59.賽を振る神々
第三者視点回。
「……御前も、酷なことをするのですね」
真っ白な装束に身を包み市女笠を被った女が、ある一点を見つめてつぶやく。顔立ちは見えないが、纏う雰囲気は人ならざる其れであった。
「……【歳王】よ。これが王のすることでしょうか?」
「はっは!残念ながら。【扶桑樹】よ……これは“歳”の趣味である故」
「……はあ……」
女の後ろで不意に空間が凝集し、冕袞で装った男がぬるりと現れる。男が笑い声を上げると、冠の玉飾りも同調してさらさらと音を立てた。
二つが見つめる、ある一点。そこには、恐ろしいほどの回数を死んでは広間で目覚める、彼女の姿があった。
「……わかっていますか?彼女が何度死んだのか」
「1000は無かったと思うが」
「……958回です。たった今の死を含めて」
言葉に一切の悲壮感は無い。ただ、【扶桑樹】と呼ばれた女は呆れていた。この【歳王】なる男の楽しみはまるで理解できない……と。
「……ただの少女が、幾度も死に続けることを見るのが娯楽とは。【華】は随分な土地でありますね」
「おお【扶桑樹】よ、なんと悲しいことだろう。我と【華】の民の繋がりはもはや薄れ切っている。精々刺繍の題材にされ、年明けに名を呼ばれ、書物に記される程度の存在よ」
「……それは愉快なことです。【瑞穂国】の民であれば、毎朝わたくしに手を合わせ、少女の死に様を娯楽にするようなことは忌避しますから」
「死に様に関しては我個人の趣味と言っているだろう」
「……それがどうかと言っているのですが」
はあ、と女は小さくため息をついた。男は耳ざとくそれを聞くが、噛み殺したような笑いをあげるばかり。
玉飾りが疎らに鳴った。
「そもそも……御前は何故ここに?てっきり取り込まれたものかと」
ひっそりと衣擦れの音がした。
「……わたくしにも、わかりかねるのですが」
その顔立ちが隠れて見えない彼らは、しかし確かに目を合わせた。
「……どうやら、この方が都合が宜しいようです」
「【死穢】の言うことには、か」
「……曰く、『あんま興味ねえな……』と」
「ぐ、っくく……そうか……」
玉飾りが音を立てる。女は呆れたように肩をすくめた。
「……冠を脱いだらどうです?感情が丸出しで、端無いですよ」
「残念ながら。人は皆、我が冕袞を纏ったものと定義付けている」
「……御前の身も難儀なものですね」
「我は王たる故にな」
はあ、と幾度目かのため息をつく女。
「……あれほど死に続ければ、諦めても致し方無いものでしょうに」
「はっは。御前はあれが諦めると思うか」
「……彼処は、時の流れが歪んでいます」
「うむ。彼処での千年は現実の瞬刻に過ぎぬ」
「……彼処は、空間の形が歪んでいます」
「うむ。激情に、耽溺に、容易く歪められる」
女は……何処か哀れむような響きを以て、語る。
「……あれは、自らを奪われています」
「正確には、保てなくなったのだ」
男は愉快そうに語る。
「元より、あのような身のものが、あれほど聖浄な気を持てる筈が無い」
「……その心は」
「あれは生まれこそ実に矮小であったが、その実凄まじい穢を抱えて生まれていた」
「……矛盾をはらみ生きた、影……」
「うむ。何の因果か聖浄な気を操る術を手にしてしまったが、その過程であれが何をしたというわけでもない」
「……偶然にしては、道を逸れ過ぎていますが」
「御前の【死穢】も大概であろう。ただし、穢_侵蝕と聖浄の二つを身に宿す存在というのは、そう容易く赦されるものでは無かった」
「……でしょうね。わたくしのように、生と死を深く掌握した【死穢】もまた、きつい枷を与えられました……あれは、真正面から捻じ伏せてしまいましたが」
「御前も【死穢】も、気に食わぬことの一つや二つあろうて。とくに【死穢】だ。あれも御前の試練をくぐり抜けたのであろう?」
「……くぐり抜けた、というか。気が付いたときには越えていた、というか」
ほう、と女が息を吐く。男は言葉を続けた。
「まあ、言ってしまえば、あれも……辛うじてその理不尽な存在を赦されていたに過ぎない」
「……辛うじて?」
「起源を持たず、無二の存在であり、生まれ落ちた場所から出られない。幾つもの枷を嵌められて、やっとその穢多き肉を赦されていたに過ぎないのだ」
「……と、言うことは」
「あれが成そうとしていることは、すなわち枷を破壊し真なる自由を勝ち取らんとする大業だ。我らにもなし得なかった。【死穢】すらも、くぐり抜け誤魔化しているに過ぎない枷を、あれは破壊しようとしている」
「……それ、は……」
「ああ、あれは枷の役割を果たしていたその肉を、あっさりと捨て置いて行こうとしている。そして御前も思う通り_」
男はさらに、声へ愉快そうな響きを滲ませる。おかしくて堪らない、とでも言いたげだった。
「そのようなことは、確実に大いなる神が赦さないであろうと。故にこのような悪趣味な試練に放り込まれている訳だ」
「……もっと正確に言うならば、御前の介入によって悪趣味な試練に放り込まれているのですがね」
「それは致し方無い。むしろ有難がられるべきだ。一切の抵抗も出来ず問答無用で潰されるところであったあの矮小な影に、一つ機会をくれてやったのだから」
「……その矮小な影は、きっとすぐにでも諦めてしまいますよ」
男は、もう腹を抱えて笑いだしてしまいそうだった。ただ、其れの名が王であったために、男は倒れ込むのだけは踏みとどまったようだが。
「……いくら御前の悪趣味さを良く知るわたくしであっても、流石に悪趣味が過ぎると思っています」
「ふっくく……その心は?」
「……常人に、成功し得ない試練を課すなど……」
「そうか。やはり成功し得ないと」
「……そうでしょう?」
女は不快さを滲ませた声で男を詰る。
「何、心配することは無い。あれは成功する。我は確信を持っている」
「……何故」
「逆に問おう。御前は何故、あれには不可能だと?」
「……時間の感覚、空間の感覚、自己の自覚。全てを奪われた存在が、何を為せるというのでしょう」
「分かっておらぬか」
とうとう男は、全身を震わせ笑いはじめた。
「全てを奪われて尚、あれはそこに居るではないか」
彼らが見つめるその彼女が、扉を強く叩く。
「……何故……」
市女笠がひるがえる。女の顔が覗く。この世のものならざる美しさが垣間見える。
何よりも深い、蒼い目が、死に続ける彼女を突き刺していた。