表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
144/149

第百四十四話 夜は明けて

 ここ最近見慣れてしまった本来ならば縁遠いはずの豪奢な天井を、ライムは寝そべった寝台から見上げていた。

 日は登り切っておらず、室内は薄暗い。

 頭を、横に倒す。

 紫に僅かに白を垂らしたような色合いの髪が、目に映った。

 顔は見えない。

 つまりは横臥した彼の後頭部が、自らの眼前にあった。

 当然というべきか反射的に昨夜のことが思い起こされ、彼女は一人赤面する。

 それと同時に弛緩したような、腑抜けたような笑みが浮かぶことを止めることが出来なかった。

 浮足立った心境のまま、ライムは少年のうなじに自らの額を当てる。

 騎士の様相としては余りにも無防備だが、それが己に曝されているという事実にえも言えぬ愛おしさと、充足感を覚えた。

 そして彼女は、仄暗い部屋の中、再び目を閉じる。

 夜明けは、まだ先。


 首筋にこそばゆさを覚え、ジェインは目を覚ました。

 微かな魔法灯の光が目に映る。

 未だ夜明け前のようだ。

 うなじに感じる熱源を確認すべく、彼は寝返りをうつ。

 ……うとうとして、背にあたる感触に身動きを止めた。

 その場で半回転するようにして、向き直る。

 彼女へと。

 彼の背に身を預け、寝入る彼女。

 無作法とは知りながら、ジェインはそのあどけない顔に見入った。

 彼女が目を覚ます様子はない。

 自然と、昨夜のことを思い出された。

 控えめに言って歯止めも効かず、大分無茶をした自覚がある。

 あれほどに自制が効かないとは恥じ入るばかり、汗顔の至りだ。

 だがこれほどに身を委ねられている以上、許されていると思いたい。

 背を丸め、横にうずくまる様に眠る彼女。

 視線を落とせば、その両手が見下ろせた。

 右手は鈍く光り、左手は深淵の如く暗い。

 闇の帳のようなそれを見詰めるうちに、ジェインの意識は再び微睡んでいった。


***


 向かい合い横たわる二人の、目が合う。


「……」

「……」


 互いに言葉はない。

 言葉はないが、ライムの顔がみるみる真っ赤に染まっていった。

 そんな様子に、ジェインは思わず彼女を抱き寄せる。

 ライムの額が彼の胸元に収まった。

 じたじたと彼女は身じろぎするが、ジェインは彼女を離さない。

 ややあって、ライムの抵抗が止んだ。


「おはようございますっ」

「……お早う御座います……」


 その耳元にそう声をかければ、虫の羽音のような声音で、彼女はジェインへと返した。

 そして再び落ちる沈黙。

 だがそれは焦燥を催すものではなく、穏やかなそれだった。

 とくとくと、彼の心音がライムの耳朶を打つ。

 頭に上った羞恥の念が、緩やかに霧散していった。

 上目に、彼女はジェインを見上げる。

 その視線に気づき、彼は微笑んで言った。


「起きますかっ?」


 こくりと、ライムは頷いた。

 名残惜しそうにとんと額でジェインの胸を突き、彼女はもぞもぞと離れていく。

 立ち上がる少女の背を見ぬよう、彼は反対を向いた。

 寝台に腰掛け、側卓に積まれた服を纏う。

 背後の衣擦れの音が止まり、彼は振り返った。

 同じくライムはこちらを見ていた。

 袖の無い、肩紐で吊るされた黒い下着姿で。

 慌ててジェインは、視線を戻す。


「ジェインさん」


 その背に、彼女から声がかかった。そこに浮ついた色はなかった。

 それに押され、彼は再び振り返る。

 姿に変わりはないが、ライムの表情に羞恥はなく、真剣そのものだった。


「伝えておきたいことがあります」

「なんでしょうかっ」

「今の私め……封印の無きこの身でのみ行える、術が御座いますれば」


 それは、と彼女の語るを彼は聞く。

 ジェインの表情が、神妙なものとなった。

 ライムの語る通りだとするならば、それは余りにも大き過ぎる力と言えた。


「これのことは、ヘルムート様もマコト様もご存じありません。知るのはクラリッサ様と……ジェインさんだけです」


 ひたりと、彼女の視線が彼を射抜く。

 ジェインは揺るがず、それを受けた。

 手を胸にあて、ゆっくりと頷く。


「しかと、承りましたっ!」


 そんな彼の様子に、ライムはふと表情を緩めた。


「ありがとう御座います」


 笑顔で言って、彼女は今度こそ脱ぎ捨てられた拘束服を拾い上げ……思い出したように、戸口に置かれたままの袋へと駆け寄る。

 怪訝な表情を浮かべるジェインに、ライムは後ろを向く様にお願いした。

 戸惑いつつも彼はその通りにする。

 再び響く、衣擦れの音。

 結構なこと、それは続いた。何かに悪戦苦闘しているような、妙な悪態すら聞こえてくる。


「あの……どうぞ、こちらを……」


 ようやっと、彼女から許可が下りた。

 振り向いた先の光景に、彼の動きが止まる。

 そこに女神が立っていた。

 ジェインからすれば誇張抜きに、彼の女神が立っていたのだ。

 赤い布地を基調に、裾や襟元など各所にふんだんに、白の麗糸(レース)があしらわれた盛装。

 彼女の瞳の色と同じ、金糸で精緻な刺繍も施されている。

 太股まである長く白い靴下、服と同じく赤い、光沢のある革の靴。

 腰前で手を合わせ恥ずかしげに、しかし視線を外すことなく彼を見ている。

 時間が止まったかの様に、二人は身動きしなかった。

 ……朝の鐘の音が響いた気もするが、少年少女の耳には届かない。

 どれ程の時間が経ったのだろう、突如としてジェインが動いた。

 ライムの手を取り、小走りに部屋を出る。


「ジ、ジェインさん?」


 目を白黒させ、手を引かれるまま、しかし彼女は抗議の声をあげた。

 それに答えず、彼は階段を降りる。

 仕方なしに、ライムはジェインの後に続いた。

 そのまま彼は、食堂の扉を開け放つ……


***


「……と言うわけで、この姿を小生の胸の内に留めるか、皆さんにひけらかすかの葛藤があったのですがっ!」

「遅れた理由がそれかよ……」

「結局見せびらかせてしまいたくなりましてっ!」

「惚気も良いとこ!」


 戦くように、マリエンネが言う。

 言いつつも彼女はジェインの隣、ライムからの物言いたげな視線を受け、親指を立ててみせた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ