第百十四話 金の光に包まれて
『峻厳』が走る。
従えるべき獣型呪痕兵は全て波打つ鈍色となり、それを率いて。
木剣を構えたヘルムートがそれを迎え撃つ。
淡く黄金に輝くそれを、彼は最速の突きで放った。
剣の腹を『峻厳』は手で弾き、彼の顎を狙い掌打を返す。
身を仰け反らせてそれを躱し、弾かれた剣の勢いのまま胴体目掛けて後ろ回し蹴りを放った。
金属補強された踵を受け止めたのは、地より伸びあがる鉛だ。
衝撃の大半を殺されるも、ヘルムートは不安定な体勢のままそれを更に蹴りつけ、その勢いでカリスト目掛けて飛び込むように前転する。
攻守交代とばかりに踏み込むカリスト。
蠢く指先の指示に従い、鋼糸が動く。
左右から、『峻厳』を断ち割るべく輝線が奔った。
それを防ぐように、鉛の壁がそれを覆うように立ち上がる。
加速した鋼糸は撫でるように鈍色の障壁を切り裂いた。
だがそれは、『峻厳』本体を傷つけることは出来ない。
鋼糸に纏わりつく鉛の被膜が、その切れ味を鈍らせたのだ。
撫で、その表面を汚すばかりで、致命傷どころか損傷とすら呼べない。
渋面を作り、カリストは糸を振るって横へと移動する。
「三倍偉大なる黄金よ!」
片膝立ちの体勢から、ヘルムートは救い上げるように木剣を振り上げた。
黄金の衝撃波が、『峻厳』目掛けて飛翔する。
三度、鉛が立ち上がった。
逆流する滝のような勢いで噴出する鉛の源泉、それにかち合う金色の波動。
鉛の壁を破ろうと突き進むも、そのたびに継ぎ足される鈍色の金属、その衝撃はついには完全にからめとられる。
「ちっ」
舌打ち一つし、彼は錬成陣を起動する。
辺り一帯の白い大地、それがすべて始原の白泥だというのなら、成り下げる原材料には事欠かない。
……眼前で波打つ鉛溜りはその例外だが。
地面の一部が鉛へと変じ、そしてヘルムートの握る『知恵の実』は再び鮮やかな黄金の輝きを示す。
「まさかこうも鉛に苦しめられるとは……」
「錬鉛術師の名が泣きますか?」
彼の泣き言に、揶揄するでもなく淡々と言いながら、『峻厳』は鉛の刃を造形した。
足元から次々と伸びくる鈍刃を、二人は左右に分かれて回避する。
尚も追う刃の群れを、ヘルムートは黄金纏う木剣で切り払いながら『峻厳』をカリストと挟み込むように移動する。
それにあわせて彼女も動いた。
鋼糸を前方の地面へと打ち込み、巻き取ることで高速移動する。
追いすがる鉛の刃を切り裂きながら。
鉛の付着によって鋼糸の切れ味は鈍るが、もともと柔らかい鉛を断つには困らない。
無数に分かたれる、鉛の刃の群れ。
しかし断たれ刃は鉛溜りに没すと、すぐさま元の形を取り戻した。
「偉大なる、偉大なる、偉大なる黄金!」
彼の唱える言葉に応じ、その頭上に黄金に輝く巨大な正三角形が生まれる。
無数に合わさった光点で形成されたそれは、黄金の雨となって『峻厳』へと降り注いだ。
「無駄です」
鉛の天蓋が、再び形成される。
金の雨粒を無数に受けて、鈍色の障壁が歪んだ。
だがそれは貫通することなく、鉛の壁に受けきられる。
「……」
ヘルムートは微かに眉をひそめ、再び錬成陣を起動した。
真っ白な大地の一部が鉛へと成り下がる。
それは瞬時に融解し、『峻厳』の元へと流れていく。
「補給、ご苦労様です」
『峻厳』の言葉に揶揄や悪意はない。
ただ淡々と事実を告げている。
……本当に、そうか?
そう、彼は自問する。
あれがそんなことを、わざわざ言う理由は何だ?
それに、この違和感は……
『……遅い』
『うん?』
唐突に響く、カリストからの念話。
『貴殿も感じているのでは、ヘルムート殿』
『確かに違和感はあったが……』
違和感は、ある。
己のマナを消費しての魔法の行使を一切放棄しているヘルムートにとって、錬成陣からの精髄の供給は必須だ。
それは『峻厳』の言う通り、鉛を供給する行為に等しい。
そして『峻厳』は、わざわざそのことを指摘した。
人相手ならば皮肉の類と取りうる発言だが、あれらがそんな機知に富んだ言い回しをするだろうか。
……しかねない、とも思う。
だが己と同様、カリストも違和感を感じ取ったとするのならば……あるいは、痛いところを突いた可能性はある。
『……試してみるか。防御は任せる』
『承知した』
この念話をカーリンに感知されている可能性はあるが、ブラックウィドウで一塊となっていた先ほどまでと違い、散っている。
全てを『盗み聞き』できているとは思えない。
仮にできていたとしても、少なくともそれを『峻厳』に伝達するという時間差はあるはずだ。
ヘルムートは、木剣を地に突き立てる。
「夥しく、甚だしく、華々しき偉大なる黄金よ!」
地面を割りながら、黄金の光が波となり、全てを押し流す奔流となって顕現する。
これまでになく規模の大きな精髄の行使、大波のような黄金の波動に『峻厳』は両腕を突き出した。
「『黒のビナー』」
内蔵された導線の出力に応じ、鉛の溜りが蠢き防波堤の如き壁を形成する。
熱を伴う黄金の胎動に蕩け崩れ行くそれを、『峻厳』が補填、修復していくが……間に合わない、と判じたのだろう。
『峻厳』は次の一手を打った。
「『橙色のホド』」
蠟燭の如き橙の光が、それの周囲に灯る。
蕩けて抉れる鉛の壁が、まるで逆回しの映像のように急速に修復されていった。
一進一退の攻防が続き……
ついに、光の奔流は途絶える。
鉛の障壁は崩れ、再び溜りとなった。
「……マジかよ。あれを受けきるのか? 鉛で?」
「感心している場合ではないな!」
間髪入れず、カリストは鋼糸を操る。
「『赤のゲブラー』」
それを予想してか、『峻厳』は再び導線へと出力、煮えたぎる溶鉄の鎧を身に纏った。
ある程度は予想をしていた彼女は、糸の軌道を光学装置へと標準する。
だが、攻めるべき場所が限られている以上、防御もたやすい。
眼前にかざされた手に阻まれ、鋼糸は行き場を失った。
「偉大なる黄金!」
『知恵の実』が瞬き、三日月状の金の斬撃がヘルムートより放たれる。
鉛の障壁は間に合わず、『峻厳』は翳した手でそれを防いだ。
燃え盛る鎧の一部が吹き散らされる。
それを逃さず、カリストの意に従い鋼糸が『峻厳』の右腕に巻き付いた。
引き絞られた糸は、容易くそれを切断する。
切り飛ばされ、くるくると空中で回転する『峻厳』の右手。
幾度目の瞬きか、錬成陣が光を放つ。
先のドートート戦もかくやの規模で、一帯から精髄を引き出していく。
「『橙色のホド』!」
温かな、そしてかそけき火の如き光が浮かび上がり、それは宙を舞う『峻厳』の右手と手首の切断面を灯し、繋げ、接合する。
強力な修復効果、それこそが『橙色のホド』の効能だった。
続けざまに導線へマナを入力、『赤のゲブラー』を行使する。
「鋳鉄、錬剣」
瞬時に鋳造された黒鉄の剣を握りしめ、赤熱する鎧を纏ったままカリストへと間合いを詰めた。
「偉大なる黄金!」
そうはさせじと、ヘルムートは黄金の斬撃を連発する。
それを『峻厳』は『黒のビナー』の鉛の障壁を立ち上げ防御しようとして……それが間に合わないと悟り、手にした剣を叩きつけた。
砕け散る即席の剣は、『橙色のホド』の効果ですぐさま元の形を取り戻す。
さらに踏み込もうとする『峻厳』の目の前で、ヘルムートは木剣を掲げた。
『知恵の実』に蓄積できる限界以上の精髄を直接注ぎ込み、それは光の剣、否、光の柱を成した。
『黒のビナー』をもって、『峻厳』はそれを受け止めんとする。
が、膨大な鉛の滞留は、その意に従わない。
いや、従おうとはしているものの、形状の変化はあまりにも遅々としていた。
「……気付かれましたか」
「ああ、残念ながらな」
『峻厳』に刻まれた『黒のビナー』は、周囲にある鉛の操作を可能とする。
だがそれは常に、影響範囲にある鉛全てに作用しようとする。
そしてその出力は、あらかじめ刻まれた導線以上のものとはならない。
つまり適量以上の重さの鉛を操作しようとすれば、その操作速度は重量に反比例して低下していく。
二人の感じた違和感は、それだったのだ。
先ほどヘルムートは、シャコルナク攻防戦時と同等の規模で、錬成陣を行使した。
想定した重量をあまりにも上回る鉛が、望まぬままに『峻厳』の元に集結している。
もとよりこれ程の重量の鉛を操作することを、想定していなかった。
……錬鉛術師を相手取ったのが、運の尽きだ。
「赫々たる、巍然たる、燦然たる! 大いなる黄金よ!」
膨大なる黄金の煌めきが渦を成し、光彩陸離たる力の塊が、木剣へと収束する。
鉛による防御は間に合わない。
空間移動の発動には、時間を要する。
走行しての離脱も不可能。
範囲外に逃れる術を『峻厳』は持ちえない。
故にそれは、それを受け止めるべく両腕を構えた。
ヘルムートの太刀筋に、躊躇いはない。
振り下ろされる、黄金の柱。
「じゃあな」
殊更軽く、彼は呟き。
「ええまた」
それはそう返しす。
光の渦に、溶け、消えた。