48.打草驚蛇
第三者視点・続々
打草驚蛇……藪をつついて蛇を出す
逃げられない。そう確信してからの、彼らの行動は素早かった。
即座に戦闘態勢に入り、じっくりとそのキョンシーを観察する。わずかでも情報を持ち帰ってやろう、と。彼らは幾度も「逃げられない」状況に陥ってきたからこそ、腹をくくるのも一瞬だった。
そんな彼らの空気の変化を感じ取ったのか、キョンシーもぴたりと足を止めた。ただし、ぼんやりとした立ち姿は解かない。腰に差した剣に手をかけることもなく、格闘の構えを取るでもなく、魔法を用意するでもなく、そこに立っていた。
じりじりとした膠着状態が続く。
「……貴様も死体であるのなら。【ファイアボール】!」
最初に均衡を破ったのは少佐の火属性魔法であった。キョンシーはそれを事も無げに手で受け止める。
……が、しかし。
「効いてるねー。んじゃ【投擲】」
キョンシーの手は確かに焼けただれていた。先ほど踏み潰された罠に比べれば、とんでもない有効打だと言える。
ニコラボが好機とばかりに火炎瓶を【投擲】するが、こちらはぶつかる前にキョンシーがつかみ、あっさりと投げ返してしまった。
とは言え、狙いも何もあったもんじゃない火炎瓶は明後日の方向へ飛んでいき、彼らは回避行動を取る必要もなかった。
「えー……」
「物投げるのはあんまよくねえか……な、!?【ハイパーガード】!」
しかし、今度はキョンシーが「自分の番だ」とばかりに大きく一歩踏み込む。勢いのままにニコラボへ殴りかかるが、そこはふぁらんくすがしっかりと大盾で受け止めた。
ひどく鈍い音が響く。キョンシーは続けざまに大盾へ蹴り掛かり、装飾の凝ったそれに大きくヒビを入れた。
「クソが!重すぎる!」
「向こうの仕掛けを待つのは得策じゃないね。【スラッシュ】!」
大盾に掛かりきりだったキョンシーに、ローレンスが斬りかかる。キョンシーは流れるように一歩足を引いて、剣を抜きその一撃を受け止めた。
甲高い金属音が響き、ビリビリと痺れが伝わる。どちらも剣を離さなかったのは、ローレンスの意地ゆえか、それともそれが死体であるゆえにか。
「っく……確かに重いね。剣で吹き飛ばすのは狙えそうにないよ……っぐうっ!」
切り結んで膠着状態であったローレンスの腹をキョンシーが蹴り飛ばす。態勢を崩されたローレンスは吹き飛ばされ、もろに急所へ一撃をもらってしまったために立ち上がれそうにもなかった。
「チッ……!少佐、俺を盾にして魔法撃ちまくれ!」
「承知。【ファイアシュート】」
少佐が魔法を重ねる。今有効打を撃てるのは彼女くらいしかいないのだから、妥当な判断と言えるだろう。
しかし、キョンシーはまたも飛んできた炎弾をあっさりと防いだ。腕ではなく、今度は剣で。斬り伏せたと言っても良いだろう。
少佐の冷たい無表情が歪む。ニコラボはキョンシーが剣を振り抜いた隙を狙って、その足元に再び罠を仕掛けた。
「……【炎熱床】起爆ー」
キョンシーの足元から、炎が噴き上がる。そのままキョンシーは慌てたように後ろへ飛び退いた。
再び距離を取り、彼らとキョンシーは睨み合う。……いや、やはりキョンシーはぼんやりとしているから、彼らが一方的に睨んでいるに過ぎないかもしれない。
「大したダメージは入っていないようだが、牽制にはもってこいだろう。ニコラボ殿、後いくつ設置できるか」
「……連続は、ちょっとむりぽー。次で決めてよ少佐、バフあげるから。【攻勢励起】」
「俺もだ。【勝鬨】」
「……ふ、う……痺れは、何とかなったが……君に託すよ、少佐。【鼓舞】」
「ふむ。では本気で行こう」
少佐の周囲に、濃密な魔素が渦を巻き始める。キョンシーもその異様な気配を察知したようで、初めて警戒するような素振りを見せた。変わらずぼんやりとした立ち姿をしているように見えるが_何処となく緊張感がある。
キョンシーは剣を掴み直した。しかし、させないとばかりにふぁらんくすも盾を構え直す。いつの間に装備を変更したのか、ふぁらんくすの大盾は無骨なものに変わっていて、当然ながらヒビはなかった。キョンシーは動かない。
「……ふう。【多重詠唱】【拡散詠唱】【輪唱】【ファイアボール】【ファイアシュート】【ファイアランス】【ファイアレイン】」
高速で大量の魔法を展開する少佐。キョンシーはぼんやりとそこに立って、展開される魔法をしげしげと眺めているようだった。素顔こそ隠れているが、魂が抜けたように上を向いている。
……このキョンシーは賢い。そして火に弱い。そんなキョンシーがこの光景を眺めて、流石にもう勝ち目は無いということが理解できないはずもない。ならば、もはやこれまで、と諦めているのかもしれない。
勝った、と。パーティメンバーの誰もがそう思った。
その時。
「……」
キョンシーが動いた。剣を握っていない方、空の片腕を緩慢に天へ掲げ、くるりと回す。
天を覆い尽くさんばかりだった炎の幕が、一瞬にして消え去った。
「え」
「何だと……」
キョンシーは一つ一つ何かを確かめるように、くるりと手を回し、ゆったりと彼らへ歩み寄る。
薄暗い空間に、暗闇を切り取ったような深い黒色の刃が浮かび上がる。一つ、二つ、と増えていくそれは、キョンシーが数歩も歩かないうちに、空間を埋め尽くした。
ちょうど先ほどの、燃え盛る弾幕のように。或いはそれ以上の密度で。
「え、なんで、少佐」
「解析された?……あの一撃で?なぜ」
呆然とするしか無い彼らに、容赦無く黒い刃が襲い掛かる。それは容易く盾を貫き、罠を破壊し、鎧に風穴を開け_
「……はは、徘徊型のボスだったか……ごめんよ、みんな」
_そして、生者は一つもなくなったのだった。