第九十五話 望外なる星外を見て
「由々しき事態と、言えるな」
真っ白な室内で、ドートートは厳かに言った。
「ああ、すいませんねぇ。まさかこんなに天井が低いとは」
転送方陣によって帰還したヴォルフラムは、その身を平時の体格に戻していたのだが……
その角は、病室の様な静謐な部屋の天井に穴を空けていた。
「……元に戻ったらどうだ」
「ああ、それはそうですねぇ」
その手があったかと、彼はドートートの助言に従う。
銀灰色の鹿獣が光に包まれ、時を巻き戻すかのな様にその身を変形させていった。
獣毛とおなじ、銀灰色の髪と瞳、鹿獣のそれをそのまま縮めた様な薄く緑に輝く双角。
そして一糸纏わぬ褐色の裸身。
ドートートは微妙に視線を上空に逸らすが、ヴォルフラム自身は、その格好を気にした風もない。
隣のパメラは、両手で目を覆い隠していた。
「……服を着ろ。それからパメラ、覗き見るな」
「い、言いがかりですわ」
「そんな隙間だらけの目隠しをしておいて何を言う」
「見たいなら、見せるのは吝かではないですが」
「俺の見ていないところでやれ!」
言って彼は、手近にあった男性用の病室服を投げつけた。
奇しくも隣の少女と揃いのそれを、ヴォルフラムは文句を言うでもなく着込む。
痛くもない頭を手で押さえていたドートートは、気を取り直す様に大きく溜め息をついた。
それを待っていたかの様に、こつこつと扉を叩く音が室内に響く。
「……どうぞ」
「どうモ」
入室許可の声と同時に現れたのはレラリン、『星』のレラリン・ローライエだった。
「あら、お一人ですの? セルゲイは?」
「彼はラボでス。忙しいようデ」
「なら、貴女もお忙しいのでは?」
「そうなのですガ、パメラさんが出撃、帰還されというのデ」
「私?」
「彼女も君の『転生』に携わった者の一人だからな」
自らを指差すパメラに、ドートートがそう告げる。
触角のような特徴的な角を揺らし、彼女は頷いた。
「お変わりはありませんカ?」
「有りませんけれど……どうしてそれほどに私の体調を気にされますの? やはり愛されているとかそういう……?」
「単純にお前が、最初の症例だからだ。これからの予定の先駆けだな」
一切の愛想のないドートートの返答に、パメラはずぅんと肩を落とす。
慌てた様子でヴォルフラムが彼女に顔を寄せるが、冗談ですわとばかりに肩を竦めて見せた。
「火王国、ひいては大陸全土に始原の白泥を落とし星外船の基礎とし、並びに全人口をドゥルス化、打ち上げに耐え得る肉体とする……でしたわね」
「その通りでス」
「本当に、それほどに差し迫っているんですかねぇ……あ、そうか。さっきのあれは……だから由々しき事態だと」
「そういうことだ」
何かに気づいた彼の呟きを、ドートートは肯定する。
首を傾げたパメラに、レラリンが指を立てた。
「我々のパイが減るわけではありませんガ、むしろそれが問題ですネ。単純に、流れ込む無為なるマナが倍になる恐れがありまス。そのばあイ、成熟が早まル……それも極端に早まる可能性ガ」
「ああ、なるほど」
得心いったと、彼女は頷く。
「しかし、好機でもある。彼女には、我らのような存在がいない。もたらされた無為なるマナを、我々で独占できる可能性も高い。そうなれば逆に、計画の完遂も早められるだろう」
「一理あるとは思いますが……ドートートさんらしくない発想な気がしますねぇ」
「……『央』それほどに?」
躊躇いがちに問うパメラに、彼は目を瞑る。
「決を採る必要ガ、あるかもしれませんネ」
沈黙した彼に代わってのレラリンの言葉に、パメラとヴォルフラムは顔を見合わせた。
「基本的に我々の間には上下もなく自由ですガ……新たなる『無為なるマナの誘引者』は毒にも薬にモ、成り得まス。どう扱うべきカ、我らの意を統一しておく必要があるかと思いますガ」
「だが彼女も、この世界の一因では……一員ではないか?」
「その考え方モ、私は尊重しまス」
「……」
彼女の返しに、彼は沈黙するほかなかった。
『……俺は棄権だ』
音を立てて、仮想窓が開く。
「お疲れ様でス、セリョーガ」
口元に笑みを浮かべ、レラリンは浮かび上がるセルゲイへそう声をかけた。
『目』
「おっト」
殆ど反射的に返されたその言葉に、彼女はその目を線の様に細める。
「忙しそうだな」
『ああ、忙しい。君にもレラにも、早々に戻ってきて欲しいと思う程度には』
ドートートの言葉に、碌に視線をこちらに向けずに彼は言った。
それでも律儀に顔を出すあたり、レラリンの提言は重要なのだろう。
だが。
「重要性を理解した上で、棄権するんですか?」
『ああ。どちらを選ぶにせよ、利も不利もある。俺としてはそのどちらにも振り回されず、今の仕事に集中したいからね。現場を見た、君たちの判断に任せる』
「なるほど。痛み入りますねぇ」
問いかけの返答に、ヴォルフラムは頷く。
「で、その上でですが……当方としては、排除に一票ですねぇ」
「私も」
「……その理由は?」
ヴォルフラムとパメラの発言に、ドートートはそう問い掛けた。
「セルゲイさん。確認ですが、貴方のお仕事は順調なんですよね?」
『予定通りの進捗ではあるよ』
「……ならば毒に成り得る存在は、排除すべきだと思いますねぇ」
「パメラは?」
「特別な存在は、『央』だけで宜しいかと」
「……なるほど」
二人の言葉に、ドートートは瞑目する。
理にかなった発言と、軸のぶれない見解だった。
「そういうドートートさんは? まあ、答えは分かっちゃいますが」
「ああ、新たなる『無為なるマナの誘引者』を、受容すべきと考える」
「世界の一員だからですカ?」
「そうだ」
ドートートの返答に、レラリンは笑顔のまま頷く。
「そういうことでしたラ、私も受容に一票でス。受け入れられた身ですかラ」
「……票が割れましたわね? 『火』は当然に棄権、『水』も意見の表明はないでしょうし。そうなると残るのは……」
扉を叩く音も無く、それが開かれた。
全員の視線がそちらに向けられる。
そこに立つのは、頭部のない呪痕兵。
そしてそれが押す車椅子に乗った、黒い髪の少女だった。
両足共に膝から下は無く、左腕も肩から下は無い。
喉元には裂けたような大きな傷跡が残り、鼻と口元を隠すように銀糸で織った布が当てられている。
口元の布と同じ色の、耳あてと目隠しとが一体化した保護具の位置を、唯一健在な右手で調整し。
額の右寄りの部分から伸びる一本の角は、やはり銀色の、しかし金属製の彫刻の施された筒で覆われている。
そして彼女は右手を振り、
『やほー、お待たせー』
気の抜けるような念話と共に、少女は彼らに首を傾げた。




