第百話 見えぬ悪意が絡まって
「……そこで、無為なるマナの誘引者が出てくるのか」
何かに気付いたのか、ヘルムートが声を上げる。
「どういう事です?」
「あらゆる物体の無為なるマナは、その世界に溶ける。つまりは世界の無為なるマナになる。そして世界とは」
世界とは、世界樹に成る果実である。
果実より生じる無為なるマナは、世界樹のマナとなり、世界樹を循環する。
「ここまではいいか?」
「はい、尤もなお話だと思います」
彼の言葉に、エウロパが頷いた。
「世界樹を循環するマナを、無為なるマナの誘引者が惹き付けるとしたら?」
「……誘引者のいる果実に、それが流れ込む、ですか」
「俺はそう思う」
果樹に生る実の一つに、養分が集中するようなものだ。
早々に、実は熟れるだろう。
果樹園農家が気付けば、嬉々としてもぎ、収穫するだろう。
そして、何者にも気付かれなければ。
遠からず、実は落ちるだろう。
「じゃあ、無為なるマナの誘引者自身が、世界の滅びを早める存在だってこと?」
信じられない、とばかりにマリエンネが激しく頭を振る。
自ら言い出したことではあるが、こうも筋道立てて説明されると、受け入れがたいものと認識されたのだろう。
「じゃあ『央』は、あの方は、何の為にこの世界に呼ばれたの……?」
「ちょっと待て、マリー。それはどういう事だ?」
マコトの言葉に、彼女はやや億劫そうに彼を見た。
「……なにが?」
「あの方は……『赤き戦慄』は、この世界の人間じゃないのか?」
「そう……だと思う。あたしが『見た』あの方の世界はあまりにも多彩で、異質だったから。幾つもの存在を下敷きにして、そこに在られる方だったから……」
「何で言わなかった?」
「マコっちゃんもそうでしょ。ライムちゃんもヘルムートのおにーさんも。そんな珍しい話じゃないと思って」
そういわれてみれば、確かにそうだ。
マコトとしては、自分以外の異世界人と同道するのは、初めての事であるのだが。
「他の『七曜』の誰かが、『央』を呼んだと?」
「……わかんない。そんなこと表だって言ってる奴は、いなかったし」
しかしそう考えるのが、妥当であると言える。
「しかし彼らは、『七曜』の面々も、世界の終わりを望んでいるわけではない」
「ドートートさんの、物言いを、考えると、必然、そうなる」
「ただなんというか、目的と手段が入れ替わっている感じがしないか? 差別を排する目的として、全人類をドゥルス化する、とするところが、世界の滅びを回避するという目的の為の手段として、全人類のドゥルス化を目指しているように感じられる」
「……ドートートさんの、物言いも、そうだった」
カリストの言葉を受け、ギニースはそれを接いだ。
「ドートート……さんと言えば、マコっちゃんについて変なこと言ってたよね?」
「……無垢なる光脈の牽引者が、世界の繋がりを強めた」
「そう。なんていうか……それぞれがそれぞれ、何の悪意もないのに、物事が悪いほう悪いほうに転がってない?」
ドゥルス族を救うために求められた『央』は、『赤き戦慄』はこの地に降臨した。
だが『央』は無為なるマナの誘引者であり、この世界に、アルジアスに無為なるマナを引き込んだ。
そして英雄たるを求められたマコトは、いくつもの世界を渡り……結果、アルジアスと他世界の繋がりを強め。
結果無為なるマナの集積が促進され……そして果実は完熟することとなる。
「僕は彼女に呼び出されたけど」
マコトはエウロパを見、そしてマリエンネへと視線を転じる。
「君らの『央』は、そもそも誰かの召喚を受けたのか?」
「……どういう事?」
「自らこの世界に来訪した可能性は?」
「……」
「その場合は、悪意の輩となりそうですね」
「何で?!」
マリエンネに食って掛かられ、エウロパは身を引くも、その視線は彼女に向けられたままだ。
「条件は分かりませんが、聖痕を他者に付与が出来る以上、自らが無為なるマナの誘引者である認識はある筈です。その上で意図的に、この世界に降臨したというのなら」
「完熟間近の世界に、止めを差しに来たって事になるか」
「あの方は……!」
「……その場合、『七曜』の方達への振る舞いは」
「マリエンネの嬢ちゃんには悪いがポーズ……振りって事になるな」
「……!」
エウロパとヘルムートの言葉に、マリエンネの口元から声ではなく、ぎりぎりて歯軋る音が零れる。
「マリー、落ち着け。言い出しておいて何だが、飽くまで可能性を列挙してるだけだ」
そんな彼女の肩に、立ち上がったマコトはぽんぽんと手を置く。
ふしゅぅ、と吐き出されるマリエンネの吐息。
「……今までのお付き合いから、私めはマリエンネ様が悪党であるとはどうしても思えません。そんな方にそれ程慕われる方もまた、悪意ある方でないと思います」
「小生も当初こそ懸念はありましたが、今はもうっ! それに今までお会いした『七曜』の方々にも、世界が滅びるのを是とするような悪意は感じられませんでしたっ!」
「同感だな」
二人の言葉に、カリストは頷いた。
「泣くなよ」
「うっさい、泣いてない」
すんと鼻を鳴らした彼女にそう言えば、鬱陶しそうに肩の手を振り払われる。
「しかしそうなると……呼び出した側に問題がある可能性があるか?」
ヘルムートが首をひねる。
ドゥルス族の現状を憂い、『赤き戦慄』を召喚した。
それは救世への祈りだったのか。
あるいは意図して、『無為なるマナの誘引者』を呼び出したのか。
「それは現状、知る術はないですが。もし後者の場合、ドゥルス族の現状を憂いるどころか悲観した、破滅願望の持ち主の仕業ということになりますね。ただ……」
「ただ?」
「いや、その場合は星の寿命を、果実の熟すを知る者ってことになるのかな、と」
そんな視点を持った存在が、この世界にいるというのだろうか。
「単にたくさんのマナを利用できる、って程度の認識だったのかもしれないよ?」
「それもまあ……あり得る話ではあるけど」
イオの言葉を、マコトは否定しない。
だが。
「ドートートさんの、言葉には、逼迫した、響きがあった」
「無為なるマナの誘引者が降臨したことで、何らかの異変を感じ取ったということでしょうか……」
「……他人事の様に言ってるけど、今やエウロパちゃんもその無為なるマナの誘引者だからね?」
「……それも、ありましたね」
マリエンネの指摘に、彼女は頬を掻く。
「そもそもそれは、本当なのか?」
「多分もう、本人にも自覚が芽生えてきたと思うけど」
カリストの問いに、彼女はエウロパについと視線をやった。
「……そうですね。膨大な無色のマナが、取り巻いているのが見えます。二つに枝分かれ、流れ込む奔流が」
「何故急に、エウロパ殿がそうなったのでしょうかっ!」
虚空を見上げる彼女の言葉に、ジェインが当然ともいえる疑念の声を上げる。
「そもそもそれは、体質って話だったような……」
「うーん、『央』の存在を知って、ヴォルフラムのおにーさんの混沌領域に負荷を受けて、開花したのかもよ。あたしの聖痕だって、あの方の存在を受けて授かったものだし。何かの影響で、体質が開花するっていうのは無い事じゃないと思う」
「その場合、マリーはエウロパを呼び水と呼んだけど、彼女にとっては『紅き戦慄』の存在が呼び水だったってことになるけど……」
イオの言葉に、マリエンネはそう答えるが、
「……結局、分からないことが多すぎて、憶測の域を出ないな」
マコトの言葉に一同は頷く。
「ドゥルスの保護の為か、世界の保護の為かわからんが、このまま連中が黙って見ているとも思えんし、次来た奴を問い詰めるか」
「それがいいかもしれません」
変わり映えはないが尤もなヘルムートの提案に、エウロパは同意した。
「では一旦、お開きとするか。皆疲れているだろうし、今日は早めに休んだほうがいい」
ぱんぱんと手をたたき、カリストが宣言する。
「お母さん……」
「誰がお母さんだ、誰が」
マコトの茶々に律義に突っ込みを入れ、彼女は率先して立ち上がる。
エウロパら姉妹がそれに続き、ヘルムートもそのあとを追った。
ジェインとライムも立ち上がろうとして、未だ着席したままのマリエンネと、その背もたれに手を置いたままのマコトにもの言いたげな視線を送るが……
それに返ってきたのは、マコトの笑顔だった。
頷きを返して、彼らも退室していく。
取り残された二人。
しばし、言葉はなかった。
「……盤外の存在が、いる気がする」
「盤外?」
「そう。僕らには、そして君たちにも、手の施しようのない悪意の持ち手はいないと思う」
「……うん。そーだね」
「だってのに、イオさんが言う様に、状況は悪いほうに転がってるみたいだ」
「だから、裏で糸を引いてる奴がいるって?」
「そう」
「糸を操るっていうなら、カリストおねーさんだろうけど」
茶化すように背後の少年に言うが、その口からは軽い言葉は返ってこなかった。
「マリー」
「ん、なに?」
「早まるなよ」
その言葉に、マリエンネは微かに息を呑む。
そしてややあって、後ろを振り返り。
「……うん」
こくりと一つ、頷いた。
百話だやったー。