第九十九話 諤々と論を巡らせて
沈黙の帳が降りた室内に、扉を開け放つ音が響く。
そちらを見やれば、色眼鏡を額に押し上げ目元を擦るマリエンネの姿があった。
薄絹の上着を一枚羽織っているが、下半身は寝台に運んだ時のまま、剥き出しの素足に突っ掛けを履き、ぺたぺたと入室する。
「ごはんはー?」
「第一声がそれか」
溜め息をつきつつカリストは立ち上がり、それでも律儀に調理場へと引っ込んでいった、
すとんと空いた席に着き、ぷらぷらと両足を揺らす彼女。
その前に、肉の煮込みとパンののった皿が置かれた。
「どうぞ」
「ありがとー」
給仕する彼女に、マリエンネはいつものように礼を言う。
だか彼女は、いつものように食事に手をつけることなく、じっとそれに視線を落とすばかりだった。
「マリエンネ、どうした? 好みに合わなかったか?」
「んーん、そういうことじゃないよ」
ふるふると、マリエンネは頭を振る。
だがそれがあっても、彼女の手が目の前の食事に伸びることはなかった。
古傷だらけの少女の視線が、食卓を辿って白い髪の少女へと向けられる。
「どうされました、マリエンネさん」
「……」
「マリエンネさん?」
「燃えてる」
「え?」
「エウロパちゃん、燃えてる」
「ええ?」
言われてエウロパは服の端々に目をやるが、勿論火の手などあがってはいなかった。
「どうしたの、マリーさん」
怪訝そうに言うギニースに彼女は視線を向け、そして困ったように笑う。
「エウロパちゃんが呼び水になって、火種になって、世界が循環してるの。燃えるように、熱い程に」
そういうことかぁ、と彼女は溜め息のように呟いた。
伺う様に、覗き込むように、上目遣いでマリエンネはマコトを見る。
「ねー、マコっちゃん。やるべき事とやりたい事が違う場合、どうすればいいと思う?」
「君はどうして、僕を君らの『央』のところに連れて行きたいんだっけ?」
「……だよねぇ」
肩を落とす。
落胆した、というよりは荷が下りたようだった。
清々したように、マリエンネは目の前の食事に手を伸ばす。
「えっと……?」
事情の呑み込めないエウロパが、首を傾げているが……
「マリーは完全に、僕らの味方だって話だね」
言ってちろりと、マコトは彼女を見る。
マリエンネは聞かないふりをして、黙々と食事の手を進めていた。
「それは、そうでしょうけど」
未だ戸惑った風のエウロパに、彼女は目を細める。
そしてやはり、何も言わなかった。
マリエンネとしての、判断だ。
『七曜』のそれではない。
『七曜』として、判ずるのならば……
「難しいことを考えるなよ、らしくないぞ、マリー」
「引っ叩くよ」
「で、結局の所、なんだが」
マコトとマリエンネの漫才を皆が眺める中、ヘルムートが声を上げる。
「『七曜』だったか? 何が目的なんだ?」
「マリエンネの話だと、人種と国家の垣根を取り払い、差別をなくす、だったが……」
先程の彼女の様子を見ると、それだけとは思えなくなった。
マリエンネ自身にも、別種の気付きとそれに伴う戸惑いがあるように見える。
「マリエンネ、世界が燃えるとは、どういう事だ?」
言葉を重ねるカリストに、彼女は眉根を寄せた。
「あーその」
「どうしました?」
「せ、説明が、難しい」
促すようなエウロパの声に、マリエンネは後ろめたそうに言う。
恐らく、それは言葉通りの意味ではなく、自身の理解……というより納得、腑に落ちた事象を外部に出力すること自体が難しいのだろう。
「学の無さが、こんなところで足を引っ張るとは……」
「小生も興味の尽きない話題ですっ! 少しずつで構いませんので、続けていただければっ! 」
「う、うん……」
頭を抱えた彼女はジェインに言われ、話を組み立てるべく考え込んだ。
「えーとね、木に果物が生るじゃない?」
「はいっ!」
「で、それが熟すでしょ?」
「はいっ!」
「そうすると、実が落ちるでしょ?」
「はいっ!」
「……」
「……」
「……」
「……あの?」
沈黙する二人に、おずおずとライムが声をかける。
「その、マリエンネ様、それから?」
「え? 終わりだけど」
「分かるか!」
マコトが叫んだ。
びっくりして目を丸くするマリエンネ。
その様子に一抹の罪悪感を覚えたのか、彼は一応咳払いをして続ける。
「流石に言葉が足りなすぎるだろ……世界が燃えるって何? 果物が熟して落ちます! じゃ対話にもなってないぞ」
「え、でもマコっちゃん世界樹理論知ってたじゃん」
世界樹理論。
全ての世界は世界樹に連なる果実、或いは枝葉、或いは地下茎であり、世界樹を通して世界は繋がっている、という論だ。
異世界召喚は、その繋がりを利用しての業となる。
「そりゃ知ってたけど……」
「……世界樹の果実たる我々の世界も、熟し、何時かは落ちるということですか?」
「そうそう、それが言いたかった!」
やるね、とばかりに彼女は発言主たるエウロパを指差した。
だとしたら完全に言葉が足りなかったし、そしてそもそも。
「……今の話のどの辺に、エウロパが関係してくるんだ?」
「エウロパちゃんっていうより、無為なるマナの誘引者が関係してくるんだよね。マナが巡ると育つから」
言われてカリストが黙り込む。
おそらくはこれも、マリエンネの言葉が足りていない。
あらゆる物体は、それ自身がマナを生み出し、それを己の骨子たる光脈に循環させて存在を維持する。
「ってことだったと思うけど」
「はい、その通りです。マナの循環は存在の維持だけでなく、生物であれば成長を促進します……成長といえば聞こえがいいですが、いわば老化と同義ではありますが」
「絶頂期を過ぎれば、そう評価されるだろうな。生物以外にとっちゃ、まさに劣化していく一方だし」
彼女の言葉に、ヘルムートはそう補足した。
「それで、生み出されるマナは基本、消費されるマナよりも多くって、その差分を魔法に利用したりしているわけだよね。そして、それでも使いきれなかったマナが……」
「無為なるマナ、になる」
イオとギニースの言葉に、マリエンネはうんうんと頷く。
「正にそう」
「お前なぁ……」
何故か妙に偉そうに言う彼女に、マコトは額に手を当てた。




