第五十九話 今はまだ、道の半ばで
ライムは、半目を開いた。
ジェインに倣い瞑想の構えをしたものの、そういった修練の下地の無い彼女にとっては、ただ座っているに等しい行為と言える。
その為、マコトらの会話は丸聞こえであり、そしてそれはおよそ無視することは出来る内容ではなかった。
それ故に、話す時機を逸してしまったある事柄についての罪悪感が、改めて胸の内に擡げる。
ちらりと、隣で目を瞑り座す彼を見た。
こちらの様子を知ってか知らずか、ジェインの様子は変わらない。
「ジェイン様」
心苦しく思いつつ、彼女は囁くようにその名を呼ぶ。
「はいっ」
構えていたかのように即座に、ジェインの返答があった。
その反応にやや面喰いつつ、ライムは小さく言葉を続ける。
「御相談、したいことが」
「分かりましたっ」
目を開き、足を崩して彼は即座に立ちあがった。
「マコト殿、小生、少しばかり外の空気を吸って参りますのでっ!」
笑っていない笑顔を浮かべる彼に、ジェインはそう声をかける。
「あ、うん。わかった……ライムも?」
「はい、私めも……」
「わかった、余り離れないように。それと街には……ってジェイン君がいるから大丈夫か」
「はいっ! お任せくださいっ! ではライム殿っ」
彼の呼びかけにライムは頷き、同じく足を崩して立ち上がる。
口々にいってらっしゃいと言う女性三名の、どことなく生暖かい視線を感じながら、二人は降車した。
シャコルナクとは反対方向の、昨夜の戦場となった平原へと肩を並べて歩を進める。
空は青く澄み渡り、まばらに浮かぶ雲は眩しく光を照り返していた。
ブラックウィドウからある程度離れた、幸運にも残った木立の下で、ジェインは拘束服姿の少女に向き直る。
「マコト殿の事ですねっ?」
彼の第一声に、ライムは目を丸くした。
「……『手』の事だとは、思われませんでしたか?」
「はいっ! ここ最近、何故だか少し先の事が判るようになってきておりましてっ!」
「……」
何というべきか、彼女は言葉を淀ませる。
「まあ、それは一旦置いておきましょうっ! クラリッサ殿のことですねっ?」
「……はい。その通りです。ジェイン様は、私めがこの世界に召喚された時の話を、覚えておられますか?」
「勿論ですっ! 人探しのさ中に、呼ぶ声を聞いたから、ですよねっ? 実は小生も、それが気になっておりましたっ」
人を探していた。
誰を?
彼女が探す人など、決まっているではないか。
「クラリッサ殿を、探されていたのですねっ?」
「はい。その通りです……」
マコトが元の世界に帰還してから、彼女の主はふさぎ込んでいた。
自室にこもり、一歩も外出せず、心通わせた少年を、想っていたようだ。
ただ戸外に置かれた食事は無くなっていた為、危惧することは無いと、ヘルムートも考えていたようだ。
いずれは立ち直り、何時もの日常に戻るだろうと。
しかし、彼女が引き籠って五日目の事、用意しておいた食事がそのまま盆に乗ったまま放置されていた。
呼びかけにも返事は無く、これまでになかった状況に、ライムはヘルムートを呼んだ。
彼の言葉にもやはり返答は無く、意を決して二人はクラリッサの自室の扉を開いた。
窓は締め切られ、窓の帳も落ちた暗い室内に。
彼女の姿は、なかった。
救国の英雄の失踪に、王国は上を下への大騒ぎとなった。
特に彼女の両親らはそれが顕著で、よほど手元から商品が消えたことに狼狽えたのだろう、千人規模の捜索隊を編成するほどだった。
周囲の騒動とは裏腹に、ライムと、そしてヘルムートは落ち着いていた。
無論彼女の身は心配していたが、分別の利かない子供でも、己の身を守れぬ無力な娘でもない。
信頼と、ある種の楽観があったと言える。
その内に、何事もなかったように戻ってくると。
それでもただ座して待つことが出来ないライムは、彼女の姿を求めて東奔西走し……
そして、呼ぶ声を聞き、それに応えたのだ。
「私めは、クラリッサ様を見つけ出す前に、この地に呼ばれたのです。つまり、私めは我が主の所在が今も、分からないのです」
俯き彼女は唇をかむ。
先ほどの、聞くとはなしに聞いていた彼らの会話。
マコトの心は、未だ彼女の、クラリッサの元にある。
それを嬉しく思う反面、彼女の去就を語れぬことが、ライムの心を締め付けていた。
彼の事を思うのであれば、話すべきだと思う。
しかし話したとて、クラリッサを探すことなど出来はしない。どうにもならない。
ならば今、そのようなことを打ち明けることに、意味はあるだろうか。
ただいたずらに、彼の心をかき乱すだけではないか?
「小生が思うに、マコト殿に話したとして、致命的なことにはならないでしょうっ! それは彼の情が薄いからということではなく、自制心からですっ! 伊達に職業英雄を名乗ってはおられませんよっ! ライム殿からすれば……」
彼の言葉に、なおも苦悩に眉根に皺を寄せている彼女へ、ジェインは諭すように言う。
「ライム殿からすれば、マコト殿は以前の世界で出会った少年の印象のままなのでしょうが、その目線で彼を測るのは間違いかとっ! 何かの拍子に知られるよりも、ライム殿、或いはヘルムート殿から話されるのが良いかと思いますっ!」
彼の言葉を信じるならば……もはや疑うつもりもないが……二百以上の異世界を渡り歩き救ってきた、筋金入りの英雄だ、英雄の玄人だ。
マコトの精神を信じるべきだと、ジェインは思う。
「……そう、ですね。きっとそうなのでしょう。弱いのは、私めの方なのです。クラリッサ様の御側にいながら、彼女の身の異変を、失踪を止められなかったことを咎められるのが、怖いのです」
「そうではないでしょう、ライム殿っ」
ライムの泣き言に、彼は否と首を振った。
「貴女は悔しいのですっ! マコト殿に、クラリッサ殿の今を、胸を張って話せぬことがっ!」
彼女ははっと、顔を上げる。
そうだ、その通りだった。
今更糾弾など、怖くはない。そしてそもそも、彼がそんなことをするはずもないと、分かっている。
ただあの二人に、未だ幸せな顛末が訪れぬことが、悔しいのだ。
ライムは目の端に涙を浮かべ、顔を伏せる。
瞑った瞳から零れた雫が、頬を伝った。
ジェインはそっと彼女の肩に手を回し、震えるその身を引き寄せる。
空は未だに、蒼かった。
「落ち着かれましたかっ?」
「……はい、情けない姿を御見せしました」
彼の肩に乗せていた頭をもたげ、ライムは答えた。
濡れた目頭を自らの肩に当てようとするも、それはジェインに阻まれる。
そっと当てられた彼の親指に、涙が拭われた。
ゆるゆると見上げてくる彼女に、彼は微笑んだ。
「小生で宜しければ、何時でも弱音は受け止めますのでっ!」
「はい、有難う御座います」
目を伏せ、やや掠れた声で言う彼女に、ジェインは彼女の背をぽんぽんと優しく叩く。
「先ほどのことは、ヘルムート殿にもお話を伺ってみましょうっ! その上で、マコト殿に明かすのが宜しいかとっ!」
彼の言葉に、ライムは小さく頷いた。




