第九章 最後の闘い
屋敷の空気が張り詰めていた。
グレイスの父が外交文書を整理していた書斎の窓に、外の闇がじわじわと迫っていた。
「蹄の音……二十騎以上。来たな」
清之介が窓の隙間から外を見やり、低く告げた。
玉虫は、筆記帳を胸に抱えながら、静かに頷いた。
「記録、これより開始仕候。亥刻二つ(午後十時二十分)、敵襲あり。屋敷、四方より包囲されつつ候。」
その声に、清之介は振り返ることなく言った。
「記録は命を守ってからだ。玉虫殿、無理はするな」
「心得ております」
屋敷の門が破られる音が響いた。
続いて、銃声。
ハーグレイヴ中将の私設部隊が、屋敷を包囲していた。
清之介は刀を抜いた。
名刀「狐影清光」が、月明かりに鈍く光る。
「全員、配置につけ!書類はグレイス殿が持っている。守るべきは彼女とその証拠だ!」
護衛武士たちが一斉に動いた。
勝之進の姿は、もうそこにはなかった。
彼は先の戦闘で命を落としてしまっていた。
清之介はその死を胸に刻みながら、廊下を駆けた。
玄関が破られ、黒衣の兵士たちがなだれ込む。
彼らはマスケット銃を構え、無言で屋敷内に散開していく。
「三人、右から回り込む。二人、階段へ。残りは正面突破だ。玉虫殿は、裏手の動線を確認!」
「了解!」
清之介は先頭に立ち、敵の一人に向かって斬りかかった。
刀が空気を裂き、敵の腕を斬り落とす。
悲鳴が響き、銃が床に転がる。
次の兵士が撃とうとするが、清之介はすでにその懐にいた。
刀が閃き、銃口を弾き飛ばす。
「柳生の剣、侮るなよ」
中庭では、護衛武士たちが激しく応戦していた。
銃弾が飛び交い、刀が火花を散らす。
一人、また一人が倒れる。
玉虫は廊下の柱の陰から、敵の動きを記録しながらも、時折短刀を手に応戦していた。
「敵、屋敷内へ侵入仕候。鉄砲を用い制圧を企て候えど、武士隊の奮戦甚だしく、進退ままならず候。」
清之介は階段を駆け上がり、二階の回廊で敵兵と対峙した。
敵は二人。
一人が銃を構え、もう一人がナイフを手にしている。
清之介は一瞬で距離を詰め、銃を持つ男の腕を斬り落とす。
ナイフの男が背後から襲いかかるが、清之介は体をひねり、刀を逆手にして突き上げた。
「……遅い」
敵は呻き声を上げて崩れ落ちた。
屋敷の奥では、グレイスが父と共に書類を革の鞄に詰めていた。
「清之介は……大丈夫よね?」
「彼は、必ず守ってくれる。だが、急がねばならん」
清之介が階下に戻ると、玉虫が駆け寄ってきた。
「馬車、裏口に到着。御者は信頼できます。行き先はホワイトハウス、父君の指示です」
「よし、撤退開始。玉虫殿、グレイス殿を頼む」
「はい。記録係、護衛任務に移行します」
屋敷の裏口では、馬車が待っていた。
グレイスが乗り込み、父がその隣に座る。
清之介と玉虫が最後に乗り込むと、御者が鞭を振るった。
「ホワイトハウスへ!」
馬車は闇の中を走り出す。
屋敷の背後では、炎が上がっていた。
ハーグレイヴ中将の命令で、屋敷は放火されたのだ。
「……焼き払ったか、」
清之介が呟く。
玉虫は筆記帳を見つめながら言った。
「屋敷炎上、亥刻五つ半(午後十時五十五分)。証拠、無事に守り候。護衛隊、半数討死仕り候。記録係、生き永らえ候。」
グレイスは、鞄を抱きしめながら言った。
「この書類があれば、父を、清之介を、そして真実を守れる」
馬車は夜の街を駆け抜ける。
背後には、燃え上がる屋敷。
前方には、陰謀の中心――ホワイトハウス。
戦いは、まだ終わっていなかった。
車輪が石畳を叩く音が、緊張の鼓動のように響く。
グレイスは革の鞄を抱きしめ、父は無言で前方を見つめていた。
清之介は車内で刀を膝に置き、玉虫は筆記帳を胸に抱えていた。
「ホワイトハウス前に、部隊が展開している可能性がある」
玉虫が低く告げる。
「確認済みか?」
清之介が目を細める。
「先ほど、屋敷を脱出する直前に、偵察の者が戻ってきました。中将の私設部隊が、南門前に待機しているとのこと。マスケット銃装備、十数名。馬車の到着を待っているようです」
清之介は静かに頷いた。
馬車はホワイトハウスの南門手前で止まった。
夜の闇の中、白い建物が静かに浮かび上がっている。
だが、その前には黒衣の兵士たちが、銃を構えて待ち受けていた。
清之介は馬車を降り、鋭い眼差しで周囲を見渡した。
「玉虫殿、グレイス殿と父君を南門の通用口まで誘導せよ。拙者は正面から突破し、兵を引きつける」
玉虫の顔が強張った。
「正面突破など、危険すぎます!」
清之介はわずかに笑みを浮かべ、腰の刀に手を添えた。
「危険だからこそ、拙者が行く。ここで退けば、すべてが水泡に帰す」
玉虫は一瞬、言葉を失ったが、清之介の決意を悟り、深く頷いた。
「……承知した。必ず通用口までお連れする」
清之介は馬車の影から飛び出し、門前の兵たちに向かって一直線に駆けた。
鋼の刃が陽光を弾き、兵たちの視線が一斉に彼へと集まる。
「誰だ!」
清之介は答えず、足を止めた。
一人の兵士が銃を構える。
「止まれ!」兵の怒号が響く。
銃口がこちらを向いた瞬間、清之介の刀が閃いた。
一人目の兵の銃を弾き飛ばし、喉元を一閃。血飛沫が陽光に散る。
二人目が剣を抜くより早く、清之介は踏み込み、胴を斬り裂いた。
「化け物か!」
兵たちが後退するが、清之介は止まらない。
三人目の銃声が轟く。
弾丸が袖を裂いたが、清之介は構わず斬り込む。
刃が肩口から深々と食い込み、兵が絶叫とともに崩れ落ちた。
門前は一瞬にして修羅場と化した。
兵たちの視線が清之介に釘付けになる。
「玉虫殿、今だ!」
その瞬間、玉虫はグレイスと父を促し、南門通用口へと走り出した――。
兵士の一人が気づき、銃を向ける。
「止まれ!」
玉虫は短刀を抜き、グレイスを庇うように前に出た。
「記録係、戦闘行動に移行!」
銃声。
だが、弾は外れた。
清之介が背後から兵士を斬り伏せたのだ。
「行け!」
ホワイトハウス内では、夜の静寂を破るように衛兵たちがざわめき始めた。
「南門に異常あり!武装集団、接近中!」
銃を構えた衛兵たちが配置につき、緊張が一気に走った。
グレイスと父は通用口から、ホワイトハウスの敷地内へと滑り込む。
玉虫も続く。
清之介は最後に柵を越えようとしたが、背後から銃弾が飛んだ。
脇腹をかすめ、血が滲む。
「清之介!」
グレイスが叫ぶ。
「問題ない。行け!」
歯を食いしばり、清之介は柵に手をかける。
だが、背後から複数の銃口が迫り、兵士たちの影が月明かりに伸びる。
清之介は、覚悟を決めた。
――ここまでか。
脇腹の痛みが全身に広がり、指先から力が抜けていく。
グレイスの声も、遠く霞んで聞こえた。
次の瞬間――
轟音が重なった。
悪党たちの銃声ではない。ホワイトハウスの正規護衛兵が、敷地内から一斉に発砲したのだ。
ホワイトハウスの警備隊長が駆け寄ってきた。
「何事だ!」
グレイスの父が身分証を掲げる。
「国務次官補ジョン・W・グレイだ。緊急事態だ。この者たちは我が客人。第12師団長ハーグレイヴ中将の私設部隊が私邸を襲撃し、重要書類を奪おうとした。保護を求める」
警備隊長は一瞬驚いたが、すぐに頷いた。
「こちらへ。安全な部屋へ案内します。各分隊!外の不審者どもを侵入させないように警戒せよ」
清之介は脇腹を押さえながら、玉虫に目を向けた。
「記録は?」
玉虫は筆記帳を開き、静かに言った。
「亥刻五つ半過ぎ(午後十一時五分)、ホワイトハウス前にて敵部隊待機仕候。然れども、突破成り候。証拠書類、無事に相守り候。護衛隊、損耗甚だしく候。記録係、軽傷を負い候。」
清之介は微笑んだ。
「よくやった」
玉虫は頷いた。
「皆が命を懸けて守った記録です。必ず、真実を残します」
ホワイトハウスの扉が閉じられ、夜の闇が静かに後退していった。
だが、戦いはまだ終わっていなかった。
証拠を手にした彼らは、これから政界の闇に立ち向かう。




