第百十話 戦端は開かれて
最初に動いたのは、イオだ。
出現しつつある呪痕兵……転送方陣へ標準を定め、回転式機銃を掃射する。
景気の良い快音と共に放たれた弾丸は、狙い違わず標的を撃ち抜かんと……
その軌跡の中途で、それらは突如として、不自然なまでに減速する。
『あーだだだだだだ! 流石にちょっち痛いねー』
カーリンの情けない念話と共に、弾丸の群れは標的に届くことなく、全てが地に落ちた。
その間に、呪痕兵達が完全に顕現する。
人型、獣型、そして。
「またお逢いしましたね、『ヘルムート』」
「ああ、逢いたくない奴と、ご縁が出来ちまったみたいで気が重いよ」
「手厳しい」
彫刻の如き女性の相貌の刻まれた聖痕兵、『峻厳』。
「ふむ、今回は追う身ですかな?」
「いや、いつでも追われる側だよ、貴殿らは」
糸を繰るカリストに対する様に、黒い杖をくるりと回す聖痕兵、『慈悲』。
「これで如何様に均衡が取れましょうか」
「……」
嘆くように、同意を促すかのようにライムに向く時計頭の聖痕兵、『均衡』。
『足りなきゃ幾らでも追加していいよー。きちんとお仕事してねー』
「無論ですとも」
『いいねー。じゃあ、マーくんは、ジェイちゃんにかかってねー。あーたの兵隊全部投入していいからー。シビーは出来れば二人は抑えてねー。バランはあーたの進言通りに動いていいよー。ただ一機はあーしについてねー。大局はー』
ひたりと、カーリンのない筈の視線が彼等へと向けられた。
『あーしが抑えるねー』
承知、と三つの声が、返る。
***
「ギニースちゃん!」
呼びかけと同時に、ブラックウィドウが発進する。
森のさなかでの戦闘では全く役に立てなかった鬱憤を晴らすかのように、生き物じみた挙動で急加速した。
車両の前方後方に備え付けられた可動式機銃が、轟音を立てて発射される。
イオの使った大型機銃ほどではないが、それでも十分な威力の弾丸が、より広範囲にばら撒かれた。
『いぢぢぢぢぢぢぢ! ほら動く動くー!』
苦鳴混じりのカーリンの指令に、呪痕兵たちが前進する。
銃弾の雨は再び目に見えぬ何かによって押し止められ、命中弾無く地に落ちた。
「どうなってるんだ、ありゃあ?」
原理不明に無効化された弾丸をしり目にヘルムートは木剣を握りしめ、人型の呪痕兵へとそれを振り下ろす。
微かに煌めく金の光を警戒してか、それは受けずに横へと回避した。
だが剣の動きとは全く連動しない金光は、避ける呪痕兵を追い、その脚部を貫いた。
体勢を崩すそれを足払いし、倒れた呪痕兵へとヘルムートは木剣を突き立てる。
幸先のいい出だしに、彼は視線を上げる。
そしてそれはすぐさま、見開かれることとなった。
大群が、一切の恐れを示さぬ大群が、一人の少年へと向かい。
そして一人の少年が、大群となるを見て。
***
地を身を低くして足を攫うべく、獣型の呪痕兵が駆ける。
俊足の咢を危なげなく躱し、ジェインは波動の剣をその頭頂部に突き立てた。
前方に切り上げながらそれを振り上げ、迫る人型の呪痕兵を股下から左大腿部を切り裂く。
ぐらりと身を揺るがせたそれをお構いなしに押し込んで、呪痕兵が濁流のように続いた。
吹き飛ぶそれを、ジェインは身をかがめて躱す。背後に控えた『ジェイン』がそれの頭を掴み、一回転して遠心力に任せて投げ返した。
投げ飛ばされた呪痕兵の直撃を受け、先頭の足こそ一瞬止まるも、後続達はお構いなしに前進する。
倒れ地に臥せた先陣を踏み潰し、呪痕兵達は遮二無二ジェインへと迫った。
勢い衰えず進撃する人形の群れに、彼は顔を引き締める。
飛び掛かるように迫る呪痕兵達へ、ジェインは双剣を向け……
轟音をたてて、それらは彼の眼前でひしゃげて潰れた。
黒光る、金と螺鈿に飾られた巨腕。
マコトの『悪鬼螺鈿の義腕』だ。
「モテるね、ジェイン君」
空中から、マコトがそんな軽口をたたいてくる。
ジェインはそれに、苦笑で応じた。
「ええ、その様ですっ! 小生としては、一つで十分なのですがっ!」
「奇遇だね、僕もだ」
振り上がる両腕が、勢いよく降ろされる。
駄々をこねた子供が食卓を叩くように、何度も。
その度に呪痕兵達は頭部を砕かれ、肩が潰れ、足は地に突き刺さる。
前へ前へと『悪鬼螺鈿の義腕』と共にマコトは進み、ジェインは後に残された、かろうじで動く半壊したそれらを刈り取りながら、彼に追随した。
ジェインを兎に角押さえ込もうという考えは、分からないではない。
寡兵の中、一人をして一軍となり得る彼を獲れれば数的逆転は有り得なくなるからだ。
ただ物量戦において、最も呪痕兵を倒したのは彼ではない。
二番目は、眼前でそれらを叩いているマコト。
そして最多は。
「入れ食いだな」
側面に回り込み、鋼糸を御すカリストだった。
切れ味鋭い彼女の線刃は、何らの抵抗なく呪痕兵達を切り刻む。
数体漏れても、合流したヘルムートによって、それらは切り払われていった。
そして彼の作り出した錬成陣が起動し、その残骸を鉛へとなり下げる。
「頼りになるね、本当」
「恐悦至極だな」
口笛と共の称賛を、カリストは涼しげに受け取った。
呪痕兵の大奔流に結果的に分断されることになったが、流れとしては悪くない。
放射状に迫りくる軍勢に、散歩のような気やすさで歩を進めながら彼女の指が蠢く度に、その一部が斬り潰されていく。
ある種、酸鼻極まりない空間。
そこを縫い取るように、何かが猛然と接近してくる。
間断なく展開される鋼糸を鉛の壁で押しのけながらの、『峻厳』の肉薄。
ヘルムートによって鉛と化した呪痕兵達すら巻き取り、大質量の鉛の塊を叩きつけた。
動こうとするカリストを制し、ヘルムートは『知恵の実』をかざす。
彼女によって切り伏せられた呪痕兵たちのおかげで、精髄の蓄積は十分だ。
黄金に輝く光の壁が、鉛の塊の直撃を逸らす。
重い地響きと共に、呪痕兵たちの流れが変わった。
傍流は消え本流へ……ジェインへ向けての行軍となる。
そしてその代わりに、『峻厳』の周囲には転送方陣と共に獣型の呪痕兵が整列した。
「貴方方がまとまっていてくれましたか。手間が省けますね。『慈悲』に代わって私がお相手します、『カリスト』」
「あれだけ派手にやられておいて、よくもまあ大口が叩けたもんだな」
「やられたのは、私ではありませんので」
ヘルムートの皮肉を、『峻厳』はさらりと流す。
「これからそうなるさ!」
「私が言うなら様になるがな……」
調子のいいことを言う彼に苦笑いしつつ、カリストは鋼糸を操った。
10指の制動にて変幻する糸の刃が、細切れにせんと『峻厳』へと迫る。
「『赤のゲブラー』」
地面を割って、炎熱の壁が立ち上がった。
『峻厳』を守護するように炎の壁、否、溶鉄の壁は、猛烈な上昇気流で極細の鋼糸をあおり、また触れればそれを容赦なく焼き溶かす。
舌打ち一つし、カリストは糸を手元に戻した。
視線を戻せば、溶鉄は『峻厳』と獣型呪痕兵にとりつき、渦を成す。
鎧のように蕩けた金属を纏うその様は、人の身ではありえない、燃え盛る炎の軍勢だった。
「成程な……人形でなければ成しえない、糸の防御方法だ」
「『峻厳』の手勢が、生中に燃え尽きる訳にはいきませんから。マリエンネ様対策でもありますが……」
腕を上げる。
指差す『峻厳』の指示に従い、呪痕兵が疾駆した。
触れるだけで、骨まで焼かれる焦熱の弾丸。
「偉大なる、偉大なる、偉大なる黄金よ!」
ヘルムートの宣言と共に、頭上に黄金の三角が形成される。
木剣の一振りと共に、中空から降り注ぐ黄金の雨が燃え盛る呪痕兵へと降り注いだ。
「『黒のビナー』!」
『峻厳』に刻まれた導線の出力に応じ、侍る鉛の塊が変形する。
板へと変じた鈍色の塊が天蓋となり、呪痕兵たちへの暴虐を阻まんとするが無価値なる鉛のでは、至高なる黄金の驟雨を阻むことは出来ない。
だが鉛を射抜くその時間差で、先頭の一体がヘルムートへの接敵を成し遂げた。
肌を焦がさんばかりの溶鉱炉の如き熱源、それが突如として停止する。
呪痕兵の全身を包む溶けた鉄、だがそれも寸分途切れもないわけではない。
例えば足裏が。
あるいは目たる光学装置が。
カリストは鋼糸の操作を補助する魔法、『世界断糸』を併用し、矢の如く放ったそれが先陣を切った呪痕兵の眼球たる水晶体を射抜いたのだ。
内部に侵入すると同時に鋼糸は枝分かれしながら回転し、内部から粉砕する。
伝達系を破壊され崩れ落ちる呪痕兵、それが再生する前にヘルムートの錬成陣が鉛へと変えた。
纏う溶鉄によって自ら蕩けた鉛が、真っ白な大地を鈍色に汚す。
そして後続の進行を、空を染める黄金の雨と、地に潜む鋼糸が許さない。
地へと没し、蕩けて流れた遺骸の成れ果て。
それが再び牙を剥いた。
「人形遊戯は、ここまでですね」
『峻厳』の宣言と同時に、鈍色の刃が次々と立ち上がる。
「自分の手勢をお遊び扱いかよ」
「事実、余興でしたでしょう」
ヘルムートの揶揄に、それは平然と頷いた。
「下準備は完了、本番はここからです。対応できますか、『カリスト』、『ヘルムート』?」
これ以上成り下げることが出来ない鉛から、ヘルムートは精髄を得ることはできない。
また融点が低く、容易に液体となる鉛は、カリストの鋼糸の操作を阻害する。
「手間が省けたとはこういうことか……」
中々に考えられた布陣だった。
持ち場を代えようにも、呪痕兵の大軍がそれを許さない。
あまたの鉛を大波の様に率い、『峻厳』が二人へと迫る。