第百二話 悲喜交々に、混交で
鐘の響きが聞こえる。
目を開ければ、窓より射し込む朝日の光。
窓際の椅子に腰掛けたまま寝入っていたマコトは、その2つによって目を覚ました。
固まった身体をほぐすように大きく伸びをし、室内を見回し、
「……」
現実を思い出し、げんなりとして寝台を見る。
結局あのまま、起きることも帰ることもなく寝落ちしたマリエンネは、未だ夢の中だった。
「よく寝てられるな……」
結構な音量で、鐘の音が響いたというのに。
朝響く第一の鐘は、朝食の予鈴だ。
次の鐘までに食堂に来いという、カリストからの呼び出しである。
立ち上がったマコトは、そのまま寝台で眠りこける彼女へと寄った。
その肩を揺さぶるが、起きる気配がない。
「マリー」
「……」
「マリエンネさん?」
「……」
「朝飯だぞ」
「ごはん?!」
がばと身を起こすマリエンネ。
「おはよーマコっちゃん! それじゃねー!」
その勢いに身を仰け反らせた彼に彼女はそう声をかけ、颯爽と身を翻し扉を開けて退室、食堂へと向かう。
「食欲魔神め……」
呆れたような、安堵したような声音で、マコトは溜め息をつく。
少なくとも、何か引きずるものはないようだった。
彼女に続いて、彼も部屋を出る。
「お早うございます、マコト殿っ!」
元気もよろしく朝の挨拶をしてくるのは、同じくして自室を出てきたジェインだった。
「お早う、ジェイン君」
「今しがたマリエンネ殿がマコト殿の部屋から出てきたことは、ここだけの話としておいた方がよろしいですかっ?!」
「声がでかいしもう辺り一帯に響き渡ってるし既に後ろにライムもいるし、そもそも誤解だからな?!」
開口一番とんでもないことを言ってくる彼に、マコトは思わず突っ込んだ。
言葉通り、ジェインの背後にはライムも続いている。
そして彼女はすごい視線をマコトへと向けていた。
「ライムにこんな視線を向けられることになるなんて、思ってもみなかったんだが……」
感慨深いものを感じながらも呻くように言う彼には、未だライムのじっとりとした視線が向けられている。
それを向けたまま、彼女は肩でジェインを先へと促した。
何時ものような笑顔のままの彼に続き、ライムは首だけで視線をマコトに向けたまま、同じくその場を去っていく。
「朝っぱらから……」
肩を落として、マコトも彼らの背中を追った。
***
食堂に足を踏み入れるなり、様々な感情のこもった視線がマコトを射抜く。
最も剣呑なそれを向けてくるのはカリストだった。
それを受け、彼は小さく両手を上げる。
「誤解です」
いきなり言い訳から入るあたり情けはないが、事実だった。
「ほう」
「というか、僕と同じ部屋で一夜を共にしても何も起こらないことを、貴女の妹さんはよくご存じだと思うのですが……」
異様に丁寧に言う彼の言葉に、そうなのか? とばかりに彼女は視線を隣のエウロパへと向ける。
それを受け、彼女は頷いた。
「はい。酔った私を自室の寝台に運んで、自分は椅子で寝る程度には紳士な方ですよ」
「マリエンネ?」
「だからそうだって言ったじゃん。ちょっと話があって寝落ちしただけで」
当の彼女は全く気にした風もなく、朝食に手を付けている。
カリストはしばし彼女の仕草を眺め、ややあってマコトへと視線を戻した。
「座れ」
「はい」
彼女の許可を受け、彼は恐々と着席する。
「……仲がよろしいのですね」
「これ見てそう言います?」
おずおずと言ってくるレティシアに、マコトは一同に視線をやりつつそう返した。
そんな彼の言葉に、彼女は愛想笑いを浮かべ、曖昧に頷く。
そしてそっと視線をそらし、それは朝食へと向かった。
マコトは諦めの息をつき、自身も朝食に手を伸ばす。
「ねー、マコっちゃん」
早々に朝食を平らげたマリエンネが手持ちぶさたとなったのか、渦中の彼へと話しかけた。
「なんだよ」
「何でマコっちゃん、皆に怒られてんの?」
「お前が迂闊な事するからだろ……」
うんざりとしたようなマコトからの返答に、彼女は疑問符を浮かべ、首を捻る。
そんなマリエンネの様子に、一同は戦慄した。
「ええ……ちょっとカリストさん、エウロパ、こいつをカリエイン家で引き取るつもりなら、ちょっと教育してやってよ……」
「あ、ああ」
「はい、必ず」
力強く頷くエウロパを見ても、古傷だらけの赤い髪の少女に、理解の色が浮かぶことはなかった。
***
「相伴に預かりましたこと、感謝致します」
「この人数です。一人二人増えたところで」
食後、律儀に礼をしてくるリアナに、カリストはゆるりと頭を振った。
その隣に、多くもない荷物を纏めたレティシアが合流する。
「……隊長、準備が整いました」
一瞬言い淀んだのを見逃し、リアナは頷いた。
そこへ両手を頭の後ろで組んだ、ヘルムートが、エウロパを伴って現れる。
「何だ、もう出るのか?」
「ああ、貴君にも迷惑をかけた」
「気にすんな。報酬も貰ってたしな」
「報酬?」
その言葉に、何故かリアナ本人が首を傾げた。
「金貨袋を拝領したが?」
「しかしあれは酒に消えただろう」
「そりゃそうだが、それも報酬だろ」
「……無欲なことだな。張り合いのない……成功報酬も用意がある。生きて戻って受け取れ」
「そりゃどうも……因みに何を頂けるんで?」
当然と言えば当然のヘルムートの質問に、彼女は半笑いの様な奇妙な表情を浮かべた。
藍色の髪の彼女は、右手の親指で、己の胸元を叩く。
カリストは目を眇め、レティシアは頬を赤く染める。
ヘルムートはひゅうと口笛を吹き……それが苦鳴に変わった。
リアナが怪訝に彼を見れば、隣のエウロパにつま先を踏まれている。
「金か色香か、差し出せるものなどそれしかなかったからな」
その様子を小気味よさそうに眺めながら、彼女は言った。
「部隊員を女性に寄せていたのも、その為だったが……まさか金袋に手を伸ばすとは、思っていなかったのだが」
「なら、レティシアの嬢ちゃんを内勤に回したのは……」
ヘルムートは足の痛みにぴょんぴょんと跳ねながら、しかし伺うようにリアナを見る。
「返答は差し控えさせてもらう」
「姉さん」
「隊長と呼べ」
「嫌です!」
姉妹のやり取りに、彼は呵呵と笑った。
「過保護なこった。ならだ、リアナ嬢。首尾よくいったら、酒をおごってくれ。んで、酌の一つもしてくれや」
そんなヘルムートの返答に、彼女は軽く目を見開き、そして微苦笑する。
「重ねて言うが……無欲なことだな?」
「そうか? これ以上の贅沢なんて、そうそうないと思うがね」
飄々と嘯く彼に、リアナは苦笑を深くし、そして頷いた。
「んじゃ、決まりってことで」
「ああ、わかった。武運を祈る」
表情を神妙なものに変えて言うリアナに、彼は気安く頷いた。
「皆さんも、ご無事で」
姉に続いたレティシアの言葉に、カリストとエウロパも頷き返す。
「それでは」
「失礼致します」
最後に二人は同時に頭を下げ、そして踵を返し、退室していった。
言葉なく、それを見送る。
「はてさて、やる気が湧いてきたね」
「即物的ですね」
ぽろりと零れた彼の本音か何かに、エウロパは非難がましい視線で見やった。
「エウロパ嬢の酌でも構わんよ」
「……考えておきます」
その返答に、ヘルムートは意外そうに眉を上げる。
「……御託はそれくらいにしておけ、出発の準備をするぞ」
仕切りなおすようなカリストの掛け声に、彼女ははっとし、頷いたのだった。