第十八話 昔を話して
「人間大の生物にこれ使って、仕留め損なったの、初めてなんだけど……自信無くすな」
薄く苦笑を浮かべ、シンは腰の曲剣を弾く。
黒刀『無刃』。
彼が初めての冒険で、手に入れた代物。
瞬きほどの間しか引き抜くことが出来ず、それが過ぎれば独りでに鞘へと帰る、万物を断つ薄刃の曲剣。
「初めてが多いな、この世界。二番目くらいに、新鮮だよ」
そう嘯いて、そこで初めて、彼はマリエンネを見た。
「……っだ」
「ん?」
「そのっ、目だ……っ!」
歯を食いしばり、地にへたり込み、それでも彼女の気炎は衰えない。
「その目、その眼差し、その瞳! 貴様も同じだ、あの方と!」
敵を前にした警戒などもはやなく、マリエンネはただ彼を見据え、糾弾するかのように言葉を紡ぐ。
「それほどの力を持ちながら! それほどの技を持ちながら! 見合う武具すら持ちながら! 何故諦める! 何故絶望する! どうして悲嘆に暮れるのだ!」
彼女の絶叫に、シンの表情が強張る。
エウロパ達が、何事かと集まり始めた。
警戒はそのままに、彼女を取り囲む。
「義務感で! 使命感で! 己が内の虚無を押し潰そうとして! 嘘をついて! どこへ向かうことも諦念して! 足踏みするだけして見せて! 前を向いている振りをして!」
彼らの包囲など見えてはいない、マリエンネの言葉は、嘆きと慟哭は止まらない。
「何も伝えずひた隠して! それでも見捨てる事なんて出来ないのに! あたしは! あの方の御心を垣間見た! あの荒廃を! あの荒涼を! それ故この瞳を賜ったのだ! なのにどうして! お前がそんな目をする! 何であの方が! 何故だ! 何故!」
支離滅裂な言葉を吐いて、接いだばかりの両の手で幼子の様に、癇癪を起こしたかの様に、地を叩く。
「なぜだぁ!」
荒く息を吐き突っ伏して、彼女の動きが止まる。
硝子玉の様な瞳でマリエンネを一瞥し、彼は腰に佩いた曲刀を虚空に返した。
そして何となく空を見上げてから、再び彼女へと視線を落とす。
酷くくたびれた眼差しを。
彼女と、あの方と、恐らくは同じ眼差しで。
「昔話をしようか」
そんな様子とは裏腹の気軽さで、昼食の提案でもするかのように。
老人の様に、笑って。
彼は、言った。
***
昔々、あるところに、一人の少年がいました。
小さいころに読んだ頬に十字傷のある幕末志士の漫画の影響で、剣道と居合道を齧っていた事以外、特筆する点もない普通の少年でした。
高校入学して間もなく、彼は虚空より響く声を聞きました。
助けを求める声でした。
彼は思春期特有の病を患ったのではないかと危惧しましたが、ひっ迫した、それでいて細く可憐な呼び声を無視することは、到底出来ませんでした。
お天道様が、見ているのだから。
彼はその声に応えました。
気づけば彼は、異世界にいました。
腰まで伸びた白の髪。
宝石の様な、真紅の瞳。
色素の薄い、どこか浮世離れした、しかし可憐なかんばせ。
少年は少女に一目惚れしました。
異世界からの呼び手たる彼女に、一目ぼれした少女に助力を請われ、躊躇なく彼は頷きました。
彼女と彼女の兄、そして彼女の従者の少女と、抜けずの黒刀を携えて、彼は魔王討伐の旅に出ました。
旅の途中、様々な出会いがありました
敵方である魔族の一人を打ち倒し、そして対話し、思いを訴え、旅の友とさえしました。
小さな諍いは、幾度となくありました。
それでも彼は諦めず、辛抱強く対話を続けました。
そして彼らは、魔族の王と対面しました。
世界平和の標榜するその魔王は、自分以外の誰かのいない世界を求めていました。
それこそが真なる平和であると信じ、人だけではなく同族の魂すらも全て己が内に納め、永遠にただ一人、世界にあるつもりでありました。
永と続く人族と魔族の争いの結末は、それでしかありえないのだ、頑なに信じていました。
彼は首を振りました。
それは諦めだ、変えようとしなかったからだと。
今まで、話をしようとしたのか。
腰を据えて、腹を割って。
事を成そうとしなかっただけではないのかと。
彼は、それをした結果を示しました。
魔族の友と、想いを交わした白い少女の手を繋ぎ、合わせて。
個々の繋がりなどと、と魔王は首を振り。
個々で繋がれるのであればこそ、と彼は訴えて。
しかし彼らの意は交わらず。
力と力が交錯し。
そして彼は、魔王を打ち倒しましました。
魔族の友と、対話を約束し、彼らは分かれました。
そして凱旋した英雄たる彼も、元の世界に帰ることとなりました。
白い少女は、黒い少年を抱擁し、彼もそれを、彼女に返し。
唇を重ね、いつかまた、再会しようと約束を交わして。
二人は、分かたれました。
元の世界に帰った彼は、幾日かの行方不明を家族に責められながらも、それは一時のことで、日常に帰っていきました。
一つの物語であれば、めでたしめでたしで終わる、そんなお話でした。
でも、それは一時のことでした。
それ以来、彼は幾度となく異世界からの呼び声を聞いたのでした。
森に居を構える者と、それを切り開き、技術を向上させて己の修復を企む機械仕掛けの魔王の陰謀を挫き。
剣術を極め、それを突き詰めるあまり人の道を外れ、自国の民の全てを屠った剣鬼の王の暴走を阻止し。
知性ある機械に支配、抑圧され、それに抗する革命軍に手を貸し。
二大大国の双方へ、予言という名の甘言を弄し、争いを煽り人の死による瘴気を集めんとする邪神の悪辣を暴き。
排斥され、蛇蝎の如く厭われる種族の少年王と、その少年を愛した只人の少女が、世界を綺麗で覆い隠さんと降らせた豪雪を止め。
幾つもの世界に呼ばれ、故郷に戻る、そのうちに。
彼の世界は、滅んでいました。
生きる者も、それが存在した証も何もなく、ただ瓦礫と赤い土だけの地平が続いていました。
彼はそれまでに得た、幾つもの道具を、技術を惜しみなく使い、原因を探ろうとしました。
生き残りを、探そうとしました。
家族を、見つけ出そうとしました。
挽回を、しようとしました。
何も、得られませんでした。
彼は、愕然としました。
幾つもの、何処の誰とも知らない呼び声に応え、それを救ってきたというのに。
彼は、彼の世界が滅ぶ時、それに関わる事が叶いませんでした。
それでも、異世界からの呼び声が、止まることはありません。
風に吹かれる草の様に、彼は流されるままに、英雄たるを続けました。
笑顔で。
自信に満ちた振る舞いで。
期待通りの英雄であろうとし続けました。
自暴自棄には、なれませんでした。
悪辣にふるまうことも、出来ませんでした。
お天道様が、見ているのです。
彼女が、見ているのです。
白い少女に誇れる自分でありたいと、思ってしまっているのです。
そして次こそは、次の呼び声こそは、彼女からのものではないかと、期待しているのです。
彼女の危機を願っているのも同義だというのに。
寄る辺を無くした少年は、ただ。
異世界への淡い期待だけを、原動力として、生きているのでした。
自らの望みなど、最早叶う筈もないと諦めながら、なお。
生きて、いるのでした。