第五十三話 ひかりのて
エウロパの飛行魔法に連れられて、ヘルムートは城壁より飛び立った。
二人の後を追って、マコトは『移風同道』で風を蹴る。
『流石に、あれは邪魔だな』
整然と行進する眼下の呪痕兵達を見、ヘルムートは口をへの字に曲げた。
『僕がやりましょうか?』
『いや、これ以上『知恵の実』に精髄を留めておけないからな。俺がやる』
マコトの進言に彼は否と首を振り、黄金に輝く果実の模型……『知恵の実』を握り締める。
精髄とは、価値有る物を価値無き物に成り下げた際に生じる差分だ。
文字通りの物体の『存在価値』であり、純然たるマナの塊である。
それを用いて、彼は独自に体系化した術を行使する。
「偉大に偉大を重ね重ねて、三に倍する偉大と為して」
ヘルムートの言葉に、『知恵の実』より黄金の粒が無数に立ち昇った。
彼らの頭上で、それは巨大な正三角形を為す。
右手の木剣を、彼は振り下ろした。
それを合図として、無数の光の雨が呪痕兵達へと降り注ぐ。
黄金の驟雨に曝され、後詰の兵達は瞬く間に洗い流されていった。
『……すごい』
目算三百は下らない数のそれらが、殆ど一瞬で掃討される様に、エウロパは唖然と呟く。
『だがさっきので、殆ど精髄は使い果たした。それに何より、こいつは下準備だからな。……降ろしてもらえるか?』
『あ、はい』
頷き彼女はヘルムートを伴って、地上へと降下していく。
『僕はここから気を引きます』
言ってマコトは、『ジニアス』を構えた。
地上に降り立ったヘルムートは、手にした木剣を地に突き立てる。
それを右手で逆手に掴み、左手の『知恵の実』を掲げた。
それと同時にわずかに残った黄金の光が、完全に喪失する。
精髄に加えて己のマナも費やして、木剣を中心に金色に輝く光の方陣が広がっていった。
先ほどの積み上げた呪痕兵を鉛へと成り下げた際の規模など比較にならない、巨大な錬成陣が土中へと潜り込んでいく。
『ビヒモス』に至り、それすらも追い越して。
エウロパの眼前で、世界は鈍色へと染まっていく。
『じゃあ頼んだよ、二人とも!』
『承知致しましたっ!』
『はい』
ブラックウィドウの運転席の窓から右手を突き出し親指を立てるイオを見送り、ジェインはライムに向き直る。
「……よろしいのですね?」
改めて問いかける少年に、彼女はやや強張った顔で、しかし頷いた。
「リリラララララ、です」
そんな少女に、ジェインはそう言って頷き返す。
ライムははっとした表情を浮かべ、ややあって思い出したように微笑んだ。
「はい、大丈夫です……お願いします」
「……」
彼はしばし瞑目し、そして改めて目を見開く。
目の前の少女の表情に、硬いものはもはやなかった。
「第二種中層封印、解除」
音を立てて、彼女の腕の拘束が解かれる。
露わになる、両の手を見下ろし彼女は、りり、らららららと口遊んだ。
光の右手と闇の左手は、驚くほどに静謐だった。
その様子を見てジェインは彼女と同じように微笑み、その背へと歩みを進める。
そんなさ中、マコトからの念話が響いた。
『マリー、ギニースさん!』
それと同時に遠方に飛ぶ炎の翼は彼らとは反対方向、南へと離脱していく。
大口径の対物銃の引き金が引かれ轟音が響いた。
前回と同様、『ビヒモス』はその構造を崩し、その銃撃を回避する様を見。
『今!』
マコトの合図に、ライムは右手を振りかざした。
***
黄金の光が、呪痕兵達を蹂躙していく。
殿に配置していたそれらが、一瞬にして瓦解した。
『何だあれは……聖痕無くして、あれほどのマナをどうやって捻出したのだ?!』
信じ難い眼前の光景に一瞬気を取られるも、しかし目の前を飛び交う彼女らを忘れるほどの事ではない。
そしてその先に浮かぶ、長銃を構えた少年の姿も。
ギニースとマリエンネが、転進する。
それと同時に乾いた、しかし重い発砲音と共に、紅い弾丸が飛来する。
先ほどの射撃で、あれの威力は概ね推察できた。
あの弾道とあれの威力を鑑みれば、恐らくは『土天蓋鳴』を突破し、『傅く害悪』の過重による偏差を加味しても命中弾と成り得るだろう。
だが、先ほど躱した攻撃を、再び何の捻りもなく放たれたところで当たる道理はない。
ドートートは再び構造を崩し、危なげなくそれを回避をした。
『無駄なことを……』
失笑と共に、彼は『ビヒモス』を三度再構成する。
そこでドートートは、いやに周囲が明るい事に気が付いた。
日は傾き、西の空が紫色に煙る時分だというのに、世界が真昼の様に照らされている。
訝し気に、彼は頭上の映像を眼前に呼び出す。
そこに映し出されたのは、自身に迫り来る、光り輝く巨大な掌だった。
『なぁ……?!』
咄嗟に『ビヒモス』を崩そうとするが間に合わない。
いや、崩していたとしても、何の意味もなかっただろう。
大きく開かれたそれは、その指先で猛禽の爪の如く鉤を為し。
光の手は、完全に土の巨人を握り締めた。
『うおおおっ?!』
表面の土石は熱に焼かれ陶となり、その握力は既に『ビヒモス』本体にすら影響を及ぼしつつあった。
ドートートは脚部より土石を吸い上げ体積を増し、その掌を内側からこじ開けようとする。
だがその足元に、大地は無い。
あるのは荒涼とした、鈍色の地平のみ。
『何だこれは?!』
『ビヒモス』を中心とした周囲一帯の地面は、ヘルムートの錬鉛術により一面鉛の床となっていた。
深く掘れば、無論土石にたどり着けるだろうが、今のドートートにそんな猶予はない。
『ちぃぃぃぃっ!』
『ビヒモス』の構造体を操作し蠕動させ、彼は『掌』の端より尖塔の先端と、本体を排出させた。
それらはなす術もなく、鉛の大地に転げ落ちる……ことは無かった。
ドートートの目の前で、尖塔が消える。
そして何事か把握する暇もなく、待ち構えていたかのように何かが上空より迫りつつあった。
イオの放った迫撃砲だ。
巻き起こる衝撃波に、『ビヒモス』本体は吹き飛び転がる。
『しまった……制御回路と中枢は!』
光の手の事すら忘れ、彼は周囲を見渡した。
黄金の正三角の浮かんでいた城壁側、その一角に石造りの尖塔先端が転がっている。
エウロパの『取り寄せ』だ。
そしてそれを、巨大な手……未だ頭上にある光るそれとは比べるべくもないが……『悪鬼螺鈿の偽腕』が握り。
静止の声を上げる暇無く。
それを握り潰した。
『……っ!』
頭に血を登らせたドートートは、『ビヒモス』本体を加速させる。
土石で構築した外観をそのまま縮めたような、白く輝くそれ。
その進行に待ったをかけたのは、空からの闖入者だった。
白い牽引光が『ビヒモス』を包み、それを上空へと攫っていく。
『セルゲイ?!』
『ここまでだろう、ドートート』
『しかし!』
皆まで言わせず、セルゲイの駆るU.F.Oは、鋭角も鋭く軌跡を描き消えていった。
勝利の感慨に浸ることすら許さない、余りにも鮮やかな逃走だった。




