国へ戻っても、あなたのことは——」
言葉の続きを、清之介は飲み込んだ。
別れが近づいていることを、二人とも理解していた。
陰謀の首謀者たちは、証拠が提出された直後、ワシントンを離れ、南部へと姿を消した。
ハーグレイヴ中将は、かつての軍人仲間を頼り、バージニア州の山間部に潜伏。
ブラックストーンは、密かにチャールストン港から船でジョージア州へと渡り、旧南部連合の支持者たちと接触を始めていた。
彼らは、連邦政府の中央集権化に強く反発する州権主義者たちと手を組み、独立運動の火種を撒き散らしていった。
「我々の綿花を守れ。外国の絹や茶に市場を奪われるな」
「条約は南部の首を絞める縄だ。北部の利益のために我々が犠牲になるのか」
そんな扇動的な言葉が、集会や新聞を通じて広まり、やがて民兵組織の結成へとつながっていった。
ハーグレイヴ中将は、かつての軍の人脈を活かし、武器の密輸ルートを確保。
ブラックストーンは、政治家や地主たちに資金援助を呼びかけ、反連邦の思想を広めていった。
彼らの行動は、単なる逃亡ではなく、次なる戦いへの準備だった。
一方、ワシントンではラングフォードが収賄で糾弾され、証拠書類に記された金銭の流れが決定打となって罷免された。
逮捕の瞬間、彼は記者たちに囲まれながらも、「これは陰謀だ。私は嵌められた」と叫んだが、世論は冷ややかだった。
新聞各紙は連日この事件を報じ、
「条約の裏に潜む影」
「南部の亡霊、再び動く」
といった見出しが紙面を飾った。
だが、清之介たちが暴いた陰謀は、ほんの序章に過ぎなかった。
南部の動きは、やがて国家を二分する激流となり、数年後、アメリカは南北戦争という未曾有の内乱へと突き進むことになる。
使節団一行は、ワシントンでの激動を乗り越え、ニューヨークへ向かう旅路についた。
まず、彼らは汽車でワシントンを出発し、ボルチモア、フィラデルフィアを経由してニュージャージー州のサウスアンボイへと向かった。
道中、清之介は車窓から流れる風景を眺めながら、失われた仲間たちのことを思い返していた。
サウスアンボイの港では、河船「アライダ号」が待っていた。
夕暮れの水面に浮かぶ船は、どこか希望の象徴のように見えた。
使節団は船に乗り込み、ハドソン川を下ってニューヨークへと向かう。
船上では、グレイスと清之介が並んで甲板に立っていた。
風がグレイスの髪を揺らし、清之介はそっと彼女の肩に羽織をかけた。
「ありがとう、清之介。あなたがいてくれて、本当に良かった」
「拙者も、あなたと出会えたことを誇りに思う」
二人は言葉少なに、夕焼けに染まる川面を見つめた。
やがて遠くにマンハッタンの灯が見え始める。
しかし、清之介とグレイスの心には、まだ語られぬ未来があった。




