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現人神の花嫁〜離縁からはじまる運命の恋物語〜  作者: 朱宮あめ


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9


 約束の日が来た。

 太陽がまだ顔を出し切る前に、睡蓮はそっと家を出た。桔梗には黙って。

 桔梗宛の手紙は、文机の上に置いてきた。いずれ気付いてもらえるように。

 いなくなる理由は書かず、これまでの感謝と、もうこの花柳家には帰らないことを書いた。龍桜院家との契約時にもらったお金を、給金として残して。

「……さよなら、桔梗さん」



 ***



 紫色の空に浮かぶ雲はずいぶん低く、近く感じた。

 睡蓮は一歩一歩と歩を進め、薫との約束の場所、花柳の家よりもずっと上の山頂を目指す。

 零水山の頂上付近は、見渡す限り銀杏の黄色で染まっている。

 銀杏の葉の鮮やかな絨毯を進んでいくと、ほどなくして視界が開けた小高い丘に出た。

 山頂だからか、それとも既に日の出の時間を過ぎたのか、太陽は向かいの山の上にある。

 朝焼け色の宿場町をぼんやりと眺めていると、ふと風がざわっと強く吹き、睡蓮の長い髪を弄んで抜けていった。

 その、刹那。

「待たせたな」

 声がして、睡蓮は静かに振り向いた。

 振り向いた先に立っていたのは、天女のように美しい容姿をした男。

 睡蓮が契約を結んだ相手――白蓮路薫だった。

「どうした? 浮かない顔だな。死ぬのが恐ろしくなったか」

 睡蓮の暗い顔を見て、薫はどこか楽しげに目を細めた。

「……そんなことは」

「なら、なんだ? 龍桜院と会えなくなるのが悲しいか?」

 問われた睡蓮は、そうとも違う、と、困惑する。

 そもそも睡蓮は、楪とは一度も顔を合わせたことがないのだから。

 薫の言うとおり、楪とこの先二度と会うことは叶わないということはもちろん悲しい。だが、それよりも睡蓮の心に影を落としていたのは、桔梗の存在だった。

 ――私、いつの間にこんなに桔梗さんのことを……。

 いけない、と睡蓮は目を閉じ、静かに深呼吸をした。

 すべての感情を、心の奥深くにしまい込んでから、ゆっくりと目を開ける。

 再び目を開けたとき、睡蓮の眼差しに迷いはなくなっていた。

「白蓮路さま。最後にひとついいですか」

「なんだ?」

「今まで、ありがとうございました」

「ん?」

 これから殺そうとしている相手に突然礼を言われた薫は、怪訝な顔をして睡蓮を見た。

「本音を言うと私……楪さまと結婚してる間、本当はちょっと寂しかったんです。……でも、そんなときあなたがやってきて、私は楪さまを守るためにこの契約をしました。魂と引き換えでしたけど、私、白蓮路さまと話すの好きでした。私に楪さまを助けさせてくれて、ありがとうございました」

「…………」

「白蓮路さま、あとのことはお願いします」

 白蓮路はじっと睡蓮を見つめ、口を開く。

「……わたしは」

 白蓮路がどこか申し訳なさそうに目を泳がせる。

「……いや、なんでもない。さて。約束どおり魂はいただくぞ、花嫁」

 じぶんはもう花嫁ではないが、まぁもうなんでもいい。

「……さよなら」

 睡蓮は静かに目を伏せた。

 睡蓮を、薫の妖しい煙が包んでいく。



 ***



 その日、睡蓮が庭に出ると、ぱらぱらと雨が降っていた。しばらく日照りの日が続いていたから、恵みの雨だ。生い茂る緑が生き生きとして見える。

 この地にもようやく、雨季(うき)が来たようだ。

 雨音の中、かさ、と乾いた音がした。

 まばたきした瞬間、目の前が白く煙った。

 驚く間もなく、目の前に見知らぬ男が現れる。まるで天から落ちてきたかのような神々しさをまとっている。

 薄紫色の髪は雨の糸を束ねたかのようにきらめき、瞳はまるで宝石を閉じ込めたかのような神秘的な黄金色。

「あなたは……だれ」

 突如として睡蓮の前に現れたその男は、かすかな笑みを浮かべ、睡蓮のいるほうへ歩み寄る。

「はじめまして、龍桜院の花嫁。わたしの名は白蓮路薫だ」

「白蓮路、薫さま……それって、もしかして西の……?」

 白蓮路薫は、西の土地を統べる現人神の名だ。

 どうしよう。なにしにきたのだろう。もしかして、ここに楪がいると思ってきたのだろうか。

 もしそうならば、龍桜院の花嫁としてもてなさなければ。

 こんなことなら、こういうときどうしたら良いのか、手紙で桃李に聞いておけばよかった。睡蓮は狼狽した。

「そう身構えるな。東の神から花嫁の話は聞いている」

「えっ、楪さまから?」

「あぁ。この前会合があったからな。なんだ、聞いていなかったのか?」

「あっ……いえ」

 まずい。楪と睡蓮が契約結婚であることは薫に知られるわけにはいかない。睡蓮は慌てた。

「まぁいい。それより上げてくれ。このままここにいたらずぶ濡れだ」

 そういえば今は雨が降っている。見ると、薫の白い肌を雨の雫が滑っていく。

「すす、すみません!! すぐにお風呂沸かしますから」

「いや、手ぬぐいだけ借りれればいいよ。それよりお茶をくれ。茶菓子もな」

「あ、は……はい」

 ……なんというか、思っていたよりちゃっかりしたひとだ。

 これが、薫との出会いだった。それからちょくちょく、薫は睡蓮のもとへ顔を出すようになった。

 薫いわく、今東の地で会合があり、しばらく滞在することになったのだという。

 薫は来るたび楽しい話を睡蓮にしてくれた。

 睡蓮は密かに、薫がやって来るのを楽しみにしていた。

「今日は、とあるあやかしの話をしてやろう」

 あるとき、薫は睡蓮へ、とあるあやかしの話を始めた。

 そのあやかしは、幼い頃、東の現人神――つまり現在の現人神である楪の父にあたる男だ――に母親を殺され、それ以来ずっと現人神を憎んでいた。母親以外に家族はなく、天涯孤独。

 いつも悪さばかりして、たびたび現世へやってきては、町のひとびとを困らせた。

 そのたびに現人神は幽世へ還したが、そのあやかしは幽世でも弱いあやかしをいじめるようになった。

「そいつは、ただ触れるだけでも怪我をしそうなほどどうしようもない奴だった」

 そして、とうとう幽世も現世も追放されてしまったあやかしは、東の神によって石の中に封印された。

「……まぁ、仕方がないことだったんだろうな」

 薫は開け放たれた硝子戸の向こう、青々とした緑の庭を見ながら呟く。淡々とした、心のない口調で。

「仕方がない……」

 睡蓮は、あやかしの話をじぶんに重ね合わせていた。

 生まれてすぐに親と死別し、孤独に生きてきたあやかし。

 どこかじぶんと通ずるところがある。

 孤児の睡蓮は、親が死んだのか、捨てられたのかは分からない。だが、孤独という点で同じだ。

「なんだか、かわいそうなお話ですね」

 ぴく、と薫が反応する。

「かわいそう……? いや、そいつは散々悪いことしてきたんだ。自業自得だろ」

「たしかに、だれかに迷惑かけるのはいけないことだし、よくないと思いますけど……でも、そのあやかしは寂しくて、ただかまってほしかっただけなんじゃないですか」

「かまってほしかった?」

 呆然とした口調で、薫が呟く。

「はい」

 そのあやかしがなにを考えていたのかは分からない。

 ただいらいらして、本当にひとびとを脅かしたかっただけかもしれない。

 でも、もしかしたら……。

「そのあやかしは寂しくて、だれでもいいからかまってほしくて、でもそのやりかたが分からなくて……悪さをして、目立つ以外に方法が分からなかったんじゃないかな」

「寂しくて……?」

 薫は睡蓮の言葉をぼんやりとした顔で復唱した。

「もし、だれかひとりでもそのあやかしの寂しさに気付いて、寄り添ってあげていたら……そのあやかしは満足して、いいあやかしになれたんじゃないでしょうか。そのあやかしはきっと、ひとやほかのあやかしたちを、信じられるようになりたかったんです。だれか助けてって、だれか僕に気付いてって、ひとりで泣いてたんだと思います」

「……信じたくて……助けを……求めてた……?」

 薫は呆然と呟く。

「……な、なんて。なんとなく、ですけどね。……でも、そのあやかしの気持ち、私は分かります」

 私もそうだったから、と、そう言いかけて、口を噤む。思わず本音を言ってしまった。

「……睡蓮は、たしか大きな商家の長女だったよな?」

 薫の視線を感じ、睡蓮はさらに俯く。

「睡蓮は、家族と上手くいってなかったのか?」

「…………」

 これ以上生家のことを聞かれるのがいやで、睡蓮は無理やり笑みを作った。

「いえ。すみません、へんなこと言ってしまって……なんでもないですから」

 愛された記憶があるということは、厄介だ。

 そのときの光景は脳裏にくっきり刻まれて、死んだって消えてくれない。

 日常のほんの些細なこと――たとえば風の匂いとか、だれかの咳とかくしゃみとか――そんな簡単なもので、子どもの頃の記憶が蘇ってきてしまう。

 思い出したくなくとも。

 愛された記憶がなければ、睡蓮だってこんなにつらくはなかっただろう。

 睡蓮はずっと、かまってほしかった。

 だけど、どうしたら両親がじぶんを見てくれるのか、分からなかった。

 分からなくて、でもそのあやかしみたいに悪さをする勇気も知恵もなくて、だからただ俯くしかなかったのだ。

 それが一生続くと思った。

 そんな将来を考えるだけでもつらくて、だから睡蓮は楪の契約に乗った。

 本当は、現人神の花嫁になりたかったわけじゃない。睡蓮はただ、あの家を出たかっただけだ。

「……睡蓮。ひとつ聞きたい」

「……なんですか?」

 あらたまった眼差しで、薫が睡蓮を見つめる。

「睡蓮は、楪のことが本当に好きか?」

 どくん、と心臓が跳ねた。

「…………」

 ――……どうだろう。

 楪のことは、顔も知らない。

 性格だって、桃李の手紙で書かれていたことしか知らない。

 恋をしていると思っていた。

 でも、薫と話した今、睡蓮は気付いてしまった。

「……私は」

 睡蓮はただ、楪を利用していただけだ。じぶんを守るために。

 ……だけど。

「好きですよ」

 口が勝手にそう紡ぐ。

 たとえ嘘でも、睡蓮は現人神の花嫁だから。

 薫がなにか言いたげに口を開く。しかし、言葉は続かなかった。

 薫はすべてを諦めたようにただ、「そうか」とだけ言った。


 その翌日にやってきた薫は、いつもと少し様子が違った。

 開口一番、薫は言った。

「今日は花嫁にひとつ、報せがあって来た」

 睡蓮はなにも言わず、薫を見つめ返した。じっと次の言葉を待つ。

「お前の夫、もうすぐ死ぬぞ」

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