表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
129/150

第百二十九話 無為なるマナが、巡り巡りて

 手を見る。

 手。

 自分の手。

 ただそれだけ。

 何ものでもない、ただの手。

 何も、手にしていない。

 何も、手に入れてない。

 何一つ、掴んでいない。

 何一つ、為していない。

 きれいな、手。

 望んだものは、そんなものではなかった。

 なかった、はずだ。

 この手を朱に、染めなければならなかったはずだ。

 手を伸ばせ。

 握り締めろ。

 つかみ取れ。

 そして染めろ。

 全ての戎器で、我が手を朱に。


***


 そして彼女は、目を覚ました。

 真っ先に目に入ったのは、見知った天井。

 移動邸宅の自室のそれだった。

 どれほど眠っていたのだろう。

 彼女は……イオは首を左に倒した。

 窓を覆う薄い窓帷(そうい)が、赤い日の光を阻んでいる。

 夕方か、と彼女は独り言ち、首を反対に倒した。

 傍らに椅子を引き、そこに座るのは次姉、エウロパ。

 目を閉じたその姿は眠っているかのようだったが……実際眠っているようだったが、衣擦れの音に気付いたのか、イオがそちらを向くと同時に目を開く。


「おはよう」

「……おはようございます、イオ。体の調子はどうですか?」


 やや驚いた表情で、しかしすぐに微笑んで、彼女はそう問い掛けた。

 その言葉に、イオは腹筋だけでその身を起こす。


「ん、大丈夫そう」

「そうですか」


 治療は間違いなく行えたという自負はあったが、それでも実際に目を覚ますまで、不安はある。

 彼女の返答に、エウロパはほっと胸を撫で下ろした。


「何か……変な夢、見た気がする」

「変な夢ですか? それはどんな?」

「んーとね」


 掛け布団をはねのけつつ、イオは寝台の脇に腰掛ける。


「手が……」


 言いつつ右手に目をやり……彼女の動きが止まった。


「イオ?」


 そんな妹の様子に、エウロパは同じく視線を落とし、それと同じく硬直する。

 イオの手。

 『均衡(バランス)』の白剣に掌を貫かれた右手。


 その肘から下が強く蒼みがかった金に、変色していた。


***


「……聖痕(スティグマ)じゃない?」


 どたどたと食堂に駆け込んできた彼女らを見、マリエンネは開口一番そう言った。


「え、でも」


 そう言われ、イオは改めて右手を見る。

 そしてもう一度、マリエンネの顔を見た。

 その視線に、彼女は濃い緑の色眼鏡を外す。

 露わになる双眸は、虹の光を散らした銀色を湛えていた。

 色合いは、マリエンネのそれとはまったく異なっているが。


「全然違くない?」

「そりゃ、あたしのとは違うでしょうよ」

「どういうことです?」

 

 エウロパの疑問符に、珍しく彼女は呆れたような表情を見せた。


「そもそも根源が違うんだから当たり前じゃん。あたしのはあの方由来だけど……イオちゃんは違うでしょ」


 そう言ってマリエンネは、目の前の白髪の少女をじっと見つめる。


「……私、ですか?」

「そりゃそうでしょ。無為なるマナ(カラーレスマナ)の誘引者(・テンプテーター)なんて、あの方以外エウロパちゃんだけなんだから。もっと言うなら……」

「『紅き戦慄(ドレッドフルレッド)』からではなくエウロパから授かる方が、当然な関係ではあるか」


 マコトの言葉に、彼女はこくりと頷いた。


「んー……でも、マリーちゃんて『央』の心の内を視て、その目を得たんでしょ? 他の『七曜』もあの方とやらの何かを切っ掛けに聖痕を得たみたいだし……私は別にロパ姉に何か特別な接触をしたわけじゃないよ?」

「その辺はあたしにも分かんないけどさ……でも聖痕の見た目も違うなら、得る条件も『央』とは違うってことなんじゃない? そもそもイオちゃん、ドゥルス族ですらないし」


 確かに、その通りだった。

 源流は無為なるマナの誘引者であっても、聖痕を享受する方法はそれぞれ異なるのだろう。


「今ん所、理由や条件はさっぱり分かんないけど……」

 

 言って彼女は、ちらりとライムを見る。

 その視線に、彼女は首を傾げた。


「ちょっとお揃いっぽいね?」

「……そんなことを言っていただけるとは、思いませんでした」


 暢気ともいえるその感想に、ライムは微苦笑する。


「……体調に、問題はないか?」

「うん、今は全然。お騒がせしました。そして不甲斐なくてごめんなさい」


 忸怩たる思いをにじませるイオの言葉に、カリストは軽く首を振った。

 

「まだ、挽回の余地はあるさ」


 姉の言葉に彼女は頷き、握り締めた左の拳を、右の掌に打ち付ける。

 そして、首を傾げた。


「それであの後、どうなったの?」


 イオが昏倒していた間の出来事を、カリストはかいつまんで話した。

 彼女は頷き、


「成る程ね……でもそれ、ただの連係ミスなのかな」

「というと?」

「なんていうかさ……『月』には二つの思惑があったわけでしょ? ロパ姉やマコっちゃんの排除と、自分の十全化。で、比重的に後者が重たいっぽいと」


 マリエンネの事前の情報によれば、『央』への忠義以上に自身の都合を優先しかねない節はあった。

 しかしマコトとの会話から、『七曜』としての任を蔑ろにしていたわけでもない。

 

「ただどれほど自己都合を優先するか定かではないから、先んじて上位権限なんてものを設定してたってこと?」

「そう」


 マコトの言葉に、イオはこくりと頷いた。


「敵対者に望みを託すのは、確かに如何なものかと思いますがっ!」

「だがカーリンの嬢ちゃんにしてみれば、自分とこの大将でも大望を叶えるのは無理だったわけだからな。異世界の知識に縋るってのも、分からん話じゃない」


 ジェインの発言は尤もだが、恐らくこの世界で最も技術の進んだ組織でも叶わぬ願いを、それでも諦められないというならば、有り得ない選択ではない。

 もしも首尾よく手掛かりでも得られるのならば、手勢を引かせるという交渉に持ち込むこともできる。

 そしてその心情を、『七曜』の他の面々は把握していたのではないか。

 その為の、上位権限。


「大義の為、ということなのでしょうが……」

「思うところはある?」


 首筋を擦りながら言うエウロパに、イオは首を傾げる。

 彼女ははい、とそれに頷いた。


「さっきも言ったが、あの三人と他の『七曜』じゃ、その『大義』に対しての温度差はあったろうからな」


 ヘルムートの言葉に、彼女は不承不承、顎を引く。


「経緯はどうあれ、奴らを撤退させたのは事実だ。それにマコトとヘルムート殿のお節介のお陰で、我々と敵対する動機は薄れたのではないか? 任とあらば、無論敵対はするのだろうが……」


 積極的に敵対する意欲は恐らく、減じたことだろう。

 それはこちら側に、優位に働くはずだった。


「マリエンネの嬢ちゃん曰く、ブラックウィドウさえ稼働可能なら三日で本拠地に着くらしいが……」

『ギニース、状況はどうですか?』

『……ただ走れるように、するだけなら、もう何とか。万全を期すため、一晩、使いたい。イオ姉さん、明日運転、出来る?』

『うん、任せて。心配させてごめんね』

『ううん。病み上がりで、申し訳、ないけど』

『気にしなさんなー、カリ姉さんに運転任せるわけにはいかないもんね』

『……』


 カリストの返す沈黙に、エウロパが思わず、といった様子でさざめくような笑声を零す。

 じろりと向けられた視線に、彼女は背筋を伸ばした。


「……?」


 そしてその視線が、怪訝なものとなる。


「カリスト姉さん? どうしました?」

「いや……エウロパ、首筋のそれ」

「?」


 彼女は立ち上がり、エウロパの後ろに立った。

 覗き込んだその先、マナの結晶と思われる宝石の様なそれ。

 小指の爪の先ほどの大きさだったそれが。


「……大きくなっていないか?」


 赤子の掌ほどのに広がり、玲瓏な輝きを放っていた。

 訝しむ彼女の言葉に、幾人かがエウロパの背後へと回りこんだ。

 当の本人は面映ゆそうな表情を浮かべるが、覗き込んだ者たちは渋面を浮かべる。


「確かに……」

「大きくなってるな。エウロパ、体調は?」


 腕を組んで唸り声をあげるマリエンネ、それに継いでマコトはそう声をかけた。

 エウロパは首を振る。


「自覚症状は、特に……」

「……あたしのこれ、関係してるかな?」


 開いた右手をじっと見つめつつ、イオが呟いた。


「多分、関係ないと思うよ」

「だな。エウロパ嬢のそれが、彼女の体を……光脈を通過した外界からのマナの澱なら、拡大するのは予想に難くない話だ」

「だが現状異常がないとはいえ、見過ごしていい変化とは思えん」


 マリエンネの言葉に同意するヘルムートを横目にしつつ、カリストは慎重に言う。

 それには同感だったのだろう、二人は顔を見合わせ、そして頷いた。


「削り取っていいものなのでしょうか?」

「怖いこと言わないでください、ライムさん……」


 ふるふると首を振るエウロパ。


「いや実際、やめた方がいいだろうな。この結晶に、どれほどのマナが蓄積されているのか、わかったもんじゃない。下手に手を出したら」


 どかん、とヘルムートは手を広げた。

 さらに身を引く彼女に、冗談だ、と彼は笑いかける。

 そしてややあって、その表情が引き締まった。


「どうしました、ヘルムートさん」

「いや、エウロパ嬢でこれなら、お相手さんの大将は、どんな様子なのかと思ってな」


 その言葉にマリエンネは視線をはね上げ……そして目を伏せる。

 あの方に対しての記憶障害は、思いの外彼女に衝撃を与えたようだ。

 そんな彼女の肩に、マコトはぽんと手を置く。


「……もうすぐだ、まとめて問いただしてやろう」


 な? とマリエンネをのぞき込めば、彼女はこくりと頷いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ