第五十二話 異界の知啓を寄り合わせて
「お二人とも、お話は後で」
エウロパの声に、顔を見合わせていた男二人は我に返った。
「おっとそうだな。どうなった?」
「位置が悪い……本体は巻き込んでないでしょう」
球状に広がる青い光は、ぎりぎりのところで地上にまで範囲が及んでいない。
今までの『ビヒモス』の動きからして、本体は分離した土の山にあるはずだ。
そしてそれを証明するかのように、土の巨人が再構成される。
『キリがありませんね……地面がある限り、根絶することは不可能ですか』
『私の糸も警戒されている。二度目は難しいな』
『すみませんカリストさん、糸を巻き込んだと思うんですが』
『気にするな、問題ない。問題は目の前のあれだ』
カリストの糸の呪縛から解き放たれ、大きさすら増す『ビヒモス』の姿。
領域も健在のようで、振り撒かれる土の結界は勢いを増している。
『周りの土をいくら削っても無意味に等しいようですから、小生もこれ以上の成果を出すのは、今は難しそうですっ!』
『向上心があっていいな少年。しかし、どうしたもんかね』
『……あの再生をどうにかする手段はありそうです、ヘルムートさん』
『ん? 俺か?』
マコトからの言葉と視線に、彼は首を傾げる。
『ええ、鉛を敷いてください』
『……ああ、そういうことか! あとで街の奴らに文句は言われそうだが……』
『それは未来のヘルムートさんにお任せしましょう』
『お前な……まあいい。問題はその先だ、再生を防いだとして、どうやってとどめを刺す?』
根本的なヘルムートからの疑念に、念話が一瞬途絶えた。
『補給、終わり』
『実質的にドーさんの領域内でまともに行動できるのは、あたしとギニちゃんだけでしょ。正直あたしもちょっと怪しい感じだけど……』
『あの』
控えめな念話が、割って入る。
『ライム?』
『私めが、本体を絞り出します故』
彼女の発言に、怪訝となる一同。
『……『右手』を使うつもりか?』
そしてその意図をいち早く察知したのは、ヘルムートだった。
『はい』
『いいのか?』
『はい。いざとなれば』
ライムは一度、息を継ぐように念話を止めた。
『責任を分かって下さる方も、おります故』
その言葉に、ジェインはすと目を開き、傍らに座る緑の髪の少女を見た。
彼女の金色の瞳と、彼の黄色の瞳が交錯する。
『ええ、勿論っ!』
何時もの様に快活に、ジェインは応えた。
そのやり取りにヘルムートは目を細め、隣を見る。
その視線に、マコトは笑みを浮かべて頷いた。
『……いい出会いがあったようで、何よりだ』
『ねえそれよりもさ、やること決まったならさっさと動いた方がいいと思うよ』
ヘルムートの感慨をぶった切って、マリエンネが言う。
『このままだと、多分ドーさん……』
***
……撤退すべきか?
再構築した『ビヒモス』内部で、ドートートは冷静にその選択を検討していた。
そもそも彼が本陣率いてシャコルナクへ攻め入ったのは、悠長に内乱など起こした月王国の前線に引導を渡すためだ。
更に言うのならば、それが最も楽に相手方の戦力を削げると判断したためだった。
だが蓋を開けてみれば、斥候の呪痕兵部隊を派兵したあたりで内乱そのものは下火となり、ドートート本人が都市を確認するころには終息すらしていた。
挙句の果てには、マリエンネを絆した木王国の部隊すら合流してくる始末である。
最早内乱とやらは彼をおびき寄せる罠だったのでは、という疑念さえ湧いてくる。
流石に考えすぎではあるだろうが。
シャコルナク内の避難は概ね完了したらしく、その上で援軍は都市入りはしていないようで、召喚できる呪痕兵の数もそう多くはない。
それどころか分身する少年騎士の存在をを鑑みると、下手をすれば数の上で劣勢にすらなりうる状況だ。
防衛術式の変更も不可能ではないが、混沌領域の維持をしつつとなると、滞りなく行えるものでもない。
確実な有利を取れる状況ではなくなった以上、この戦場に拘る必要は無いと言えた。
ドートートそう結論付け、殿に呪痕兵の部隊を招集し、転進を決断する。
『ドーさんの始めた戦闘でしょうがー!』
それを見越していたかのように、高速飛行する影が『大いなる世界』に侵入を果たした。
『傅く害悪』の権能を焼き尽くしながら、マリエンネを背負った緋緋色甲冑が、弾丸の如くドートートへと迫る。
『悪いな。何分、恥知らずなものでな!』
そしてこれは予想範囲の追撃だ。
というよりは、これしか手段は無いとも言える。
泥の触手を複数生み出し、それを取り押さえるべく展開した。
この状況は、悪くはない。
マリエンネは自身の領域の維持、こちらの領域の奪取に専念せざるを得ない以上、事実上の戦力は緋緋色甲冑……ギニースのみだ。
何名か城壁から降りてこちらに向かっているようだが、領域外からの攻撃は呪痕兵の部隊と、『土天蓋鳴』で締め出せる。
そして『糸』による不覚は、もう取らない。
伸ばした土の腕を幅広に変形させ、虫でも潰すかのように、合わせる。
緋緋色甲冑は急上昇してそれを躱し、そして再び断層投影光を照射した。
重要構造物たる尖塔と『本体』は土中の奥深く、生中な手段では到達できない座標にいる。
考えなしに突入したとて、途中で土の圧力に圧壊するだろう。
打つ手は、ないはずだ。
『おとなしく退かせてくれるなら、俺はこれ以上、何もしないが』
「ご冗談でしょ」
ドートートの言葉に、返すマリエンネの言葉はにべもない。
『だが君たちに、有効打があるとも思えないのだが?』
「そうだね、ないね、あたしたちには」
『……』
含みのある彼女の言葉に、ドートートは声もなく訝しむ。
はっと、彼の視線がマリエンネらの背後へと向けられた。
***
先に見た黄金の三角が、空へと生じる。
その大きさは前にも増して巨大であり、降り注ぐ金色の大雨は、文字通り呪痕兵達を洗い流した。
その光景に、ドートートは渋面を浮かべる。
彼をして原理不明の攻撃、場合によっては『ビヒモス』への決定打となるやもしれなかった。
マリエンネの意味深な発言は、このことを示していたのか。
だがドートートは知る由もなかった。
眼前の光彩陸離たる光景が、錬鉛術士の事前準備に過ぎなかったということを。
彼の側面を走るブラックウィドウから降り立った、一人の少女の翳した『右手』への、単なる目くらましでしかなかったことを。




