83.春風の案内人
「……ん」
四安の安宿で目が覚めた。ログインは無事成功したようだ。
昨日、アルマと偶然の再会をして――彼から、四安を蝕むかもしれない不穏な話を聞いてしまった。その後、強制ログアウト時間に追われるように、ふたり揃って現実へ引き戻された。
きっちり睡眠を取り、食事や支度も済ませて、再びこの世界へ。……でも胸の奥に、昨日の会話のざらつきはまだ残っている。
呪いをかけられた“さる高貴な御方”。痩せ細っている龍脈。シナリオの意思など存在しない世界。
「……はぁ」
気を紛らわせるように窓を開けた。白壁と黒瓦の街並みが、朝靄にゆるやかに沈んでいる。鳥の声、香ばしい油の匂い。
アルマは今日は用事があると言っていた。その代わりに案内人を寄越す、と。四安は広いから、慣れてないと目的の場所に行くのにも一苦労だろう、と。
「どんな人だろ……」
四安の安宿を出ると、朝の空気がひんやりと頬を撫でた。街はすでに目を覚まし、露店が屋台を並べ始め、湯気と香辛料の匂いが漂っている。白壁に赤い瓦の屋根が折り重なり、細い路地のあちこちから、人々の笑い声が響いた。
――集合場所は、大通りに面した石橋のたもと。アルマがそう言っていた。
人混みを縫うように歩いていくと、橋の欄干に小柄な影が腰掛けているのが目に入った。
「……」
少年だ。年の頃は十歳そこそこ。浅葱色の短い着物に、腰には小振りの刀。さらさらした黒髪が生えそろう丸い頭には、左右から小さく突き出た角――死穢種の鬼人族。
彼は私に気づいたようで、ぱっと顔を上げて立ち上がった。
「おーっ!エナさんっスね?俺ァ晴太、アルマの旦那の付き人、下僕、世話役、その他もろもろっス!」
つややかな黒髪を跳ねさせ、胸を張って名乗る少年_晴太くん。
「よろしくお願いします!今日は俺がエナさんの四安案内役っスよ!」
にかっと笑う顔は幼いのに、声には妙に張りがあった。まるで年齢以上に自分を大きく見せようとしているかのようだ。
「えっと……よろしく、晴太くん」
「お任せください!飯もうまいし景色もすげーし、見どころたっぷり案内するっス!旦那のお客人ですからね、おもてなししますよ!」
元気いっぱいにそう言って、彼はくるりと身を翻し、石橋を渡って先導を始めた。
――アルマの眷属、鬼人の少年。
その小さな背中を追いながら、私は少しだけ緊張を和らげた。
――――――――――――
「ここが【大倉庫】っス!」
ギルドが建ち並ぶ大路のほど近くに、その大きな建物はあった。足を踏み入れると、見上げるほどの大きな棚、棚、棚……。そこに、十センチ四方も無さそうな小さな引き出しが整然と並んでいる。
「おお……」
「壮観っスねえ……俺も参番街の大倉庫には行ったことありますけど、こっちは初めてっス。四安のはこんなに大きいんスね!」
「四安の方が人が多いのかな」
「多分そうっス。旦那……アルマさんもそう言ってたっスから」
私の棚は……何処に行けばあるのか、何故かなんとなくわかる。常々思うけど、この『何となくわかる』システムって親切なのか不親切なのかよく分からない。
私は晴太くんを気にしつつ、棚の迷路を迷いなく進んでいく。この巨大な、引き出しまみれの代わり映えしない空間で、こんな小柄な子と逸れたら、もう二度と会えない可能性すらあるな。
「……あ」
「?どうしたっスか?」
私はぴた、とある引き出しの前で足を止めた。ここだ。
手をかざすと、ほんの少しだけ魔力を吸われたような感覚がする。
引き出しがひとりでに開いて、中から一つスクロールが出てきた。
「……預け入れ品のカタログだ……」
どうやら直接倉庫に預け入れられているわけではなく、ここから選択して引き出す仕組みになっているらしい。
「……あれ?ちょっと前に入れた時は、普通に箱に入れてたような気がするんだけど」
「うーん?旦那も似たようなこと言ってましたね。前と違う、って」
ふむ。アプデで変更されたりしたのかな。
「でも旦那は、こっちのほうが便利って言ってましたよ!品物とかをいっぱいしまってたら、そこから探して引き出すのは面倒っスもんね!」
「確かに。ユーザーの声を受けて改善されたのかもしれない」
まあ、実用に困るわけではない……むしろ助かる部分の方が多いからね。
とりあえず、属性魔法系のスキルスクロールと経験のポーションを引き出しておいて……あ。イベント限定装備とかあったな……でも今着てる装備の方が圧倒的に強い。このまま大倉庫の肥やしで。
……剣だけは、たまにブルームのスペアにしたりできそうだし引き出しておくか。
「ありがとう。用事は済んだよ」
「了解っス!じゃあ、ここからは俺が観光案内しますよ!」
――――――――――――
「もぐもぐ……」
「焦ると喉に詰まらせるよ」
「もぐ……!?」
ちょうど昼前のおやつ時。お昼ご飯をがっつり食べるつもりもないかな、ということで、晴太くんがおすすめだと言う胡麻餡の月餅を楽しんでいた。薄い皮の中にはぎっしりとなめらかな胡麻餡が詰まっていて、何となく罪悪感すらある。VRのおやつで太るわけがないけれど。
「ふう、ごちそうさま……腹ごなしに散策してきてもいい?ここで待っててくれればいいから」
「もぐ……わかったっス!」
賑わう通りを歩くと、いろいろなやりとりが耳に入ってくる。ややがめつい値段交渉、子どもにオマケする屋台のおじちゃん、目利きの青年と骨董屋の老人。
「おばちゃん!いつもの解毒薬ちょうだい!」
「悪いねえ、今日はもう売り切れなんだよ。最近、値も上がっててね……」
そのなかで、買い物をしていた親子の会話が耳に入る。私は足を止めて、つい振り返ってしまった。
「なんで値上がりしてるんですか?」と子供。
「さあねえ。宮殿の方で、何かと薬が入り用なんだってさ」
――宮殿。
昨日アルマが話していた「呪いをかけられた貴人」が脳裏をよぎる。
胸の奥のざらつきが、また重たくなった。
少しだけ足早に、晴太くんの元へ戻る。
「エナさん?どうしたっスか?もう行きます?」
「……うん。なんでもない。行こうか」
そう言って歩き出したけれど、心はさっきより落ち着かなくなっていた。




