第三話 歓待に相伴して
「何も望まれないのですね」
陶器製の瓶に入った果実酒を酒杯に注ぎ、それを隣に置きながら彼女は言う。
異世界人目線でもわかる、明らかに豪勢な食事が所狭しと置かれている卓を見、肩を竦めて彼は返した。
「これ以上、何を望めと?」
顔合わせ、或いは情報のすり合わせが終わったあの後。
エウロパの案内の元、シンは用意された個室へと案内された。
英気を養え、ということなのだろう。入室と同時に控えていたのであろう女中達が大挙として現れ、次々と食卓の上を大皿で彩っては退室していく。
流石に一人ではどうにもできぬと、所在無さげにしていた彼女を呼び止め、共に遅めの夕食を摂る流れとなった。
「そういうことではありません」
軽く頭を振って、同じく注いだ硝子杯の中身を呷る。
エウロパに倣い、彼も酒杯に口をつけ、ちらりと左手の中指にはめた指輪を見やった。青い宝石が、天井の装飾灯の光を照り返す。
「では一体、僕が何を望むと?」
本気ともはぐらかしているともとれる微妙な声音のシンに、彼女はしかし、好奇の視線を向けた。
「……無私に無償で貴方は、見知らぬ世界の何処かの誰かのために、命を懸けようというのですか?」
「食事に屋根のある寝床を提供してもらっている以上、無償ではないと思いますが」
「こんなもの、必要経費でしょう。対価というのも烏滸がましい」
根菜と鶏肉の煮つけ取り分けつつ、エウロパはぴしゃりという。
印象は儚げながら、その実物怖じの無い言い様の落差に、シンは苦笑いした。
詰まるところ、確証が欲しいのだ。
この少年……あるいは青年の、無償の善意を信頼するだけの、経緯がない。
富か権力か、或いは色でもいい。
欲するを与える……代償を提供をする、そんな関係があれば、まだしも信用はできる。
が。
「富も権力も、必要ないですよ。生きてここに戻る心算もありませんし」
「……え?」
「僕の故郷に、『いい英雄は死んだ英雄』って言葉がありましてね。政治闘争の旗印になるなんて、真っ平ごめんです。仕事が終われば、お暇しますよ」
「色の否定はされないと?」
胸元を緩めて、そんなことを嘯く彼女。
「……人身による懐柔を是とする国家に、靡く所存はありませんよ」
言われて即座に、居住まいと襟元をただす魔法使いに、シンは苦笑を深める。
「覚悟があることを、手放しに見事とは言いませんが……」
再び料理をとりわけ出したエウロパを横目に、彼は続けた。
「何故矢面に立とうと?」
「貴方の」
給仕の手は止めず、彼女は答える。
「私を見る目が、他と少し、違う様に思えましたから。陛下にそう上申しました」
「そんな暇があったように思えませんが……」
『私にも、色々特技がありまして』
その一言は、耳ではなく、彼の脳裏に直接響いた。
思わずシンは、彼女を見る。
微笑み、エウロパは魚肉の油漬けを彼の前に置いた。
彼の表情が消え、前へ向き直る。
何を見るでもなく、皿から見上げてくる魚の頭が視界の真ん中となった。
会話が止まる。
シンはただ前を向き何も見ず、彼女はその横顔を見つめて。
「古い」
ややあって、彼はぽつりと呟く。
「はい」
「古い友人の、面影がありまして。それで少し、見入ってしまいました」
失礼しました、と彼はエウロパを見、頭を下げる。
彼女はただ、首を振った。
「色に興味がないとは言いませんが、まあ、そういうわけです」
彼のその切り出しに、エウロパの背筋がやや強張る。
その様子に、シンは少し楽しげに笑った。
「でもいずれ、報酬は手に入りますよ。例え僕が望まなくても、ね」
「どういうことです?」
気を取り直して、獣肉に大量の香辛料を塗し、窯で焼いたものに手を伸ばしながら、彼女は疑問を呈す。
「この国にもありませんか。岩に突き立った勇士の剣、湖の精霊より賜った神の盾、古代遺跡の碑文に残された古の技……そんな伝説やおとぎ話が」
「それは、勿論ありますが……」
訝しげに言うエウロパの前で、彼は何もない空中を人差し指と親指で摘まむ。
卓に置かれ小さな火の灯る燭台に、まるで弓で狙いをつけるかのように構え、弦の如く空間を引き絞る。
するとその空間は、まるで透明な膜か何かの様に引き延ばされていった。
辺りの景色が、蜃気楼の如く歪み揺らめく。
シンが指を離す。
歪みは元に戻るべく、急速に修復されていく。
その跳ね返りの反動を受け、標的たる燭台の火は、土台の蜜蠟ごと微塵に消え散った。
「『僭壁引鈎』。虚空に触れ、それを引き延ばし歪め、その復元時の反動を以って衝撃波を発生させるという技です。そして」
手を掲げる。それに呼応し、輝きと共に真紅の戦槌が現れた。
「これもそうです。ある世界で手に入れたおとぎ話のような武器。その地の『魔王』を倒すために必要な伝説の武器。選ばれし者の、武技」
やや自虐っぽく、シンは言う。
「どこも、そうでした。武具か、或いは技術か。僕にしか扱えない何かが。それが僕が、呼ばれる所以なのでしょうね」
「……ならばそれは必要な過程であって、報酬ではないでしょう」
再び酒杯を呷り、温野菜と卵黄の和え物を皿に盛りつつ、エウロパは唇を尖らせた。
「無私に無償で貴方は、見知らぬ世界の何処かの誰かのために、命を懸けようというのですか?」
同じ言葉をもう一度、彼女は言う。三杯目を呷りながら。
大して酒に強いわけではないのだろう、既に頭がふらふらと揺れている。
にも拘らず慣れない飲酒をしていたのは、酔わねばやっていられない事態を想定してのはずだ。
だが今は、疑念を問う弁舌に、勢いをつけるためのようだった。
「そうだと言っても、納得はしてくれないんでしょうね」
溜息交じりの彼の言葉に、彼女はこくと頷く。
手にした赤い戦槌を放り投げた。
それは光の粒子へと分解され、虚空へ消える。
「……僕にしてみれば、何処の誰とも知れない呼び声こそが、報酬なんですよ。故にこの場にいる事自体、私情であり報酬の先払いを受け取った結果なわけです」
「それは」
何なのですか、という続きの言葉が出る前に、エウロパの重い瞼が落ちた。
ぐらりと傾ぐ彼女の体を抱きとめて、聞かれることのない言葉を紡ぐ。
「期待だよ」




