57.試練開始
はっ!
……え、どこだここ。
今、私が目覚めた場所は……恐らく何処かしらの宮殿なのだが。
「……いつもの屋敷ではない、よな」
どうやら私は無事に肉体を手に入れたらしい。身体を動かしても節々が凝り固まって痛くなることはなく、声を発しても声帯が引き攣れてしまうこともない。何より、心臓の拍動を感じる。
「あー、生きてはいる……」
しかし、今の状況はどう考えてもおかしい。床は綺麗な板張りで、ところどころ腐って抜けているようないつもの屋敷とは大違いだ。ろくな光源も無いはずなのに明るく、何処も彼処もぴかぴかに磨き上げられている。
私が立っているのは、多分、何かしらの広間。四方に大きな扉があって、正面のものが一番大きい。
それに……この宮殿には、なんというか……すごく妙な違和感がある。有るべきものが無い、みたいな……。
うーん……普通に屋敷で目覚めるつもりだったんだが。何が起きてこうなったんだ?
「とりあえず、私の状態を確認しようか」
おいで〜、ステータス。
――――――――――――
未定義。
――――――――――――
「……はい?」
……バグったかな?もう一回、確認してみようか。
――――――――――――
未定義。
――――――――――――
「どういうことだ……?」
ステータスが確認できない。やっぱりバグなのか、それとも時間経過で何とかなる?
「……考えてもどうにもならないな」
仕方が無い、この空間だけでも情報を得よう。鑑定……あれ?
「え、あれ?鑑定……できない?」
じゃあ、影操作。……ダークスピア!念動!弱毒生成!内丹!魔素操作!
……なにも、できない。
「待ってくれ、流石にスキルすら使えないのはちょっと……想定外が過ぎる」
『あは、滑稽だね』
スキルが使えない……と言うか、魔素を感じ取れない。感じ取れないから動かせない、リソースとして消費も出来ない……そういうこと?
「……この状況じゃ、歩き回るのも厳しいぞ……」
『でしょうねえ。名前も姿も力も奪われたんだから』
「無闇にやっても打開は期待できないだろうし……」
『アハハ!……ねえ、聞いてる?おい』
「さて、これから……ん?誰?」
あれ、なんかやかましいのが居るな。くそ……魔素を感じ取ることも出来ないから、コイツが強いのか弱いのかもよくわからない。
『はぁ?あのさ、何も持ってない雑魚の分際で私を無視するの、どういうつもり?』
「無視も何も、気づかなかったんだけど……声が小さかったんじゃない?」
『ハァ!?意味分かんない』
「……同感だよ」
きゃあきゃあと騒ぐ……なんなんだ、こいつ。誰なのか聞いたのに結局何も喋ってくれなかった。情報があまりにも無さ過ぎる。
姿も見えない。ただの意識体なのか、それとも遠くから私に干渉しているのか、それすらも分からない。
現状でも分かることとしては、こいつのプライドが極めて高いということ、他者を嘲笑するのが好きらしいということ、それと……
……私と全く同じ声をしている、ということ。それだけだ。
「お前は何者?」
『考えてみなよ。まさかアタマまで失くしたわけじゃないでしょ?』
「チッ。考えてみたけど、私の声でバカっぽい喋り方をされるのが腹立たしいってことしか分からなかったな」
『アハハハッ……本当にアタマ失くしたとはね。ねえ、分かってる?今のアンタはさあ……』
瞬間、全身にピリッと妙な感覚が走る。……これは何らかのスキルなどではない。
……本能に起因する、悪寒。
『私に歯向かって良いような存在じゃないの!!!!!!』
真正面の大扉が、盛大な音を立てて開いた。私の本能は何を察知したか、腕を身体の前に組んで防御の姿勢を取る。
その一瞬後。
扉の先を視認する。扉の先には長く伸びる廊下があった。私が今いる広場よりもやや薄暗くて、あまりにも長いために先は見えない。そこから、見慣れた黒い槍が飛んできて……防御姿勢ごと、私の心臓を貫いた。
『あなたは【影禍】の闇に貫かれた』
『リスポーンしますか?』
『受理しました』
……えー。
「お前、本当に何なの……」
『アッハハ。じゃあ逆に聞くけどさあ、アンタって誰?何なの?名前、言える?』
「え、私は……」
名前を言おうとして、そして口が動かなくなった。
「私の名前は……」
口を物理的に封じられたわけじゃない。
「……思い出せない」
思い出そうとしても、そこに何も無い。
「……無い」
私の頭には、私の名前が、どうやら存在していないようだった。
『_アハハハハハハハ!!!分かったあ!?今のアンタはねえ、文字通り何ものでもないの!』
「ふーむ……」
『アンタはね、ただのアンタ!名前も力も姿もぜ〜んぶ奪られたの!』
「私は、ただの私……」
『どお!?どんな気持ち!?頑張ったのにね〜!?ぜ〜んぶとられておしまいになったの、どんな気持ちなの!?!?』
……コイツが言っていることに、ハッタリの類は含まれて無さそうだな。
そういえば、違和感の正体が一つ分かった。こんなにも磨き上げられている床板に、私の姿は一切映っていない。天井や壁の装飾はくっきりと映り込んでいるのにもかかわらず、だ。自分で自分の体を見下ろすことはできるから、恐らく別の物体を通して自分の身体を認識することができなくなっているんだろう。
あー……確かに、自分の外見を定義するには鏡や写真を頼らなくちゃいけないわけで。それを奪われれば、まあ……何ものでもなくなったと言っても過言ではない?正確には、自分の容姿を証明できなくなった、だけど。
なるほど、つまりあのステータスに表示された“未定義”の正体は、本当に私という存在が未定義なものになってしまったということか。
「……」
開きっぱなしの大扉を見やる。
「あー……この先にお前がいるって認識で、とりあえず合ってる?」
『……なあに、私に会いたいの?会ってどうしたいの?取り返すの?アンタ、自分のやってきたこと全部なくなったんだよ?』
「質問に質問で返すな、バカ。この先にお前がいるってことで合ってるか聞いてるんだが?」
『ハ?バカって、アンタ私に刃向かえないって分かってるの!?』
また、見慣れた黒い槍が飛んでくる。私は軽くしゃがんでそれをかわした。結構速いが、まあ見慣れた速度だからね。
『は……??』
「おいバカ、私は言ったぞ、質問に質問で返すなって。この先にお前がいるのか?」
『……ハッ。そうだけど?だからって、アンタが来れるの?何ものでもなくなったくせに。アタマ以外全部取られちゃったくせに』
「そうか。なら問題無いね」
クラウチングスタートの姿勢を取って……一気に廊下へ駆け出す!
長く広い廊下へ一歩踏み出した瞬間、あらゆる方向から見慣れた黒い弾が飛び出してきた。無視して駆け抜けようとするが……かわしきれず頭をグシャッと潰される。
『あなたは【影禍】の闇に潰された』
『リスポーンしますか?』
『受理しました』
ふむ。これで三度目だ。もう一度クラウチングスタートで駆け出す。今度は飛び出してきた弾も全部かわしきった。
「覚えゲーなのかな?」
『……何なの、アンタ……』
「なら、何も、問題は無いね」
幸いにも、頭は残っているのだから。