91.シャル・ウィ・ダンス?
耳が痛いほどの静けさをした森の中。
数十人が組んだある1部隊が、そこを我が物顔で行進していた。
先頭にいるのは、筋骨隆々で額には禍々しい角が生えた、魔族の女性_Random15である。地肌の上に直接乗せているかのように見える、やや際どい鎧を身に着けた彼女は、何もないはずの場所で、ピクリと軽く身動ぎした後に立ち止まった。
「居るな」
部隊には一瞬どよめきが広がるが、しかしおずおずと全員が武器を抜く。
すると、目の前の空間から人影がぬるりと現れてきた。空間が突然実像を結んだような、或いは何らかの溶液から結晶が析出したような現れ方をした人影は、腰から剣を抜いてだらりと立つ。きらきらと輝く、爽やかな緑色の刀身の剣だった。
見覚えがある、とRandom15は思った。
「……ああ、前のイベントで……」
限定装備を交換できるくらいなら、ある程度の猛者であるのかもしれない。
それは全体的に黒い姿をしていたが、服の所々にきらきらと輝く繊細な装飾が見て取れた。その豪奢な笠といい、攻撃を受け止められそうなプレート部分の見当たらない華奢な服といい、オーソドックスな戦闘職のそれではないな、とRandom15は考える。
しかしその立ち姿には隙が見られず、焦れて一歩踏み込んだらすぐにでも身体を二つに斬り分けられてしまいそうだとも感じていた。影のような奴だ、と、Random15は口の中でつぶやいた。激しく主張することはなく、しかしじわりと着いてくる。
「……見ない顔だな。アルファチームか?」
「いいえ」
防衛。そう言うと、その影は身体を低くかがめてその場から消え去った。
「な……」
瞬刻の後、Random15の背後から悲鳴が響く。
数人の首が飛んでいた。その現場を見たパーティメンバーの悲鳴だ。首を飛ばされた者の悲鳴は無い。
「……畜生、頭の切れる奴だ!」
しかしまだ人数の有利はある、と何とか平静を保とうとし、そしてその影の拘束をパーティメンバーに命じるRandom15。
しかし影はするりと抜ける。迫りくる腕はへし折って切り飛ばして、そして1人ずつ着実に倒していった。ねじり上げた腕を千切ってすらいた。
この筋力では、近接はあまりに分が悪い。そう判断したパーティメンバー_すでに生き残っていたのは咄嗟の判断が可能な一部の者達だけだったが_が、魔法を中心に攻撃を構築する。
「チッ」
初めて、その影がまともなリアクションをとった。レンジの差に露骨に苛ついたように、その影は奥へと引っ込んでいく。魔法使いや彼らを守護するパーティメンバーもそれを追い落とそうとする。
Random15も追いかけた。地面を這っている植物に時折足を取られながら、しかし見失わずに。
Random15は考える。この森は、侵攻側が拠点を構えている平原よりもモンスターの種類や数が多くなっているらしい。その影は度々露骨に進路を変えていた。その先には巨大な虫や動く石像が居たから、恐らくモンスターの横槍を避けたいのだろう。
その考えは、間違ってはいない。その影はモンスターたちを避けなくてはならないし、ここは恐らくプレイヤーではない存在たちの密度が最も高い場所だ。
その影を追い詰めている間に、パーティメンバーが数人虫に食われ、石像に潰された。
Random15は気がついた。先程まで数十人規模だった部隊は数人規模になってしまった。自分を除いた殆どのメンバーは満身創痍と呼んでも全く過言ではない状況で、そして地の利は向こうにある。
もはや数的有利は覆された。質的有利にもおそらく乏しい。あれ程の集団戦闘を見せられてしまえば。
影は立ち止まった。Random15は少し距離を取ってそれと対峙した。
「……はぁ、はぁ……」
その影はひどく息切れしていた。肩は激しく上下していて、Random15へ突きつけている剣の切っ先は分かりやすく震えている。……それも数秒と持たず、だらんと下がってしまった。
「……取引を、したいんだけど」
「何だと?」
「……この森から、出してあげるから……」
見逃してほしいなあ。その影は、ヘラリと笑ってそう言った。もはや戦意は無い、そう言わんばかりの顔だった。
「あ、そうだ……こっちの拠点のことも教えてあげよっか?」
「……何故?」
Random15は不快そうに眉根を寄せてそう聞く。影は変わらずヘラヘラと答えた。
「死にたくないし。どうせ勝てないし」
「そうか」
ならば、死んでくれ。Random15はそう言うと、その腕を振り上げた。その手のひらに凄まじい濃度の魔素が集まっていく。そしてその手のひらが影に向けられて_
そして、魔素が爆ぜた。血飛沫が舞った。
「……は……?」
ズタズタになったRandom15が倒れ伏した。
Random15は、なんとか自分の身体を見下ろす。その胸に、爽やかな緑色をした片手剣が深々と突き刺さっていた。
彼女は、なんとかその影を見た。その手に剣は無かった。影の口がゆっくりと動いた。
「【ウィンドカッター】」
再び、血飛沫が上がった。Random15の身体から。深々と刺さったその剣から、確かに魔法が放たれた。
……そう言えば、前回イベントの限定装備には、風魔法が付与されていたんだったか。じゃあつまり、先ほどまでのアレは演技で、罠で……。
Random15は、そんなことを思いながら、失血ダメージで緩やかに倒れていった。弱者のふりをした強者に罠に嵌められたことも、体内から魔法で裂かれたことも、指先からポリゴンに変わっていく自分を見たことも、全て、彼女にとって初めての出来事だった。