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第八十話 泡沫の夢を垣間見て

 彼は疑念を持っていた。

 物心ついたころから、彼は常に、それを持っていた。


 鹿獣人族ハウアーに生まれた彼は、当たり前の様に周囲にある主従関係に、疑問を感じていた。

 それは彼が獣人族でありながら、ドゥルス族として生を受けたためかもしれないし、或いは単純に感性が他と異なっていたためかもしれない。


 エルゥ氏族『プレゼビディア』。

 火王国と木王国の国境付近の森林に居を構える氏族であり、信仰する植物『破甲の花』の特殊性もあり、最も繁栄したエルゥ氏族と言われていた。

 だがその実態は、単なる麋鹿のみならず鹿獣人族すら使役していたという事実によるものだった。


 子供のころから彼は、それについて言い聞かされていた。

 伝統、習慣、慣例、掟。

 言い方は様々だが、内容は同じ。

 エルゥに従属し、奉仕し諂う。

 ただそれだけだった。

 それだけをただ、彼に教え続けた。

 彼がドゥルスとして生を受けたにもかかわらずそのことを何ら特異なものとせず、ただこれまでの事と、これからの事を訴え続けていた。


 彼は疑念を持っていた。

 生まれながらに敷かれている道に、憤りすら持っていた。

 だが自分以外、誰一人としてこのことに疑いを持っていない。


 成人してエルゥに仕え、奉仕する。


 確かに生活は安定しており、飢えることもない。

 だが明らかに、生きるにおいての差があった。

 雨風を凌げるだけの掘っ立て小屋に住まい、床もない土間で藁を敷き寝食し、日も昇らぬうちからエルゥの集落へと赴き、日暮れに戻る。


 成人すれば、自分もそんな生活を送ることになるのか?


 彼らはそれ以外の何も知らない。

 例え知るを欲しても、その術さえもない。

 プレゼビディアを繫栄させる為の労働力、正に飼い殺しではないか。


 幼少のころからの教育も、彼の疑念を修正することは出来なかった。

 もしかすれば、それに染まってしまえば、思い悩むことなどなかったのかもしれない。


 だが、そんなことは真っ平ごめんだった。


 何故従わなければならない。

 どうして皆、それを疑わない。

 それともこんなことを考える自分が、間違っているのか。


 答えるものはいない。


 自分と、それ以外になってしまった彼に、疑念を問い質す者も、相談できる者も、ありはしなかった。


 あの日、あの声を聞くまでは。


 十三歳の成人の日を間近に控え、彼は近日、伝えるべきエルゥの元へ表敬に訪れる事となっていた。

 彼の疑念は、何一つ解消されていない。

 それを納得することも、それが解消することもなく。

 伝統、習慣、慣例、掟。

 そんなもので敷かれた道を、歩くしかないのか?

 夜空を見上げ、懊悩する。


 ――聞こえているかしら。

 

 そんな彼の脳裏に、唐突に声が響いた。

 ついに自分がいかれてしまい、幻聴を聞き出したのかと別種の疑念が彼を襲う。


 ――聞こえていらっしゃるかしら? もしもそうなら、お返事いただきたいわ。


 幻聴ではない。

 彼は後ろを、自分の集落へと振り返った。

 特段の騒ぎはない。

 幻聴ではなく、集落のものにも聞こえていない。

 ますます危ない兆候にも思えるが、最早彼は自らを集落の一員とは思えていなかった。

 自分にしか聞こえない声、そんなものもまあ、あるのかもしれない。


『……どなたですかねぇ』


 ばかばかしいと思いつつも、彼は脳裏のそれに返事を返した。


『……』


 返答はない。

 自分だけに聞こえる声、そんなものは所詮、都合のいい妄想でしかなかったようだ。

 苦笑して、彼は寝床に戻ろうとする。


『……! ああ、よかったですわ! 久方ぶりの返答! 心が躍りますわね!』


 だがその声に、先ほど前の遠鳴りの様な声ではなく、明晰なそれが彼の脳裏に返ってくる。

 狂喜を帯びた声音に、彼は頭痛に似たものを覚えて側頭部に手をやる。


『それはよかったですねぇ』

『ああ失礼、名乗りが遅れましたわね。私はパメラ・ダンクルベール。ドゥルスの同志を探しているものですわ』


 姿も見えぬ、肉声すらもない念話でのやり取り。

 それがヴォルフラムとパメラの、初めての邂逅だった。


***


 殴り飛ばされ錐もみしながら、彼は覚醒する。

 意識が飛んでいたのは、ほんの一瞬の事だったようだ。


『相変わらず、人を煽るのがうまいね、マコっちゃん』

「僕は軟弱者だからね、口でも仲間でも、使えるものは何でも使う主義なんだ」


 不意の一撃を喰らわせたマリエンネの叩く軽口に、少年がしゃあしゃあとそう言ってのけるのが聞こえる。


『ヤな英雄』


 愉しげに言い、彼女は追撃に動いた。

 それに応じるかのように、ヴォルフラムは宙で身を捩り、迎える様に伸びる破甲の花の幹へと両足で降り立つ。


「『慈悲(マーシー)』!」

「はい、ヴォルフラム様」


 彼の叫びに、慇懃に答える『慈悲』の声。


「今の任務を棚上げして、()()()を抑えてくれますかねぇ!」

「……承知しました。『門』を使用しますぞ?」


『慈悲』の言葉に、彼は顎をひいた。

 ヴォルフラムの体に、紅い光が奔る。


 ()()


 そしてその身がぶれるように震え、ずれていく。

 ずれて彼の隣に現れたのは、人の形をした呪痕兵。

 いや。

 白の地に銀と虹の輝きが奔る、聖痕兵。

 その頭部には渦巻く呪痕の代わりに、男性を模した凹凸が刻まれている。

 そしてそれと同時に現れる、獣型呪痕兵の群れ。

 その数は優に五十を超えている。


「聖痕兵『慈悲』、並びにコクマー、ケセド、ネツァク小隊、罷り越してございます」


 手にした黒い杖をくるりと回し、それは恭しく一礼した。

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