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第六十五話 願わくば良き先を見て

 宛がわれた自室の寝台に腰かけ膝に肘をつき、組んだ手の上に鼻を乗せて、ジェインは窓の外を見つめる。

 西の空。

 見えるはずのない、自らの祖国の光景をそこに夢想して。


「……眉間に皺が寄っています。お怖い顔をされていますよ、ジェイン様」


 何時の間にか、彼の傍らにはいたのはライムだ。


「ライム殿、どうされましたっ」


 目を丸くして、彼は問う。


「居室の戸が半開きになっておりました故、お声がけしたのですがお返事がなく……さりとて気配はされていましたので不審に思い、僭越ながら入室致しました。過ぎた真似を……」


 身を縮める彼女に、ジェインは大仰に首を振る。


「ご心配をおかけしまして、申し訳ございませんっ! 少し、考え事をしておりましたっ!」

「考え事、ですか……御隣、宜しいでしょうか」

「どうぞっ」


 ジェインは少し端に寄った。

 その隣に、ライムは腰掛ける。


「御国のことですね?」

「その通りですっ! こう目と鼻の先に目的地があると思うと、矢も楯もたまらず遮二無二駆け出したくもなるのですがそうもいかずっ!」


 既に八十日近く、一切内部の情報を持ち出せていないのだ。

 無策に飛び込むのは下の下と言える。

 だが彼の心が逸るを咎めるのは、些かに狭量だ。


「小生は我が王より拝命受けし特務騎士っ! 軽々に動き、失策を犯すことなどあってはありませんのでっ!」


 それでも彼は、そう言うのだ。


「敬愛されているのですね、王を」


 ライムは己の主を想う。

 きっと彼も、同じように想っているのだろう。


「はいっ! ライム殿がクラリッサ殿を想うように、小生も我が王を想っていますっ!」


 ライム殿がご不快に思われるなければいいのですが、とやや気まずげに付け足すのに、彼女は目を見開き、そして笑った。

 その反応に、ジェインは首を傾げる。


「不快などと。僭越ながら私めも、同じことを考えておりました故」


 行方の知れぬ主を想う。

 似た者同士の、おんなじの思考だった。

 成る程、と彼は言い、安堵したように微笑む。


「ですからジェイン様の祖国奪還には、私めも微力を尽くします」

「心強いお言葉ですっ!」


 ライムの提言に、ジェインは嬉しそうに頷いた。


 ここからだ。

 国境を閉ざしていた霧の結界は晴れ、本土へ至れるようになった。

 各国はそれぞれ斥候部隊を派遣し、その情報も近く共有されるだろう。

 首魁への道程を算定しそれを討ち、そして白き立方体の驟雨を、『国落とし』を防ぐ。


 そんな展望に、そんな先の事に、心を馳せることが出来るようになった。

 そしてなまじそれ故に、雑念に心が惑っている。

 先の事を演算することこそ本領なれど、それ故にちらつく懸念もある。

 大事を前にし、余りにも卑小な私事が、過るのだ。

 自分が王を敬う様に、愛する様に、敬愛する様に。

 隣に腰掛ける少女もその主を、敬い愛し、敬愛しているのだ。


 当然であり、それ故必然が脳裏をよぎる。

 全てが果たされれば、自分は王に再び傅き、彼女はそして。


 再び険しくなっていく彼の肩に、ライムの頭がことりと収まる。


「っライム殿っ?」

「止めませんか、先の事を考えるのは」


 目を閉じジェインへと重心を預け、彼女は言った。


「私めは無学故、全てを理解はしておりません。それでもジェイン様の力の源が、その明晰な思考であることは理解しております」

「……」

「その上で、申しあげます。止めませんか、未来に想いを馳せるのは」

「……何故、そのようなことを」


 絞り出すような声音で、彼は言う。


「いえ、想いを馳せるのならば、良いのです。ですが」


 頭をもたげ目を開き、ライムは彼を見上げた。


「そのような顔をされるのならば、そのような思いを抱くのならば」


 彼女は笑う、寂しげに。


「私めらは、出会わなければ、良かったのでしょうか」

「そのような事っ」


 咄嗟にそう声をあげ、反射的に彼女を見下ろす。

 ……視界が、彼女で埋め尽くされる。

 彼女は再び、目を閉じていた。

 だから彼も、目を閉じる。

 二つの影が、一つとなった。


 ややあって、一つの影が二つとなる。

 目の前には彼がいて、目の前には彼女がいた。


「……このような未来は、見えていましたか?」


 頬を染めてはにかんで、彼女は言い、


「望外です」


 と目を細め、面映ゆそうに彼は答えた。

 ライムは頷く。


「それならば、きっと。今はまだ、思いもよらない未来も、あるやもしれません」


 彼も彼女も、笑って終われる、そんな未来が。


 ジェインはそっと、ライムの体を引き寄せた。

 そしてその背に手を回し、抱きしめる。

 彼女に最早、驚きは無かった。

 首筋に、彼の吐息があたる。

 ああ、と。

 彼女は思う。

 もしこの腕で彼を抱きしめることが叶うなら、どれほどに幸せであるだろうかと。

 そんな陶酔と共に彼女は目を閉じ、彼の胸にその身を委ねた。

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