94.鬨の声
第三者視点。
六日目、日ももう落ちようという頃。
防衛側が拠点を構える森の中は、かつてなくざわついていた。
数千人の部隊が、張り出した根を踏みしめ、獣道を押し広げ、広大なその森を分けて押し入っているからだ。
枝葉がざわめき、踏み潰された地面からは湿った土の匂いが立ち上る。
森の奥からは、虫の群れが蠢く軋む音や、枝葉がざわめく音が聞こえてくる。プレイヤーたちの足音とあわせ、森全体がまるでひとつの生き物のように動き出したかのようだった。
侵攻軍の数千人が足音を響かせながら獣道を押し広げて進むたび、地面が振動し、根や倒木が踏みつぶされる。森の奥から、低いうなり声のような音が響く。
「……モンスターだ」
最初に現れたのはゴーレムだった。硬質な石の体が枝葉を押しのけ、隊列を形成して侵攻軍を待ち構える。森の木々の間に佇むそれらは、まるで森そのものの守護者のようで、侵攻軍の士気を一瞬で萎えさせる。
侵攻軍の頭上から声が落ちてきた。
「なんじゃお前ら、もう降参か?そりゃあ有り難いこったのう」
十三だ。ゴーレムが立ち並ぶ背後にある石造りの見張り台のようなものから、にやにやと侵攻部隊を見下ろしている。
「腑抜けたもんじゃのう。まあ内輪揉めで疲れ果てとるんじゃろ、帰れ帰れ」
馬鹿にする様なその声に、萎えかけていた侵攻軍は一斉に顔を上げて武器を振り上げた。魔法を準備するものもいる。
「はっ。出来るんじゃったら最初からそうしろ!」
十三が手を挙げると、ゴーレムたちは一斉に侵攻軍へ攻撃を開始した。
戦争の幕が、切って落とされた瞬間である。
そして、ゴーレムの背後から無数の虫が蠢き、隊列を組んで突進してくる。体長数十センチの黒光りする甲殻の群れが、枝や根を縫うようにして襲いかかり、足を取られた兵士たちが転倒する。
侵攻軍の間に悲鳴が飛び交う中、ゴーレムの一撃で地面が砕け、やや少数の虫の群れがそれに続く。
森の中は、もはや秩序だった戦場ではなく、自然と防衛側の罠が融合した狂気の迷宮だった。侵攻軍は慎重に足を運ぶしかなく、隊列の前進速度は次第に鈍っていく。
森の奥深くで待ち構える防衛側の姿はまだ見えないが、圧倒的な存在感を放つゴーレムと虫たちが、彼らの行く手を阻んでいた。
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「……おや、こちらは少数なのですね。やはり側面にはそこまで兵を割かないのでしょうか」
十三がいたような見張り台は、複数の地点に作られていた。ここは森の正面から少し離れた地点、側面の浅い場所。
阮明が、おびただしい数の虫のモンスターとともに配備された場所である。体長数十センチから一メートルを超えるまでさまざまな種が、彼の指示ひとつで隊列を組み、森の隙間を縫って進む準備を整えていた。甲殻が光る群れ、節足が互いに絡み合う音、羽のざわめき――森の静寂を切り裂く生々しい音が辺りに響く。
「ただの虫も、目として使うのはうってつけですからねえ」
そこで阮明は、森の虫たちと感覚を同期させ、敵の動きを把握していた。
虫たちの部隊は、森の正面で最大勢力と衝突するゴーレム部隊と比べれば、やや見劣りするかもしれない。
それでも。
「数百程度であれば、早々に粉砕してしまえるでしょう」
阮明に渡された任務は、側面からの強襲および浸透を目論む小部隊の完全な破壊であるが故に。
虫が持つ、森林内での機動力。顎などの瞬間的な破壊力。ゴーレムの持たない強力な毒は、今、最も効果的な武器へと化けていた。
「準備は?」
阮明の声に応えるように、虫たちの体表が微かに光る。威嚇のサイン、連携の確認――人語ではないが、彼らなりの意思疎通が確かに成立している。森の静寂の中で、その小さな動きが不気味な緊張感を増幅させた。
側面の布陣は、数の上では正面のゴーレム部隊に及ばない。しかし、この森を知り尽くした者と、その指示で動く虫たちの連携は、侵攻側のどんな小部隊にも致命的な障壁となる。
深呼吸をひとつ、阮明はゆっくりと前へ歩み出した。木々の影の中で眼下の虫たちが一斉に反応し、待機列を整え直す。あとは、侵攻側の小部隊が側面に近づくのを待つだけだ――森の静寂が、次の戦闘の合図を静かに告げていた。
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「十三さんのところは〜、もう始まったみたいね〜」
「最終調整、終了」
防衛要塞の最前線を守る十三の布陣から少し離れた後方。ここは防衛陣をさらに取り囲むように築かれた石壁が、侵入者の侵入ルートを限定するように配置されていた。壁の内側には二人のプロフェッショナルが待機している。
アラーニェ。彼女は一見、柔らかな物腰でただ蜘蛛の下半身を持つ女性に見えるが、その正体は即死罠製作の天才。触れただけで無力化される罠、見えない仕掛け、複雑な機構の連鎖――どれも彼女の手にかかれば、完璧な殺傷装置となる。
かぬっち。ゴーレム製作の腕は随一であり、他者がどれだけ努力しても追随を許さない。正確無比に組み上げられた守護兵器は、単なる力押しでは突破できない壁を形成していた。
二人の布陣は、それぞれの専門性が最大限に活かされる形で重なり合い、侵入者を確実に排除するための鉄壁の守りとなっている。石壁の前に設置された罠は、足元に触れるだけで爆発的な破壊力を発揮し、ゴーレムたちは侵入者を挟撃する。
森の静寂の中で、準備はすでに整った。あとは侵入者がやって来るのを待つだけだ。
アラーニェは小さく息をつき、視線を巡らせる。漏れ聞こえてくる十三と侵攻軍の衝突、森の奥から漏れる緊張感、風に揺れる葉のざわめき、そして要塞の最奥で静かに時を待つ最大戦力たち――それらすべてが、これから始まる戦局の序章を告げている。
「……私たちの出番は、まだまだ先かしら〜?」
そう言って、アラーニェは再び罠への手入れに手を戻す。しかし穏やかな口調の裏で、その心の奥底では、静かな興奮が芽生えていた。準備が整った今、森全体が戦場となる――その瞬間を、逃さずに見届けることができるのだから。
「楽しみね〜」
「同意」