【短編版】お騒がせ令嬢ヴィヴィアン
こちらは、【短編版】お騒がせ令嬢ヴィヴィアンです。
気に入っていただけたら、【連載版】のほうもよろしくお願いします!
わたくしは、ヴィヴィアン・ド・モンテローズ伯爵令嬢。
目の前に座っているのは、婚約者のハロルド・ド・ローエン伯爵令息ですわ。
今日は月に一度の、婚約者同士のお茶会ですの。
ローエン伯爵家自慢の庭に招待されて、ガゼボで香り高いお茶を飲む……
なんて優雅な午後のひととき……
……なわけないわ!
こんな窮屈なドレス着せられて!
コルセットが苦しすぎて吐きそう。こんなの、前世の拷問レベルでしょ!?
おまけに婚約者は口ベタでなーんにも話さないし!
まるで観葉植物とお茶してる気分よ。
婚約して一年になりますけど、私アナタのこと、なーんにも知りませんけど!
いつになったらしゃべるのかしら。この人。
……と思っていたら、風が吹いてきて、ハロルド様の手袋がポトリと落ちた。
「ハロルド様? 手袋が落ちましたわよ」
何か難しい顔をして考えごとでもしているのか、手袋が落ちたことにすら気付いていないわね。
仕方なく、手袋を拾い上げるとその瞬間、ふっと視界が揺らぐ。
あ。
これ、過去視だ。
私には人とは違った能力と、前世の記憶があるの。
この手袋に触れた人物が何をしていたのか、セピア色の映像となって映し出される、私の特殊能力。
──白くて細い指?
──その指の持ち主は、手袋を両手で抱きしめるようにして、顔を寄せ——
はぁああああ?
今の……何?
絶対女だよね?
しかも、やけに大事そうに。
いやいやいや、アンタ、すました顔して呑気にお茶飲んでる場合じゃないでしょ!?
「この手袋……ハロルド様のものですよね?」
「……私のだが?」
怪訝そうな声。
うん、そうよね。
じゃあ、その手袋に頬をすり寄せて抱きしめていた人はどなた?
気になるわね……もうちょっと何か手がかりはないかな。
ハロルド様のそばには一冊の本。
この人、本なんて読むの?
読んでるところ、見たことないんだけど。
「何を読んでいらっしゃるの?」
興味があるふりをして、さりげなく手を伸ばす。
本の表紙に触れた瞬間、またしても視界が揺らいだ。
──本を胸に抱く色白の腕。
──美しい髪。
だんだんと、女性の姿が鮮明になっていく。
どこかで見たことがある貴族令嬢だわ。
女性をやさしく後ろから抱きしめるたくましい腕は……
……見覚えがある袖飾りね。
はい、ハロルド様。
有罪確定。
◇◇◇
自分の屋敷に戻って、部屋のソファにどさっと腰を下ろす。
あー疲れた。やっと拷問コルセットから解放されたわ。
「さて、どうしましょうか……」
ここまでくると、もはや確定よね。
ハロルド様には、間違いなく恋人がいる。
別に腹は立ってないし、好きな人とは一緒にさせてあげたいと思うけど、そう簡単にはいかないのがこの貴族社会なのよねえ。
私としては他に想い人がいる婚約者なんてまっぴらだから、穏便に婚約解消したいんだけど。
お父様はそう簡単には許してくれないわね。
「お嬢様、悪だくみ中ですか?」
ノックの音。
幼なじみで、護衛騎士のテオだ。
「ちょっとね。面白いことがあったのよ」
「またですか? 何か危険なことなら止めますよ」
「危険なんてないわ。ただ……少しテオの協力が必要ね」
テオドール・ド・ラングレー
うちの伯爵家の隣にある、ラングレー子爵家の四男だ。
小さい頃から一緒に育ったので、私のことなら彼が一番知ってる。
そう。ヒミツの能力のことも。
「で? 今回は何を見たんです?」
「ハロルド様の浮気現場……のようなもの、かしら」
「未来視?」
テオが思い切り眉をひそめた。
「違うわ。あれは過去視よ。たまたま彼の手袋を拾ったの。そしたら過去視が発動して……知らない女性が、それを愛おしそうに抱きしめていたのよ」
「過去ならすでに手遅れか……」
「それから、本にも触れてみたわ。そしたら、その本を持っていた女性が、泣きながら走り去ったの。それと、落ちていたペンを拾ったときは、ハロルド様が手紙を書いて苦しそうに破り捨てているところも見えた」
「……それって」
「どう考えても、ふたりは想い合っているのに、諦めようとしているみたいなのよねえ……」
「で?」
「どう考えても、私が邪魔者ってことでしょ? まあ、そういうことなら? 想い合う者同士一緒になってもらおうかと」
「お嬢は、それでいいのかよ? まあ、ショック受けてるようには見えないけど」
「当たり前でしょ! ハロルド様なんて、婚約者という名のオブジェみたいなもんだったんだから。むしろ好都合だわ」
「なるほど……で、その令嬢の名前は?」
「それが、顔は見たことあるような気がするけど、名前が思い出せないのよ」
「じゃあ、俺が調べますか」
「ええ、お願いするわ」
◇◇◇
「お嬢、つきとめたぜ」
「あら、早かったわね」
急いで戻ってきたのか、テオの額には汗が浮かんでいる。
別にそんなに急がなくてもよかったのに、変なところ真面目なのよね。
メイドに目で合図をして、飲み物を運ばせる。
「マリアンヌ・ダルモン男爵令嬢」
「あ、そんな名前だったような気がするわ。夜会で見たことがあるもの。確か去年のデビュタントだったかしら?」
「正解。16歳だ」
16歳ねえ……
まあ、この世界では16歳で婚約とか結婚するのは、別にめずらしいことじゃないんだけど。
25歳のハロルド様のお相手としては、ちょっと幼いんじゃないの?
ていうか、どこで知り合った? その年の差で。
「ハロルドが昔、家庭教師をしていたらしい。マリアンヌが子どもの頃の話だが」
「ふーん……子どもの頃ねえ。ま、相思相愛ならいいけどね。男爵令嬢って、跡継ぎだっけ?」
「いや、兄がいるな」
「ってことは、ハロルド様は婿入りできない、と。まずいわねえ」
「だな。ローエン伯爵がなんのメリットもない婚姻を許すはずないだろう」
ハロルド様、いったいどういうつもりなのかしら。
私と結婚して伯爵家を継いでから、愛人を囲うつもり?
まさかね。
だって、一応男爵令嬢だって貴族の娘だもの。
そんな不名誉なこと、親が許すはずないわ。
「駆け落ちでもするつもりかしら?」
「笑いごとじゃないぜ、お嬢。その可能性もゼロじゃない。ずいぶん盛り上がってるみたいだしな」
「まさか……それは困るわ。きちんと婚約解消してから、駆け落ちしてくれないかしら」
突然失踪されると、婚約解消の手続きが面倒なことになる。
両家が一年間は失踪者を捜さないといけなくなってしまう。
「わかったわ。そうとわかったら、もうこっちから動くしかないわね」
できれば穏便に婚約解消したかったけど。
そもそもハロルド様との婚約だって、私が望んだわけじゃない。父が勝手に決めた政略結婚だ。
伯爵家の跡継ぎ問題に巻き込まれたようなもので、正直私はこの結婚を内心では迷惑だと思っている。
とはいえ、婚約者に浮気されたことを公にして、傷物令嬢みたいな噂になるのも困るのよねえ……
「だいたい、この世界って、婚約者の浮気でなぜこっちが傷物と呼ばれるのか意味がわからないわ!そう思わない?」
「……お嬢、やっぱりちょっとは浮気されて傷ついてるんじゃ?」
「違うわ! 傷ついてると思われるのが……癪なのよ!!」
「はいはい。でも、ちゃんとわかってますよ。お嬢だって、そういう時もあるって」
「わかってるなら、いつものお店の新作スイーツぐらい買ってきなさいよ!」
別に傷ついてなんかいないけど……私だって、一応好きな人と結婚する夢ぐらいは人並みに持ってる。
これは、うまくやれば好きでもなんでもない婚約者と、円満に婚約解消するチャンスなの!
「テオ、もっと情報を集めてきて。特に男爵家の事情が知りたい」
「了解。だけど、もし本当に駆け落ちしそうになってたらどうする?」
テオが面白そうに口元を緩めた。
「そうね……まずは、駆け落ちしなければいけない状況をなんとかすればいいのよ。例えば、男爵令嬢の兄が跡継ぎを放棄するとか?」
「なんかまた、悪いことたくらんでそうだな……」
「ふふん、実はね、ちょっと思い出した噂があるのよ。マリアンヌの兄、確か女嫌いで有名だわ。見合いを拒否してるらしいし」
「へえ…そりゃまた、なんか理由でも?」
「それを探ってきて欲しいのよ! あの兄にどうしても結婚したくない理由があるなら……」
「なるほど、跡継ぎには向いてないと」
「探ってきてちょうだい」
ティーカップを持ち上げて、にっこり微笑む。
なんだか、ふたりの恋路の邪魔をする悪役令嬢になった気分よ。
前世で好きだったな~悪役令嬢が主人公の小説。
テオが呆れたような、感心したような表情を浮かべた。
「お嬢のそういう腹黒いところ、俺は好きだけどな」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
さて、どうなることやら。
◇◇◇
「……そう。長男のクレメンス・ド・ダルモンは聖職希望だったのね。そりゃあ、女に興味なさそうだわ」
「家の中でも聖典を手放さないぐらいらしいからな。ダルモン家の使用人に聞いたところによると」
「男爵家を継いでも、教会勤務ってできるのかしら?」
「そこだけど、現ダルモン男爵は絶対に息子に家督を継がせたいようだ。だけど、万が一のことを考えて、一応マリアンヌ嬢にも経営の勉強はさせているみたいだな。マリアンヌ嬢は普段、父親の仕事を手伝っているそうだ」
「兄は普段何をしてるのよ」
「さあな。教会で祈ってんじゃねえの?」
ふうん……ほころびが見えてきたわね。
じゃあ、エサを用意しましょうか。
とびきりのエサを。
「ねえ……もうすぐ教会の職員募集の時期よね? 今年の中央教会は聖騎士何名採用だったかしら?」
「……何をたくらんでる?」
「寄付金でもしようかと思ったのよ。なんせ、我が家には潤沢な資金が余っているでしょう?」
「つまり、兄貴を教会にぶちこんで、妹を跡継ぎにして、ローエン伯爵が納得する形を作る……ってことだな?」
「さすが、理解が早いじゃない」
中央教会のトップは拝金主義だから、そこそこの寄付金をつかませておけば、推薦状のひとつぐらい書いてくれるわ。
さっそく手紙を書きましょう。
ぜひ、クレメンス・ド・ダルモンには、『夢の聖騎士』になっていただきたいわ!
兄が教会に入ってしまえば、マリアンヌが男爵家を継ぐことができる。
そうすると、次に問題なのはハロルド様の父親、ローエン伯爵ね。
あの男は欲が深そうだから、男爵家なんて相手にしないはずだもの。
さて、どうやって落としましょうか。
「テオ、悪いけど、ダルモン男爵領の有料道路、通行税がどこへ渡ってるか調べてくれる?」
「そう言い出すと思ってね、あの道路はダダリオ伯爵領とつながってるから、そっちにほとんど流れてる」
「ダダリオ伯爵家……面白いじゃない! ローエン伯爵家の天敵だわ! どうやら運はこっちの味方ね!」
「やれやれ……あんまり自分ひとりでやろうとするなよ? 動く前には相談しろよ!」
もう……心配性ねえ。
これからが面白いところなのよ!
◇◇◇
ローエン家から送られてきた書状に触れた瞬間、視界がふっとセピア色に染まった。
──過去視。
『自分は父の政略のコマでしかない。
入り婿として一生働くだけの人生だと思っていた。
そんな俺が、唯一心を許せたのがマリアンヌ。
マリアンヌは子どもの頃から純真で可愛くて、家庭教師をしていて楽しかった。
今は立派な淑女になり、まぶしい存在。
そんなマリアンヌが俺に思いを寄せていると知って、婚約者がいることをどれほど悔やんだか。
マリアンヌの泣き顔がどれほどつらかったことか。
俺はいったい何をしているんだ。
一番大切な女性を傷つけて、自分だけが入り婿で幸せになろうなんて……』
あらあら。
ハロルド様、相当お悩みのようね。
ローエン家から送られてきた書状に触れた途端に見えた、ハロルド様の日記。
この書状を書いた直後に、日記を書いていたのね。
急がないと本当に駆け落ちしてしまいかねないわね。
ちょうどタイミングよく明日は王宮の夜会で、ハロルド様とご一緒することになっている。
ちょっとおふたりを刺激してあげるといいかもしれないわ。
王宮の夜会には貴族なら全員参加しているもの。
マリアンヌ様にも会えるわね。
楽しみだわ。
一度はやってみたかったのよ……夜会での悪役令嬢劇場!
◇◇◇
王宮の夜会に一歩足を踏み入れた瞬間、シャンデリアの光に目がくらむ。
ああ、今宵もまたきらびやかなお芝居の幕が上がるのね。
金糸銀糸で飾られたドレスがひらひらと舞い、まるで人形たちが社交という名の舞踏を踊っているみたい。
ワルツの調べが甘く響き、グラスに注がれる薔薇のような香りが鼻をくすぐる……
ああ……なんて優雅な夜のひととき……
……なわけないでしょ!
今日はまた一段と拷問レベルのコルセットだわ。
それというのも! ハロルド様が!
誰のサイズに合わせたの?って言いたいぐらい、細身のドレスを送ってきたからよ!
明らかに、私に似合うドレスじゃないわよ、これ。
気を抜いたら、気絶しそうだわ。
王宮の夜会には、夫婦か婚約者と出席するのが常識。
婚約者がいない令嬢たちは、父親か兄に連れられてくる。
そんなわけで、見つけたわ。マリアンヌ嬢。
父親のダルモン男爵と一緒ね。
女嫌いのクレメンスは今日も欠席かしら。
出席していたら直接お話してみたかったのだけど。
ハロルド様は私をエスコートしてはいるけれど、定番の仏頂面だわ。
これまでは何が気に入らないのかしらって思っていたけれど……今ならわかる。
ちらちらとマリアンヌ嬢を目で追ってるわ。
それがバレないように、難しい顔をしているのね。
そんなにマリアンヌ嬢が気になるなら、連れていって差し上げましてよ?
「あら、ごきげんよう」
驚いて目を思い切り見開いている、マリアンヌ嬢。
可愛いじゃない。素直そうで。
ちょっと怖がってる感じだけど、こういうときは、身分の高い方から声をかけるのがルールなのよ。
ごめんあそばせ。
ちらりとハロルド様を見ると、驚きすぎて固まっているわ。
まさか私が声をかけるとは思っていなかったでしょうね。
男爵が声をかけられて、商談相手と向こうに行ってしまったのは確認ずみよ。
さあ、ここからがわたくしの名演技の見せ所ね!
「まぁ、あなたがダルモン男爵令嬢ね。お噂はかねがね」
「あ、はい。ダルモン男爵家の……マリアンヌと申します。お⽬にかかれて光栄です」
「うふふ。てっきりどこかの侍⼥の⽅かと思いましたわ。お召し物がその……あまりにも実用的で」
口元を扇で隠しながら、アルカイックスマイル攻撃!
「あの……わたくし、こういう華やかな場所があまり得意ではなくて。でも、こうしてお声かけいただけただけで、うれしいです」
……なにこのいたいけな小動物のような愛くるしさ。
ハロルド様ったら、意外に女を見る目あるんじゃない?
これは、間違いなくいい子だわ!
こんな純粋な子をいじめるのはちょっと心が痛いけど、ここは婚約解消のために全力で演じきらなくては。
ちょうど、周囲の視線も集まってきたことですし。
「領地経営に⼿を出されるご令嬢なんて、まあ、奇特ですこと。手にインクの染みがついていましてよ?」
「ヴィヴィアン、それ以上はやめた⽅がいい。彼⼥は、君がけなすような⼈物じゃない!」
よし、引っかかりましたわね? ハロルド様。
わたくしのことは庇ったこともないくせに。
マリアンヌ嬢のことになると、そんな風に感情をむき出しにして。
「まぁ、ハロルド様に庇っていただけるなんて、羨ましいですわね? わたくしなんてどうせ、完璧すぎてかばう必要もない女ですもの」
「そんな……わたくしモンテローズ伯爵令嬢のこと、尊敬しています」
ああ、やっぱり……この子、根っから良い子だわ。
男の人が守りたくなるタイプよね。
「そうね、あなたのように何も持たない人にとっては、私がうらやましくうつることでしょうね? せめて、あなたが男爵家の後継者であれば、欲しいものが手に入ったかもしれないのに。とっても気の毒だわ」
「ヴィヴィアン! やめるんだ! なんの権利があってマリアンヌを傷つける!」
「あら? 傷ついていらっしゃるの? どうして? わたくし、本当のことしか申し上げていませんのよ?」
「もう、いい!! きみのような人間の側にはもういられない!」
あら、ハロルド様、キレてしまったわ。
ごめんなさいね、マリアンヌ嬢。
でも、あなたのためでもあるのよ?
ハロルド様は頭から湯気を出しながら、テラスの方へ走り去ったわね。
その後を追いかけていく男の人……あれはご友人のレイモンド子爵令息かしら。
さっきからずっとこちらを見ていたものね。あの人。
放置しておくのもアレだし、ちょっと様子を見にいってみましょうか。
「おい、ハロルド!どうした、いきなり婚約者を置き去りにして……入り婿であの態度はまずいだろ!」
「……もう、限界なんだ。どうしてあんな人が、俺の婚約者なんだ。あの笑い方、あの目……」
「限界って、まさかお前本気で……」
「あんなのと一生過ごすなんて、冗談じゃない!!」
……駆けつけてみれば……まあ、やっぱりこうなってたのね。
今度はハロルド様劇場の開幕。
いつもは仏頂面のくせに、今日はやけに感情豊かじゃなくて?
なだめているレイモンド様も、困惑している表情だわ。
「お前、マジで⾔ってるのか? モンテローズ家の⼀⼈娘だぞ?」
「わかってるさ。でも……さっきのあの子への悪態で目がさめた。もう無理だと思ったんだ」
「あの⼦って 、ダルモン家のマリアンヌ嬢のことか?」
「……あの子は、ずっと変わらない。昔から、あのままなんだ。優しくて、素直で……」
「いいか、モンテローズの令嬢を敵に回すってのは、政治的にも命取りになりかねないんだぞ?」
「……あの⼈にだけは、勝てる気がしない。完璧すぎて、息が詰まるんだ」
……ずいぶんと嫌われてしまったみたいね。
まあ、狙い通りですけど。
私ってハロルド様にそんな風に思われていたのね。
息がつまるような女で申し訳なかったわ。
でも……そう思ってもらえたなら、私のお芝居は成功ね。
ハロルド様は私を放置して、馬車の方角へ立ち去った。
まあ、あの様子では戻ってきたとしても、ろくに言葉も交わせないでしょうね。
今夜の「主役」は、もう出番はなさそうだし。
私は、もう少し情報収集しに行きましょう。
再び夜会の会場へ戻ると、軽やかな音楽に紛れるように、貴族たちの噂話が飛び交っている。
──「オーベルン銀山、再開発が本決まりらしいわよ」
──「あそこって、もう採れないって話だったのに?」
──「どうも、新しい脈が見つかったとかで、国外の投資が入ってるらしいの」
──「へえ……東部交易路を通せば、一攫千金ね」
……聞き逃すと思った?
ふふ、だめよ、そういう話を夜会の隅でしては。
オーベルン銀山。
ダルモン男爵領の真上を通る交易路の先にある、国内でも三本の指に入る鉱山。
再開発の噂をちょっと隣国に流させてもらったわ。
別に構わないわよね? 私だって噂で聞いたんだもの。
再開発とあれば、資源の価値も跳ね上がる。
そうなれば、物流も、通行税も桁が違ってくる。
その高額な通行税が、ローエン家の敵であるダダリオ伯爵家の懐に入るなんて。
それは、さぞかし面白くないでしょうね、ローエン伯爵様?
どうやら、ローエン伯爵も聞き耳をたてている様子。
では、もう一押ししにいきましょうか。
ローエン伯爵の後ろに、ちょうど知り合いがいるわ。
「こんばんは。レアーノ様」
「久しぶりだね、ヴィヴィアン嬢。今日はハロルド君は一緒じゃないのかい?」
「ええ……ハロルド様は……最近他の令嬢にご執心ですのよ?」
「ああ……さっきの。いいのかい? ほうっておいて」
「仕方ありませんわ。ダルモン男爵令嬢とハロルド様は、師弟の関係ですのよ? なんでも……幼い頃から、おふたりは特別だったとか。これは噂ですけどね?」
ぴくり。ローエン伯爵の眉がわずかに動いたわ。
しっかり届いたみたいね、私の囁きが。
ふふ。この様子なら、さっきの銀山の話はすでに耳に入っているようね。
でも、こっちの話はまだ知らないでしょう?
「ここだけの話なんですけど……ダルモン男爵家って、ご長男は家を継がないっていう噂が流れてますのよ? そうしたら、あのご令嬢が跡継ぎにスライドしますわよね? 男爵家には他に兄弟もいないそうですし」
「本当かい? それは」
「ええ……確かな筋から聞きましたもの」
あら、ローエン伯爵が慌てたように動いたわ。
◇◇◇
さて、仕込みは終わったし。
そろそろ帰ろうかしら……
ああ、でもハロルド様が先に帰ってしまったから、馬車を手配しないと。
こんなことなら、テオに迎えにきてもらえばよかった。
どうしよう……
馬車留めのある方へと続く回廊を歩いていると、聞き覚えのある声がする。
あの声はローエン伯爵?
……とハロルド様?
「……いいか、マリアンヌ嬢を口説け」
「父上? それはどういう……」
ハロルド様、まだ帰っていなかったのね。
中庭でマリアンヌ様でも待っていたのかしら。
それにしても、ローエン伯爵ってこういうところだけは抜け目ないわね。
その人、まだ「私の婚約者」なんですけど?
その件、お忘れではなくて?
「お前はマリアンヌ嬢と懇意なのだろう?」
「懇意などとは……」
「いいか。マリアンヌ嬢が跡継ぎになれば、男爵家には婚約が殺到する。この噂が広まる前に、お前がマリアンヌ嬢を落とせ」
「えっ、そんな話……僕は、聞いていません」
うふふ。噂なんて知らなくて当たり前よ。
今から噂になるんですもの。
今頃おしゃべりレアーノ様が、良い仕事をしてくれていると思うわ!
「だからお前はダメなんだ! 常に噂には耳をすませておけと言ってあるだろうが! とにかくマリアンヌ嬢を⼝説き落として、婚約に持ち込め!」
「マリアンヌを……」
「ダルモン領を通る商隊から徴収される通⾏税は年間でどれだけになると思っているんだ! その通行税が、そっくりこっちに転がり込むんだぞ? 年にいくらになると思っている!」
「でも……モンテローズ伯爵令嬢は?」
「モンテローズ家?そんなもん、なんとでもなるわ! ヴィヴィアン嬢はお前に気があるわけでもなかろうが。あんな女を嫁にしたら、胃に穴があくぞ?」
言ってくれるわね。私が胃に穴をあける女?
やっぱり、慰謝料請求しようかしら。
……まあ、いいわ。
お望み通り──「口説いて」いただきましょうか、マリアンヌ嬢を。
「お嬢、夜会でなんかやらかしたんですか? ハロルドは?」
連絡を受けて迎えにきたテオが、呆れたようにため息をついた。
「ハロルド様なら、マリアンヌ嬢を口説けとローエン伯爵から指令を受けていたわ」
「はあ? 何がどうしたらそうなるんですか」
「まあ、それよりも大事なことがあるの。例の教会への寄付、ちゃんと済んでるわよね?」
「もちろん、ダルモン男爵家のクレメンスには、聖騎士団への正式な推薦状が届いている頃かと」
「なら、いいわ。これでマリアンヌ嬢は跡継ぎ決定ね」
なんだかやりきった感があるわ!
でも、まだ燃え尽きるには早いわね。
最後の大芝居が控えているもの。
◇◇◇
後日、教会の人が寄付金のお礼に来たから、さりげなく聖騎士団の今年の入団者を聞いてみた。
クレメンスはやっぱり、入団していたわね。
そりゃあ、あれだけ聖職に憧れていたんだもの。
こんなチャンスは二度とないと、飛び上がって喜ぶ姿が目に浮かぶようだわ。
私は、別に何も悪いことはしていないわよね?
善意の寄付と、本当に向いている人を推薦しただけよ?
それと、気になるのはハロルド様の恋のゆくえね。
あの方、ポンコツだからちゃんと告白できたのかしら?
でも……大丈夫ね。
マリアンヌ嬢は、本当に優しい子みたいだし。
「お嬢、先触れが来たぜ?」
ひらひらと手紙を振ってみせるテオ。
受け取ろうとすると、ひらりと避けて手紙を高く持ち上げた。
「触れたら何が見えたか教えろよ?」
興味津々ね。
わかるわ。私だって気になってるわよ。
手紙を受け取ると、目の前に鮮明に浮かぶセピア色の映像。
物の記憶は、新しいほど鮮明に見える。
ハロルド様が手紙を書いている間、後ろからのぞき込んでいる令嬢の姿が見える。
ハロルド様はときどき書く手を止めて、振り返っては、私には見せたことがないような笑顔を向けているわ。
まあ、思った通りね。
うまくいったんだわ。
ということは、この先触れは婚約解消のために、こちらへ向かっているのかしら。
◇◇◇
「このたびお時間をいただいたのは、ほかでもありません。我が家のハロルドと、モンテローズ令嬢とのご縁について──再考した方が良いのではと判断した次第でして……」
額に玉のような汗をかいているローゼン伯爵の横で、ハロルド様は青い顔をしてうつむいている。
まあ、何も言えないでしょうね……本当のことは特に。
お父様には、今日は私が相手をすると事前に伝えておいたので、隣ですました顔をして座っている。
「お嬢様には何の落ち度もございません。むしろ、あまりにご優秀でいらっしゃるがゆえ……ハロルドのような未熟者では、モンテローズ伯爵家の重責を担うには力不足ではないか、という懸念が生じております。もし将来的にご迷惑をおかけすることになれば──それは我が家にとっても不本意。故に、今のうちにご縁を白紙に戻すのが、双方にとって最も誠実な道であると考えました」
「まあ、今頃お気づきになりましたの? てっきり最初から高望みなのをわかっていらっしゃったとばかり」
今日は一番派手な色の扇を用意したわ。
七色のダチョウの羽を使った特大の扇をバサリと広げ、口元を隠す。
うふふ。悪役令嬢の楽しいお芝居の始まりよ!
「わたくし、つねづね思っておりましたのよ? 観葉植物のように、ただそこに座っていらして……一体どうやって伯爵になるおつもりなのかしら?って」
「……それはっ」
「だって、お茶会でも一言もお話にならなかったでしょう? 婚約者として紹介されてから、何度もお会いしているのに……ええ、本当に不思議でしたわ」
「いやあ、ごもっとも! ヴィヴィアン嬢も、さぞうちのハロルドにご不満を持っていらっしゃるのではと……実は、我々も常々心配しておりましたのです! それで今回……辞退を申し出るに至ったわけでして!」
「つまり、息子には到底釣り合わない令嬢でしたと、ようやくお気づきになったのね? ご心配なく。お気持ちは、充分伝わっておりますわ」
これぐらいの皮肉は言ってもいいわよね?
そっちの浮気による破談をこっちのせいにしようとしてるんだから。
「本来であれば、こちらから何かしらの償いを、とも考えましたが……先んじて破談をお申し出する形となりましたので、こちらで矛先をお納めいただければ……と」
ローエン伯爵が差し出した一枚の書類。
そこには、慰謝料の最低額程度の金額が書き込まれている。
「まあ! なんですの、これ! なにかの間違いですわよね? これは……お小遣いか何かかしら?」
「い、いや……その……」
「まさかわたくしの価値がこんなはした金だと? こんなもの、受け取れませんわ! 我が家の末代までの恥ですわ!」
目の前で、ビリリと書類をまっぷたつに破く。
ここが一番の見せ所ね!
「我がモンテローズ家、こんな恥辱には耐えられませんもの。婚約破棄、いえ、婚約そのものがなかったことにさせていただきますわ!」
破いた書類をポン、とハロルド様の前に投げると、驚いたように顔をあげた。
「白紙撤回ですわ! 破棄ではなくて、は・く・し!!」
さよなら、ハロルドさま。
それが最後の、私からのプレゼントですわ……
扇を閉じて立ち上がる。
そろそろ退場しようかしら。
お芝居も疲れてきたし。
「……いやはや、やはりモンテローズ嬢は聡明でいらっしゃる! 慰謝料を受け取られぬとは……いや、寛大なお心に感謝いたしますぞ! 破棄ではなく、白紙ということであれば、両者に遺恨なし! 今後ともローエン家を何卒、よろしくお願い申し上げますぞ!」
ふん。アンタのためじゃないわよ!
慰謝料払わなくていいとわかったら、急に揉み手になってヘラヘラしているローエン伯爵。
アンタと縁が切れるのが一番うれしいわ!
「それでは、お忙しいところお時間いただき……我々はこれにて失礼いたしますぞ」
そそくさと立ち去るローエン伯爵と、無言で追いかけるハロルド様。
玄関へ続く廊下で、ハロルド様が振り返り、一通の手紙を差し出した。
「……これ。マリアンヌから。君に、どうしても謝りたいって」
「まあ。謝る必要など、どこにございます? わたくしとあなたは、もう赤の他人──婚約は、元々なかったことになりましたもの」
「ヴィヴィアン……君は……」
「これは、お預かりしますけれど──お返事は書きませんわ。そう、マリアンヌ様にお伝えくださいませ」
「……わかった」
何か言いたげな様子のハロルド様から、仕方なく手紙を受け取る。
マリアンヌ様の謝罪など、本当は聞きたくないけれど。
美しい模様で縁取られた封筒をじっと見つめていると、ふと意識が吸い込まれて……
視界にセピア色の情景が浮かび上がる。
──マリアンヌ様が、静かな部屋で手紙を封じたあと、肩を震わせて
──涙がぽろっとこぼれ落ちて
──そこへ、そっとハロルドが近づき
──指先でマリアンヌの涙をぬぐう
──そして、両手で彼女の頬を包み……
──ふたりの顔が、ゆっくりと……近づいて……
「──ぎゃああああああああああっ!!!!!??」
あわてて手紙をぶん投げて、映像をかき消すように暴れ回る。
「な、なに見せてんのよあのバカぁぁああああああ!!!!!!」
「お、お嬢!? どした!? なんか怖いもんでも見たか?」
「違うのよ! もっとこう……見ちゃいけないやつなのよぉおお!!」
「もしかして……アレか? ハロルドの遅咲きの青春的な?」
「ううう……何が悲しくて元婚約者のいちゃこらを……」
「そ、それは……お気の毒に。俺でも叫ぶわ」
「見てない見てない見てないっ……私の視界に入ってない……っ!」
もう! なんで私がこんな目に!
デレた元婚約者のラブシーンって、想像以上に破壊力あったわ。
心臓に悪い……
◇◇◇
マリアンヌからの手紙は結局、読まずに暖炉にくべた。
「ありがとう」くらい言いたくなるほど、肩の荷が下りた気分だった。
……と、そこへ。
「お嬢、ちょっと変な話があるんだが……」
テオが、困ったような顔でやってきた。
手には、どこかの貴族から届いた封筒。
封に使われた紋章は、見覚えのある貴族家だ。
「会いたがってるみたいだぜ? どうやらお嬢の婚約解消を、不審に思ってるらしい」
「ふうん……」
私は封筒を手にして、セピア色の意識の中に引き込まれていく。
うふふ。
また面白いことが始まりそうだわ!