第十六話 総力を尽くして
待つことには、慣れている。
正確に言うのなら、耐え忍ぶことには、慣れていた。
後ろ指を差され、言われ無き誹謗を受け、理由無き暴力に曝されて。
嵐の止むまで貝のように、静かに息を潜めて生きてきたのだ。
あの日までは。
高々この程度の停滞に、何の事かあらん。
「あー、もー! いつまで隠れてんのよ! 無視?! それとも虫なの?!」
……などということはなく、マリエンネは荒れていた。
矢鱈目鱈に『指差し』することはなかったものの、明らかに不機嫌そうに、ざすざすと音をたてて闊歩する。
とは言え、この岩山で彼と分かたれてから、熱い茶を一杯飲み干す程度の時間しか経過していないのだが。
尚も不満気に石畳を踏みつける、彼女の動きが止まった。
音をたて、放物線を描いて飛来する迫撃弾に、マリエンネは喜色を浮かべる。
突き付けられた右手の指先に、それは爆発することも許されず、空中で燃え尽き灰の塊となった。
「そっこかーぁ」
足取りも軽く、彼女は推定発射地点に向かう。
だがあちらも、これ以上隠れ過ごすつもりはないようだった。
空からの爆撃とは反対に、地に伏せるほどに身を低くして駆け寄る姿。
『ジェイン』の姿に、マリエンネは迷うことなく指を向ける。
それと同時にその影は、予め手に持っていたらしい、砂利の礫を彼女へと投げつけた。
マリエンネは失笑する。
指先は停滞なく『ジェイン』に狙いをつけた。
灰すら残らずその影は消え、当たるに任せた礫の雨は、燃焼音と共に地に落ちる。
休まることなく、続いて響くのは風切り音。
鋼糸の斬撃が、雨の如く降り注いだ。
赤黒く艶も消され、高速で操られる極細の糸など、通常であれば目視することなど出来るはずもない。
だがマリエンネの聖痕と化した両の瞳は、他者の織り成すマナの、側脈の感知を可能とさせた。
カリストの赤いマナの輝きが鋼糸を這い、それが彼女に敵性の飛来を知らしめる。
マリエンネを縦に輪切りにするべく振り下ろされた鋼糸は、その想定に沿うことは出来ず、その身を撫でるに留まった。
至る所に林立する石の柱を軸とし、弧を描きながら迫る鋼糸達。
それも、彼女を傷つけることが叶わなかった。
「……?!」
だが、マリエンネの顔色が変わる。
一本の鋼糸が、彼女の視界を潜り抜け、その身へ迫ったのだ。
マリエンネを取り巻く気流によって、その存在はぎりぎりのところで看破され、命中するも燃焼音と共に力を失う。
「……嘘でしょ」
信じられないものを見たかのように、彼女は驚愕の声を上げた。
身体的にも、マナの生成量にも恵まれたドゥルス族にとって、戦闘とは正攻法が正道であり、暗器という概念は薄い。
あれほどの繊細な技法を、まさか魔法を用いず成立させるなど。発想の外だった。
「ちっ」
隠し糸を防がれたのを感じ取り、カリストが舌を打つ。
「だが警戒度は上げられたか」
彼女の操る鋼糸の技は、もともと『世界断糸』ありきではない。
そもそもの操糸の技術があってのものだ。
長距離の標的を狙う際、魔法による誘導補助は勿論有効だが、それも必須ではないし、ある程度の距離であれば、魔法の使用そのものが迂遠である。
シンの隠密術が見破られたとの報告から、彼女がエウロパ同様、他者のマナ、或いは側脈を知覚している可能性は想定していた。
マナを纏う鋼糸に、少数の素の鋼糸を織り交ぜ緩急をつけ、マリエンネを幻惑する。
決定打とはならなかったが、否応なしに彼女へ意識することを強いることとなる。
それを積み重ね、マリエンネの処理の飽和させることができれば。
彼女を打倒することも叶うだろう。
纏わせるマナの濃度を変え、更に意識を散らせるように。
カリストは、操糸の指技を加速させる。
そしてそれを援護するように、後方からの火砲が着弾した。
今の彼女にとって、銃火器は脅威ではない。
炸裂音と共に、素直に直進してくる弾丸など、自ら火に入る虫のようなもの。
飛び来る軽機関銃の掃射など、水を浴びるが如く、だ。
対応をすべて『万却無塵』が成すに任せ、マリエンネは鋼糸に集中する。
……立て続けに甲高く、何かの弾ける音がした。
不可解な音に視線を上げれば、その背に迫る銃弾を知る。
「……はぁ?!」
着弾するも、それは燃える音と共に地に落ちた。
だが飛来する銃弾は、火花を散らしながら次々と彼女へと迫る。
信じ難い事にばら撒かれた弾丸同士が跳弾し、それを繰り返してマリエンネの背後へと回り込んだのだ。
「何の冗談よ……!」
イオの『武芸百般』の銃火器への行使は、命中精度の向上を図るものである。
それを十二分に発揮し、人外じみた射撃技術を披露した。
跳弾故に威力は減衰するが、それでも生身の相手には十分過ぎる。
反射鏡を使ってマリエンネの位置を確認し、シンによって周囲に巡らされた通路を使い、斉射毎に立ち位置を変え、周辺の岩石も跳弾地点として射撃を繰り返す。
やられている方は堪ったものではないだろうが、それでも彼女は崩れなかった。
それどころか、思い出したように現れる『ジェイン』の斬撃にすら対応して見せる。
「曲芸!」
マリエンネはそう息を吐き、『ジェイン』を指差して前進する。
彼女が目指しているのは、鋼糸使い……カリストだ。
如何に身を隠そうとも、使用者自身は糸とは文字通り切っては離せない。
追い易く、倒せれば見返りは大きい。
鋼糸の軌跡を追い、マリエンネの姿が加速する。
その進行方向上の石畳に、亀裂が入った。
咄嗟に足を止める彼女の目の前に現れたのは、
「呪痕兵?」
そんなマリエンネの呟きを意に介さず、地の下より現れた呪痕兵は、彼女に向けて拳を振り上げた。
「ちょっと?! そんな指令は出してないけど?!」
流石に想定していない状況にマリエンネはやや狼狽えるも、命中打を受けるほど鈍くはない。
更に後方に下がり、その一撃をいなした。
よくよく見れば、その呪痕兵は彼女の知る姿とは異なっている。
いくつかの別個体の部品を寄せ集めたような、ちぐはぐな継ぎ接ぎだらけの機体だった。
「修理して改造したっていうの? この短時間で?」
その疑念に応えるかのように、岩壁を砕き地面を割って、十体を超える呪痕兵がマリエンネを取り囲む。
「……大したものではあるけど!」
驚きはしたものの、それだけだ。
動きは精彩にかけており、急ごしらえの応急処置した代物だろう。
そんな呪痕兵の十数体など、足止めにもなりはしない。
「火刃剣製!」
一斉に飛び掛かってくる呪痕兵達を、左手に生み出した炎剣の一振りで一掃する。
「一々指差すまでもないね!」
だが、焼き切られた呪痕兵の内一体が大爆発を巻き起こした。
爆風に押されるがまま、マリエンネはそれに乗って後退する。
しかしそれを突き破って、別の何かが襲来した。
それは。
「緋緋色甲冑?! そんなものまで?!」
そう、爆炎を突き破って姿を現したのは、朱金の巨体……ではなかった。
基はそうなのだろう。
しかし外装は大いに弄られており、様々な色に塗り分けられた追加の装甲が、いかにも不格好に、あたかも無秩序に張り付けられている。
「あたしの緋緋色甲冑を、そんな不格好にデコレートしてくれちゃって……!」
憤り右手の指を突きつけるも……灰と化したのは、当のふざけた追加装甲の一枚のみだった。
赤白青黄緑に紫、藍に黒。
適当に溶接したようにしか見えないそれらを、彼女は緋緋色甲冑の一部と認識できないでいた。
右の拳を振り上げ、継ぎ接ぎの甲冑がマリエンネへと迫る。
だが、そこまでだ。
その拳は彼女の体を捉えるも、彼女へ何らの損傷を与えることは出来ない。
燃え落ちる音が、それを証明する。
そして命中した朱金の拳に、マリエンネは人差し指を、突きつける。
継ぎ接ぎの装甲を残して、緋緋色甲冑は灰となった。
「なかなか、面白いことしてくれたけど」
呟く彼女の目の前で、何かが揺らぐ。
残されたのは、出来の悪い追加装甲のみ、ではなかった。
灰の中より姿を現したのは、人の形。
左の手を振りかぶった、緑金の髪の半裸の少女が。
彼女の頬を、平手で打った。