69.仙境洞天
月琴さんの香りは蓮。
自分のステータスウィンドウから、【混沌なる穢那の領域】を選択。すると、『転移しますか?』という文言が出てきた。
「テレポートサービスか。至れり尽くせりだね」
ありがたく転移させてもらう。一瞬の浮遊感を感じた後に、『転移完了』という言葉が頭に響いた。
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『新たな洞天か。これはまた愉快なものじゃのう』
『開闢以前にも近き混沌。始祖なる力。我らが祭主には属さぬものではないか』
『あらあ……ふふ、女の子ね……でも、祭主にも似た気配がするわ……。念願の、公主かしら?』
『そのような器に収まるようには思えんがのう』
『見れば分かるというものよ。もしや、我らの祭主とはまた異なる理の祭主となるか』
『どうかしら……遊びに行ってみましょう?』
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目を開く。
「……いつぞやの宮殿だな」
なんか、変なムービーが挟まったような気もするが……まあいいか。
と、言うわけで。つい最近に3000回くらい死んで戻ってきたあの広間に転移してきた。つまり、ここが【混沌なる穢那の領域】というわけである。
「……平定した扱いで良いんだ、あれ……」
……しかし、ここはこんなに魔素が濃かったのか。屋敷と比べても異様なまでに濃いぞ。死にまくってたあの時はスキルを剥奪されて【魔素感知】すら無かったから分からなかったけど、今は魔素の気配をビシビシと感じる。痛いくらいだ。
「ちょっと前に、龍穴まで潜ったときみたいな……。もしかして近いのか?」
そうすると、ここはよっぽど地下深くにあることになるが。誰か入ってこれるのか?
「まあここは公開予定無いし、いいか」
そんな幾つも幾つも公開したら運営が立ち行かなくなるかもしれないからね。屋敷の方は瑾瑜と玉帛に任せられるし、そもそも公開しないといけないし。まあ許容範囲に収まってるはずだ。
とは言え宮殿に来たのなら、やることは一つだろう。ズバリ、家探し!
……まあ、私のものですが。
「あの時はいろいろ開けられなかったからな〜」
見える範囲に家具やらがあるわけでもなくスッカラカンだが、剣や……何かのレリーフのような、壁面の装飾なんかは極めてよく出来ている。と言うか、変に触れたら指を切りそうだ……やめとこう。
正面の大扉は空いていて、そしてまた先が見えないほど長い廊下が伸びていた。その廊下の先ではなく、浅い場所の右手にある、木製の透かし窓がついた比較的小さい扉を開ける。
「……は?」
思わず閉めた。もう一度開ける。
「……なんで、洞窟……?」
……とんでもないことに、その扉の先は洞窟であった。小さめなドーム状をしていて、そして湖_サイズ感的には池だが_があり、天井には穴が空いている。そこが天窓のように光を取り込んで、湖に反射していた。
どういうことだよ。
その洞窟は、エリアこそ小さいが奥の方に少し道が伸びている。少し進んでみるが、しかしすぐ行き止まりになっていた。
「えー……なんで……」
さっき考えた通りなら、ここは物凄く地下深い場所であるはずだ。なぜなら、この場所の魔素の濃さは、意図せず龍穴へぶつかってしまったあの時くらいあるから。
つまりは、天井に穴が空いていたところで光が差し込むような程度の深さではあり得ないし、そんな大穴が空いてたら崩落は必至であろう場所でもあるというわけで。
そもそも、宮殿の扉を開けたらその先が洞窟であることすらおかしい。
あまりにも訳が分からない。訳が分からなすぎるあまりに、私は扉を閉めて深呼吸をした。
「なんでこんな、滅茶苦茶なことに……」
「あらぁ、貴女の力ではなくて?」
「へ?」
声がする。慌てて後ろを振り向くと、そこには女の人がいた。
……うん、女の人だ。女の人なんだけど、なんと言うべきか。人と言うにはあり得ないくらいに……全てが規格外に美しい存在がいる。
「……えと」
「そんなに緊張しないでちょうだい?」
するが?
「ごきげんよう。かわいい新入りに挨拶しに来たのだけれど」
「……エナ、です、はじめまして……?」
「ふふ……はじめまして。妾は月琴。貴女と同じ仙人よ」
……どことなくやりづらい。何とは言い難いが、何となく、やりづらいのだ。本当に。
「……うふふ。目覚めたばかりなのね……自分自身の力であるにも関わらず、ひどく狼狽えているわ」
「ええ、まあ……?」
「心配しないでも、此処こそが貴女の洞天……貴女という理が全てを支配する、貴女の領域。妾がどうにか出来るものでは無いわ」
「洞天……?」
そう聞くと、その女の人……月琴さん、と言うらしい。その人は、丁寧に“洞天”なるものについて教えてくれた。
曰く……洞天とは、仙人の住む領域。仙人が新たに生まれると、魔素が極めて濃い場所に、自然に出来上がるものらしい。その姿形は仙人の持つ性質に大きく左右され、私のこのカオスな洞天は文字通り【混沌】なる力に影響を受けたためなのだという。
実際、別の扉の先は草原であったり、また別の扉の先は【穢れた咎の領域】そっくりの朽ちた屋敷であったりと、その滅茶苦茶具合は筆舌に尽くしがたい。
「えーと……つまり?」
「性質としては……此処は迷宮に近しい場所。でも、無闇に人に晒すものではないわ。妾たちもそうしているもの」
「自分の性質を、そのまま映しているから?」
「ふふ、色気の無いこと……。そうねえ、ほんとうの閨に招くのは、一人だけにしておきなさいな」
うふふ、と月琴さんは笑った。色気て。求めてたの?そんなあられもないことを……そんな……。
「……ご、ご忠告どうも!」
「うふふ、ああ……かわいらしいのね。ならもう一つ、お姉さんから忠告」
そう言うと、月琴さんは私に近づいて……抱きしめるように、私の頭をそっと撫でた。頭が柔らかいものに沈んで、それから、異国情緒を感じるような、懐かしさを想起させるような、不思議な匂いがして……。
「女は目を伏せて顔を隠すの……それは贈り物。大切にしなさいね」
「……ありがとう、ございます……」
私の視界が陰る。いつの間にやったのか、私の頭には大きく豪奢な笠が被せられていた。もし雨が降っても一切濡れずに済むだろうと断言できるほど大きい。少し頭を揺らすと、腰と同じくらいの高さまで垂れている、2つの大きな垂飾がしゃらしゃらと音を立てた。不思議と重さは一切無い。
角は……どうなってるんだかさっぱりわからないが、どう考えても笠にめり込んでいるはずなのに何の違和感もない。そういうものなのかもしれない。
「それじゃあ、ごきげんよう。次は……お茶でもしましょう?」
「……え?ええ、また……」
そう言うと、月琴さんは溶けるように消えてしまった。……どう考えても、仙人としては格上……なんだよね、多分……。
「と言うか、背、高くない……?」
2メートルはあったろ。