第1章 転生と最初の食材
――まぶしい。
瞼を開けると、見知らぬ森の木漏れ日が降り注いでいた。
「……え、私……生きてる?」
篠原美月は、スーツ姿のまま草の上に寝転んでいた。
直前の記憶は、深夜の横断歩道。眩しいライトと、トラックのクラクション。
次に目を覚ましたら、この森だった。
「これ……異世界転生ってやつ?」
冗談のように呟くが、頬をつねっても痛いし、足元の草は湿っている。夢ではない。
ふらふらと歩きだした美月は、小さな集落にたどり着いた。
焚き火を囲んで村人らしき人々が肉を焼いている。けれど、それはただ串に刺して炙っただけ。表面は焦げ、噛んでも硬そうだった。
「……あぁ、もったいない」
思わず声が漏れた。
煮込めば柔らかくなるのに。香草で下味をつければ、もっと美味しいのに。
「お嬢さん、旅の人かい?」
村人が差し出したのは、焦げ目のついた肉の塊だった。
「……もしよければ、少しだけ調理させてもらえませんか?」
美月は近くに落ちていた鍋を見つけ、井戸水を汲んで火にかけた。
食材を見せてもらうと、硬そうな赤身肉、しなびた根菜、香草の束があった。
――十分だ。
「まずは下ごしらえから」
美月は肉を適度な大きさに切り分け、塩を揉み込んでいく。
肉の繊維を潰さないよう、指の腹で優しく押す。こうすることで臭みが抜け、柔らかくなるのだ。
次に玉ねぎのような丸い野菜をざくざく刻む。切った瞬間、甘い香りが鼻をついた。
「これ、玉ねぎっぽい……。炒めたら甘みが出そう」
鍋に油を落とし、刻んだ野菜を入れる。
じゅうっと音が立ち、香ばしい匂いが広がった。村人たちが目を丸くする。
「な、なんだこの匂いは……!」
「玉ねぎを焼いただけよ。ここからが本番」
美月は肉を加えて表面を焼き、香草を入れて水を注ぐ。
じわじわと湯気が立ち、煮込むほどにスープは濁りを帯び、旨味を吸い込んでいった。
やがて、ほのかな黄金色のスープが鍋の中で湯気を踊らせた。
「……懐かしい匂い」
思わず胸が熱くなる。
これは、病床の妹が「お姉ちゃんのシチューが食べたい」と笑ったときに作ったあの匂い。
もう二度と味わえないはずだったのに。
スプーンですくってひと口。熱いけれど、野菜の甘みと肉の旨味が混じり合って、体に染み込んでいく。
「さ、召し上がってみてください」
椀によそって差し出すと、村人たちはおそるおそる口に運んだ。
「……っ! 柔らかい!」
「肉がほろほろ崩れるぞ!」
「甘い……こんなに甘いスープ、飲んだことがない!」
次々に感嘆の声があがり、子どもたちは夢中でスプーンを動かす。
その光景を見て、美月の目尻が熱くなった。
「やっぱり……ごはんって、人を笑顔にするんだ」
それは前世でも信じていたこと。けれど仕事に追われ、最後には妹の望みさえ満足に叶えられなかった。
――でも、この世界なら。
料理で、また誰かを幸せにできる。
小さな村の焚き火の前で、美月はそっと決意した。
異世界での新しい人生を、“料理”とともに生きていくのだと。