第五十五話 恥じることない選択をして
飛び去る飛行物体を、ライムは張り詰めた表情で見送った。
振り下ろした巨大な光の右手を収束させ、戻す。
彼女の意志に反応し、白い拘束具が自動的に動いた。
両手が交差され、両肩へと袖口が持ち上がり、それを塞ぐ。
「……如何、でしたでしょうか?」
そこでようやく、ライムは深く息を吐き、ジェインに向き直った。
「はいっ! 素敵でしたっ!」
照れも臆面もなく、彼はそう、素直に賛美する。
彼女ももう、彼の表も裏もない言葉に慣れたものではあった。
少しばかりぎこちないながらも、微笑む。
「もうそれは、必要ないのではありませんかっ?」
再び仕舞い込まれたライムの両手の先を、彼はやや名残惜し気に見ていた。
「まだ、しばらくは……」
「いえ、慌てはしませんともっ!」
ジェインの言葉に、彼女はこくりと頷く。
そして彼の胸元に、とんと己の額を当てた。
「ライムさん?」
「ごめんなさい。少し、疲れました」
そのままずるずると、ライムの体がずり落ちていく。
ジェインは慌てて、彼女の背を抱き止めた。
意識を手放したライムの体を、そのまましゃがみ込み、横たえる。
その後頭部を自らの伸ばした左足の付け根に置いて、ジェインはぺたりと座った。
完全に日は落ち、無数の星々が夜空を照らしている。
彼女の照らす光とは比べるべくもないが、それでもその顔は見て取れた。
いっそ無邪気なほどにあどけない顔で、ライムは寝入っている。
くらくらとしたものを、ジェインは感じた。
それは感情からくるものだったのかもしれないし、単純に疲労からくるものだったのかもしれない。
俯き下を見たまま、それでも肘を張って身を倒さず。
眼前の光景をもっと眺めていたいのだが、思い付きで行った瞑想からの『古今到来』は、思いの外彼の肉体と精神を疲弊させていたようだった。
あとのことは、来るであろう迎えに任せ、ジェインの黄色の双眸は閉じられた。
***
白い牽引光に眩んだ視界が明瞭になる。
その上でドートートの目に映る光景は、尚も白かった。
ヒヒイロ甲冑より一回り大きい『ビヒモス』が、余裕をもって鎮座出来る程に天井は高い。
そしてその天井も、壁も、床も、いずれも白に染められていた。
ただ、それ一色かと言うと、そうではない。
群青色の角を生やした白衣姿の少年が腰掛ける椅子は水色で、彼の前の茶器は銀色の円卓に置かれていた。
頭に上っていた血は下がり、大きく息を吐く程度には落ち着いている。
ドートートは内部中央の、牽引光搬入口から『ビヒモス』を動かし壁際に寄せる。
「開口」
その一言で、前方の搭乗口が上へと滑り上がった。
やや難儀そうに彼が立ち上がると、可動式階段を押す人影が現れる。
それは押してきた階段を登り、手にした木製の白い杖をドートートへと差し出した。
「どうゾ」
「ああ、ありがとう」
礼を言う彼にその人影は、にっこりと笑みを返す。
「……目が笑っていないぞ、レラリン」
「失礼しましタ」
その指摘に彼女……レラリンは見開いた目を、線のよう細める。
奇妙に光沢のある水色と白の正方形を幾つも組み合わせたような上着と、同様の裳を穿き、靴は道化のそれのように先が尖っていた。
服装も奇妙だが、何よりも目を惹くのはその容姿だ。
服同様に水色の、肩まで伸びる髪と白い瞳。
そして額から伸びる一対の角。
……針金の様に細く、その先端は小さな黄色の球体が淡く発光している虫の触角のようなそれを、角と呼べればだが。
ドートートは受け取った杖を右手で突き、右足を少し引きずりながら彼女に続いて階段を降りる。
歩み寄る二人に、セルゲイは嗜んでいた茶器から顔を上げた。
レラリンに遅れて杖を突く、長身痩躯の青年。
金髪を後に撫で付け、額の中央から巻くように伸びる淡い緑に輝く角を露にしている。
茶色の鞣し革の外套に、白い襯衣、黒い脚衣で身を包み。
杖を握る手は、銀色と虹色の輝きを宿していた。
「手間をかけた、セルゲイ」
見た目の割に低い声音で、ドートートは頭を下げた。
彼の言葉にセルゲイは首を振り、着席を促す。
「いい葉が手に入ったんだ。飲むだろう?」
「ああ、頂こう」
大きくもない円卓の対面の席に着き、ドートートは頷いた。
卓の中央が開き、皿に乗った茶器がせりあがってくる。
そしてそれは自ら滑るように、彼の前へと移動した。
「……これで三つ、塔は落ちたか」
「そうだな、これで霧の結界は維持出来なくなる。二日ほどは、残滓があると思うけど」
立ち上る湯気の源に視線を落として言うドートートに、セルゲイは同調する。
「まあ、十分時間は稼げたよ。『落つべき代陸』は七割方完成した。君にラボ入りして貰えば、手遅れになることはないだろう」
「塔が落ちたのは、いい機会だと? 楽観が過ぎる気がするが。俺の迂闊があったのは否めんが……手強いぞ」
「分かっている。その対策もとってるよ。『月』と『日』は結界塔から引き上げてる。連中が馬鹿でなければ斥候を放つだろうが……それの対応に回す」
その言葉に、茶器を持ち上げかけていたドートートの動きが止まった。
「……凄惨なことになりそうだな」
「まあ、ね。それに例の新型も配備してる。あの二人が出るのは、彼らが来てからになるかもね」
「そうか。それは朗報だな。パメラの奴も報われるだろう」
「どうかな。キーキー言うかもね」
肩を竦めて言うセルゲイに、軽く笑って彼は茶器に口をつける。
「……美味いな」
「だろう?」
「あの方にも、飲んでいただきたいものだが……」
言ってドートートは、ちらりと彼に視線を向けた。
「難しいね。『赤』は日に日に眠りが長くなっている。三日に一度、目覚めてくださればいい方だ」
「……そうか」
彼は視線を、目の前で湯気を立てる赤い液体に落とす。
「限界は近い、でも今ではない。それはこの世界も同じ事だ」
セルゲイは言う、言い聞かせる様に。
「『完熟』の時は近い。しかしそれにて、何が世界の滅びなのだ? 熟れたる果実は、落ちるのみということなのか? 奈落に堕するが世界の滅びであると?」
「わからない。まだわかっていない。でも、潰えることを確信している。君も俺も、彼らも、あの方も。だからこそ」
言葉を止めて、彼は自らの足を見、そしてドートートの卓に置かれた両の手に視線を転じた。
「それを、賜った。俺たちが信じているのは滅びではない、あの方だ。そうだろう?」
「ああ、その通りだ」
「貴方たちだけでしたラ」
セルゲイの隣に、レラリンが腰掛ける。
「何時でもこの果実よリ、連れ出せますヨ?」
「出来ん相談だな」
彼女の提案に、ドートートは否と首を振った。
追随するように、傍らの彼も頷く。
「答えは変わらないのですネ。私もこの身を頂いたのでス。感謝の意は、示したいのですガ」
「君は十分に報いてくれているよ、レラリン。今の一手を打てるのは、君がもたらした技術のおかげだ」
「そしてその上で……あの方の言葉を借りるのならば」
セルゲイとドートートの、視線が交わる。
「身内の救済だけで、良しとするわけにはいかない」
「……お天道様が、見ているのだから」




