第8章 町での人気と料理屋の誘い
森での依頼を成功させてから数日。
美月とリナは町での生活にも少しずつ慣れてきていた。
冒険者ギルドで料理を振る舞った夜以降、ギルドの冒険者たちはすっかり美月の料理の虜になってしまったらしい。
依頼帰りに「またあのスープを作ってくれ」とせがまれ、ギルドの食堂に立つのがほとんど日課になっていた。
「おい、美月! 今日もあの肉のハーブ焼きを頼む!」
「いやいや、粥だ! 胃が疲れてるんだ、あの優しいやつを!」
「俺はスープ! あの滋味深いのをもう一度……!」
食堂はいつも冒険者たちの声であふれ、リナが慌ただしく皿を運ぶ。
けれどその顔は楽しげで、美月もまた心から笑っていた。
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そんなある日。
昼下がりに食堂を片づけていると、見知らぬ中年の男が声をかけてきた。
「あなたが、美月さんですな?」
「はい……そうですが」
男は丸い腹をした恰幅のいい人物で、柔らかい目をしている。
聞けば町で老舗の料理屋を営む店主、バルドという男だった。
「いやぁ、ギルドでの評判を聞きましてね。あんたの料理、噂じゃとんでもなく旨いらしいじゃないですか」
唐突な言葉に美月は少し戸惑った。
けれどバルドは真剣な表情になり、身を乗り出す。
「もしよければ、うちの店で腕を振るってくれませんか?」
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「え……わ、私が料理屋で?」
「ええ。この町でいちばんの食堂にしたいんですよ。ですが最近は味がマンネリでしてね。新しい風が欲しいんです」
リナは目を輝かせて美月の袖を引っ張った。
「お姉ちゃん! すごいよ、お店だって!」
けれど美月は即答できなかった。
料理屋を構えるということは、旅をやめることと同じだからだ。
前世で失った家族を探す――そのために異世界で歩み始めたはずなのに。
「……ごめんなさい。少し考えさせてください」
「もちろん。いつでも歓迎しますよ」
バルドは笑って去っていった。
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その夜、宿の部屋で。
リナは布団に潜り込みながらも、興奮して話を続けた。
「ねぇお姉ちゃん、もしお店を開いたら毎日たくさんの人がお姉ちゃんの料理を食べてくれるんだよ! 素敵だと思わない?」
美月は苦笑しながら、リナの髪を撫でる。
「うん……素敵だと思う。でもね、私にはまだ、どうしても確かめたいことがあるの。前世で会えなかった家族に……もう一度、会えるかもしれないから」
リナの表情が少し陰る。
「……そっか。でも、あたしはお姉ちゃんと一緒にいられればそれでいい」
その言葉に胸が熱くなり、美月はそっとリナを抱きしめた。
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翌日。
いつものようにギルドで料理をしていると、冒険者たちが口々に騒ぎ出した。
「おい、この料理……なんだ!?」
「魚の匂いがする……まさか川魚か?」
美月が作ったのは、この世界の川でとれた白身魚を使った香草蒸しだった。
前世のレシピを思い出し、ハーブと柑橘の果汁を合わせて蒸し上げる。
皿を差し出すと、冒険者たちは夢中になって食べた。
「う、うまい! 魚なのに臭みがない!」
「いや、それどころか香草の香りで爽やかだ!」
「これ、旅の携帯食にできねぇか!?」
次々と歓声が上がり、食堂は大騒ぎになった。
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そんな様子を見ていたバルドが、再びやってきた。
「ほら見なさい! この町でこれほど人を惹きつける料理人はいない! ぜひうちの看板娘に!」
彼の真剣な目を見て、美月の胸は揺れる。
確かに、店を持てばもっと多くの人を幸せにできるかもしれない。
けれど――。
「すみません、やっぱり私は……旅を続けたいんです」
「……そうですか」
バルドは残念そうに肩を落とした。
けれどすぐに笑みを浮かべ、美月の手を握った。
「いいんです。旅を続けても、いつか戻ってきてくれるならそれで。料理は人を結びつけるものですからな」
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その夜。
ギルドの仲間たちと共に食卓を囲む中、美月は自分の心を確かめる。
――私の料理は、人を笑顔にできる。
でも、それを届ける場所はひとつに限らない。
旅をしながら、もっとたくさんの人に食べてもらおう。
そう決意を固めた。
リナが隣で、魚の香草蒸しを頬張りながら笑った。
「やっぱりお姉ちゃんの料理は世界一だよ!」
その言葉に、美月も笑顔で答えた。
「ありがとう。じゃあ、次はどんな人に食べてもらおうかしらね」
皿の上の魚は、灯りに照らされて銀色に輝いていた。
それはまるで、これから続く旅の道を照らす希望の光のようだった。