第百三十三話 幸せな結末を願って
「マコトさん、これ、何?」
「邪魔かな?」
「大丈夫、だけど」
「……これは、被った対象が外部から認識されなくなる外套、かな」
ギニースの疑念に、マコトは答えた。
『孤独の天蓋』は、大きさの可変可能な……限界はあるが……一枚の布切れだ。
身に纏った対象を、布の外からは認識できなくなる。
物音も、気配も、臭いすらも感知されなくなる、『隠身歩通(』の上位互換ともいえる防具だった。
大きさを変えれば複数人でも、今回の様なある程度の構造物でさえ覆い隠すことが出来る。
唯一の欠点は、『孤独の天蓋』越しに外部への影響が一切及ぼせないことだ。
この一点、『隠身歩通』が明確に上回っていると言える。
「せっかくマリーが意を決したんだ、呪痕兵に追われちゃ目も当てられない」
「それは……そうだな」
一瞬カリストが何か言い掛けるが、彼の拳が白くなるほど握り締められているのを見、言葉を濁した。
沈黙の帳が下りる。
「あれは……!」
それを破ったのは、後ろを見守っていたエウロパだ。
彼女の目に映るのは、巨大な柱状魔法陣……転送方陣。
そこから出現したのは、見間違えるはずもない巨人……『土』のドートートの『ビヒモス』だった。
「ありゃまずいな」
「……ヘルムートさんも、そう思いますか」
「何で?」
渋い顔をする二人に、イオは首を傾げる。
端的に言って、マリエンネが言っていたほど、彼らは……『七曜』は横の連帯、仲間意識が希薄な連中ではなかった。
呪痕兵や聖痕兵ならともかく、ドートートが相手とあっては、恐らく彼らは非情ではあれないだろう。
彼らの言う通り、『土』が洗脳されているのであれば尚のことだ。
「……確かに、不味いね」
「ですが、何か打つ手はありますかっ?」
懸念は尤もだが、ジェインの言う通りでもあった。
対応手段がないのであれば、彼らの手腕に掛けるしかない。
「ヘルムートさん、エウロパ。彼が洗脳されているとして、その手段が『転生』先の肉体にあるとしたら、それはどんな方法だと思う?」
「大前提として、ですが。精神に影響を及ぼす外効系魔法は、非常に難易度が高いです。なぜかというと、精神というものが、非常に繊細だからです」
日常生活においても、精神状態……感情は容易に変化する。
変化のしやすいものに恒常性を持たせることは、非常に困難だ。
「何かに怒りを覚えたとしても、寝て、起きて、それでもそれを保ち続けるなんて、普通は出来ないでしょう?」
「まあ、そうだね。寝逃げって言葉もあるくらいだし……」
「また無茶な変化……例えばジェインさんとライムさんを、不俱戴天の仇同士になるよう精神操作しようとした場合」
車中の視線が、当の二人に集中する。
不意の注目に、ライムの頬が赤らんだ。
「……おそらくほんの数瞬で解除されてしまうでしょうね」
「ほほう」
何故か面白そうに、イオが呟く。
「要は意にそぐわない……というか平時と真逆の精神状態にしようとしても、碌に継続しないということか」
「そういうことです。肉体同様、精神にも治癒力、復元力が働きますから。大きく撓めば、簡単に跳ね返り、元に戻るということですね」
カリストの言葉に、エウロパは頷いた。
何かもの言いたげなライムの視線は、この際無視する。
「でも聞いた限りだと、『彼ら』の様子は思考に指向性をもたらされたというより、思考を抑圧された結果ように感じられたけど」
「そうですね。いずれにせよ精神に干渉するものなので難易度は高い魔法です。ただ……」
思考の抑圧は、当然ながら思考能力の低下につながる。
単純な命令を受け付けることは出来ても、応用は一切きかなってしまうのだ。
手駒としては下の下の性能となるだろう。
「ただ今回の場合、それでも何ら問題はないんだよな……」
唸り、ヘルムートは腕を組む。
手駒兼人質として前面に立たせる。
全力では当たれない以上、絶好の囮……注目の的と言えた。
「洗脳、思考の制御、思考の抑制……いずれにせよ定期的な維持更新が必要な魔法です。それも、かなり短い間隔で。恐らくですが『転生』先の肉体に、魔導具の導線のようなものを仕込んだのでしょう」
「だろうな。元の魂がドゥルスでなかろうがドゥルスとなるよう調整ができるくらいだ。それくらいの事は、やってのけるだろ」
「定期的にマナを送り込み、洗脳状態を維持していると?」
マコトの確認に、ヘルムートは頷いた。
「対応方法はありますでしょうか」
「正直、難しいな。エウロパ嬢が最初に言ったような一般的な、というか普遍的な精神操作の魔法なら、しばらく隔離でもすれば解ける……精神の復元力が働くはずなんだが」
定期的に、あるいは継続的に『歪める』ことが出来る土壌があるとするならば、自然治癒は望めない。
それを覆す必要がある。
「マナの遮断が、最も有効な手段だと思いますが……」
只人相手ならならそんな手段も取りうるだろうが、問題は相手が聖痕を持つ『七曜』だということだ。
ヴォルフラムが言うように、彼ら自身が発信機となっている以上、マナの入力は容易いはず。
「あ」
「どうした、マコト」
何か思いついたように、マコトが声を上げた。
「この中に入れればいいのか」
『孤独の天蓋』。
あらゆる外的要因から、中にいるものを保護する被り布。
イオの眉が上がる。
「良い考えじゃない?」
「確かにそうだが……根本的な解決にはならなくはないか? ここから出てしまえば、元の木阿弥だろう」
「……エウロパ、仮に魔道具の導線と仕組みが同じだとして……」
「出来ます」
マコトの質問の答えを、エウロパは端的に答えた。
「出来ます。私なら、壊せます。ギニース!」
「もう、向かってる」
いつの間にやら、ギニースは進行方向を反転させていた。
乗客の誰にも気づかせない、鮮やかな運転だった。
「彼らの決意を無駄にすることになるけど……」
彼の呟きに、エウロパは意味ありげな視線を向ける。
「マコトさん」
「ん?」
「めでたしめでたしが、お好きでしょう?」
「……ああ、大好きだね」
左腕の二の腕を握りしめていた右手を緩め、彼は観念したように、苦笑した。