第九十四話 一難は去って
岩山は沈み消え去り、緩やかに土の地面が返ってくる。
彼女の降りる先、ブラックウィドウが視認できるようになった。
その前方に、エウロパがゆっくりと着地する。
立って着陸することはままならず、そのまま彼女は地面へとへたり込んだ。
ただ意識はあるようで、立ち上がろうとするがそれは上手くいかないようだ。
車両後部より、ヘルムートが飛び出す。
彼女へと手を差し伸べ、エウロパは苦笑いを浮かべつつそれを取った。
何とか立ち上がる彼女をヘルムートが支えたところで、マコトたちが合流する。
「ロパ姉! 今の……!」
「いや待てイオの嬢ちゃん、言いたいことは分かるが、今はジェインを……」
「大丈夫です」
足元をふらつかせながらも言葉はしっかりと、エウロパは言った。
「治療は完了しました。もう大丈夫です……ライムさん、様子を見てきてもらえますか?」
「承知致しましたっ」
一も二も無く彼女は頷き、そのまま車内へと駆け込む。
「マリエンネさん、カリスト姉様達と合流してくれませんか。一度途切れた念話は繋げ直さないと通じないので……マコトさんは、『鳥』でリアナさん達を見つけてください」
『……分かった』
金の鎖が、エウロパの指から延び、皆の胸元へと消えていく。
緋緋色甲冑越しながら、何か言いたげな視線を彼女へと向けるが、それどころではないというのは分かっているのだろう、マリエンネは首肯し、宙へと舞い上がった。
微かな呟きを残して。
『慈悲』の言葉が本当ならば、彼女は未だ健在なはずだ。
そして『七曜』らの撤退も本当であるならば、『慈悲』らも消えているはず。
発見さえできれば、合流は容易い筈だ。
「了解」
彼もマリエンネ同様、聞きたいことは多々あるのだろうが、それを飲み込み頷く。
彼女の残した呟きも、一緒に飲み込んで。
そしてライム同様、ブラックウィドウ車内へと入っていった。
「……大丈夫か、立ってられるか?」
「……すみません、ちょっと覚束無いようです」
ヘルムートの問いかけに、彼女は苦笑いを浮かべつつも、そう正直に伝える。
彼はそのままエウロパに背を向け、しゃがみ込んだ。
見えてはいないだろうが目礼をし……その背に倒れ込む。
妙な表情を浮かべるイオに、ヘルムートは軽く肩を竦めた。
安らかな呼吸音をたてるジェインの枕元に跪き、ライムは安堵の吐息を吐いた。
呼吸は安定しており、出血も治まっている。
エウロパの言った通り、別条はないようだった。
自らの手を見下ろす。
己の心を反映してか、右手も左手も、静謐そのものだった。
そっと彼の手を取る。
手を、取れた。
ライムはそれを、己の額に押し付ける。
ぴくりと反応する、彼の右手。
驚き視線を上げれば、額に当てたはずのジェインの手は彼女の前髪をかき上げ、そのまま頭頂をゆっくりと撫でた。
薄く目を開き、微笑する彼。
ライムは表情をくしゃりと顔を歪め、泣き笑う。
「よかったぁ……っ」
……震える声でそう呟く彼女の、その背を見ながら空気を読んで、マコトはギニースの座る運転席の隣の助手席にそっと腰かけた。
こちらを見る彼女に、彼は上を指差し、目を瞑る。
技法『鳥散望視』を利用し、マコトの意識は空へと飛んだ。
それと入れ替わるように、そして空気も読まず、エウロパをおぶったヘルムートがどかどかと乗り込んでくる。
非難がましい視線がギニースから飛ぶが、彼も後部座席の様を見、ばつが悪そうに一瞬立ち尽くしたが、少なくともライムが動じた様子もなかった。
頭を掻き、気を取り直してエウロパを適当な座席に座らせる。
「大丈夫か?」
「ええ。何というか……体がびっくりしただけです。疲労や、体調不良は……ないと思います」
「そうか……本当にそれだけなら、良いんだが」
「確かに。私も何が何だか、ちょっとわからないくて……」
「そうなの?」
遅れて乗車してきたイオが、眉を顰めて言う。
「ええ。ジェインさんを治療しようと考えを巡らせているうちに、何だか突飛な方向に思考が飛んでしまって……結果的に、ああなりました」
「そうはならないでしょ……」
「なっちゃったんですよねぇ」
呆れる彼女に、益体も無しとばかりにエウロパは答えた。
「というかですね……私も何がどうなったのか、本当に分からないんですよ。私、どうなってたんですか? 何か妙な全能感とういか、万能感に陶酔していたような覚えはあるんですが……」
本当に困惑しているのだろう、両手で頭を抱える彼女を前に、ヘルムートとイオは視線を交わす。
そんな彼女らの前に、一枚の仮想窓が浮かび上がった。
「これ。マリーさんが、送ってくれた」
ギニースが、緋緋色甲冑経由で取得した先ほどの映像を、仮想窓へ投影する。
胸元のエウロパを核として立ち上がった銀と七色の光の巨人、それが地面を掬い上げるような仕草をし。
巨大な鹿獣の動揺が見て取れ、ややあって撤退していく彼ら。
一連の流れを、エウロパは声も無くじっと見つめる。
「……どう? 何か思い出した?」
イオの問いかけに、しかし彼女は首を振って答えた。
***
『マリー』
彼女のヒヒイロ甲冑を『鳥散望視』で誘導しながら、マコトは念話を飛ばす。
『ん』
言葉少なく応じるマリエンネ。
らしくない物言いに、彼もさっきのつぶやきは聞き間違いではないと確信した。
『無為なるマナの誘引者って……言ったよな』
『……うん』
ためらいがちに、彼女は肯定する。
『さっきのあれを認識した時のあたしの目、あの時とおんなじ反応だった』
『あれ』
『うん』
『……エウロパ』
『うん……ま、それがどういう事態なのか、わかんないんだけどね!』
深刻ぶっても仕方ないとばかりに、最早何時ものように、何も知らない彼女はそうあっけらかんと答えた。




