第一話 呼ぶ声に応えて
声。
声が聞こえる。
いつもの声。
いつものような、声。
異口なれど、同音の。
助けを求めるその声に、彼は一言、応えるのだ。
「今行くよ」
と。
***
突如として開かれる視界、そして耳朶打つ大歓声。
目を眇め見渡せば、元居た場所とは似ても似つかぬ、石造りのすり鉢状の建造物の底に立っている。
彼が知りうるものの中で、最も合致する表現をするのならば、ここは競技場といえた。しかも観客満員の。
視線を落とす。
そこには、底には、彼以外に三名の人影があった。
右に控えるのは藤色の髪に黄色い瞳、背には大弓、両腰にはそれぞれ剣を佩き、にこにこと笑顔を浮かべる少年。
左に佇むのは赤みがかった金色の髪に青い瞳、徒手空拳ながら暗い赤色の手袋と同色の鎖帷子を身に纏い、気難し気に目を細める女性。
そして中央に佇む少女に、彼は一瞬息を吞む。
やや薄い金色の髪に緑がかった黒瞳、体の線を隠す、白い頭巾付きの外套を身に纏い、巨大な鍵を模した金属製の杖を持つ彼女。
わずかに見開かれた彼の黒瞳に、彼女が怪訝に小首をかしげる姿が映った。
それは一瞬のことで、彼は何事もなかったように首を振り、微笑む。
『見よ、我らが大願は成就した!』
突如として響く、周囲の歓声すら一蹴するような大音声。
若いというよりもやや幼い声に振り向けば、広く取られた貴賓席の只中に、凛と佇む少女の姿があった。
『我らが魔術師エウロパ・カリエインによって、約束の時は果たされた! 危急存亡、なれど二の轍は踏まず、我ら六国連合最後の札は揃った! ドゥルスの王を僭称する悪辣なるものに、我は宣言する! 反撃の時来たれりと!』
恐らく拡声器の類であろう銀色の細い棒を口元にあて、聞くものの心情を揺さぶるような声音で弁舌をふるう。
彼にしてみれば目まぐるしいというほかない状況に、しかし得心がいったとばかりに頷き、正面に向き直った。
呼吸を整えるべく、彼女が息を吸ったその瞬間。
轟音とともに天より地へと、雷が迸る。
否応無しに、その源へと視線が集中した。
彼。
何時の間にか握りしめていた、赤々と輝く戦鎚を掲げ。
「……勝利を!」
その宣言に。
先に倍する大歓声が、場内に響き渡った。
***
「大儀である、異邦の者よ!」
白頭巾の少女の先導のままに歩を進めた大扉をくぐれば、聞き覚えのある声が彼を迎える。
先ほどの弁舌とは対照的に、今や相応の幼さの残る声音で呵呵大笑する少女。
「あのような立ち居振る舞い、軽々に出来るものではない! 並みならぬ胆力よな!」
手にした銀の棒……ではなく瀟洒な扇をくゆらせる青銀の髪の彼女に、黒髪黒瞳、羽織る上着も足衣も同様の、黒ずくめの彼は恭しく頭を垂れた。
「恐悦です、陛下」
その言葉に少女の……女王の手が止まる。
顔を上げ、こちらに視線を戻した彼に、彼女は微かに眉を上げ、しかし満足げに胸を張った。
「……名乗りが遅れたな。そう、其方の推察通り、我がユピタール木王国の女王、スカイア・ユピタールである。見知りおくが良い」
そしてそのまま、視線を彼の右手側に移す。
「エウロパ・カリエインと申します。僭越ながら、宮廷魔術師を務めさせていただいております」
それに応じ、ややおずおずとした様子で、ここまで彼を先導した薄い金髪の少女がそう名乗った。
「加えて、其方をこの地に呼び寄せた召喚者でもある」
「なるほど」
スカイアの補足の言葉に、合点がいったとばかりに深く頷く。
「……カリスト・カリエイン。騎士だ」
彼らに続き、それぞれ方卓の左右に分かれて席に着いた彼女は、そんな彼の様子に訝しんだ表情を浮かべながらも、言葉を続けた。
赤みを帯びた金髪の彼女と、隣に座る明るい金髪の少女を交互に見やり、
「姉妹で?」
「ああ」
特にもったいぶるでもなく頷くカリストに、彼はやはり如才なく頷く。
「小生も宜しいですかっ? ジェイン・ジェア・ジェイルと申しますっ! よろしくおねがいしますっ!」
カリストとは反対の席に着いた少年が、元気もよろしくはきはきと答えた。
そして幼き女王はその傍らに控える、この場の最後の一人を流し見る。
「……ブレア・ガラクセイ。内政官を務めております」
身動きの一つもなく、ただ異界の少年を見据えていた緑の髪の彼女は抑揚なく、そう答えた。
そしてその場の視線は、最後の一人へと注がれる。
彼は両手を腰のあたりで軽く広げ、それを合わせた。
「タチバナ。シン・タチバナと申します。以後、お見知りおきのほどを」
にこやかに。
自らが置かれた、異様な状況に何一つ動じた様子もなく、にこやかに。
彼は。
橘真はそんな風に、嘯いた。
***
「ではシン殿、貴方をこの地へ招き寄せたのには訳がある……のですが」
やや視線を鋭くし、ブレアは彼を眇め見る。
「まずは伺いたい。宜しいか?」
「何なりと、ブレア殿」
「それです」
何ら物怖じもせぬ少年に、彼女は声も硬く応じる。
「貴方にしてみれば、突如として身に降ったはずのこの尋常ならざる状況に、些かの動揺も見てとません」
「慌てふためき、戦き喚く輩を相手するよりも良いのではありませんか?」
「無論その通りではありますが、それは貴方のその有り様を説明することにはなりませんよ」
「そうですね」
シンは頷き、考え込むような仕草を見せる。そして視線をスカイアへ向けた。
「陛下の御前までご案内頂けているということは、懸念はあれど疑念はないということで?」
「ああ、我はエウロパの判断に疑いを持っておらぬ」
頷く女王。
その様子に、ブレアの表情が微かに動いた。
しかしそれには取り合わず、彼は隣の少女を見やる。
少しばかり困ったように眉をはの字にして、同じくこちらに視線をやるエウロパに、シンは一瞬、眩しそうに目を細め、そして軽く微笑みかけた。
「ではエウロパさんのためにも、陛下のご懸念を払拭せねばなりませんね」
表情を改め、彼はブレアに向き直った。
「まず第一にこの状況は、『突如として身に降った』わけではありません。……助けを呼ぶ誰かの声を聞き、それに応えた結果です」
「誰のものかも、罠かもしれない呼びかけに?……その声に、応える義務などなくても?」
「確かに、敵味方も不明で、義務もなければ義理もありませんが、僕にも自分なりの信念がありまして。それに沿わぬような真似は、致しません」
ブレアの言葉に、彼は肩をすくめる。
「それはどのような……?」
傍らのエウロパの問いかけに、シンは視線を中空へと上げた。
「お天道様が見てる」
「え?」
「……何時だって、お天道様は空から見てるでしょう? 自分の何時如何なる時の振る舞いを切り取られ、白日の下にさらされたとしても、恥じ入ることなく生きていたい。ならばどうして助けを呼ぶ声に、耳を塞ぐことなどできるでしょうか?」
非の打ちどころの無い綺麗事。
胡乱げにこちらを見るカリストとは対照的に、ジェインはきらきらとした眼差しを向けてくる。
「素晴らしいお考えですねっ! 英雄たるもの、正にそう在るべきですっ!」
「ありがとうございます。求められて、英雄たるをすること、もはや両手の指では数えきれないほどですよ」
「……今、何と?」
「第二に、です」
女王の言葉に、彼は指を立てる。
「このような『尋常ならざる状況』……僕は、これが初めてというわけではありません」
「……異界より助力を請われ、戦場へと駆り立てられることが?」
「その通りです。最早、業として行っているとすら言えるでしょう。職業軍人ならぬ……」
笑顔で。
笑顔で、彼は言う。
「……職業英雄ってやつです」
シンは気負うことなく、手慣れた様子で頷いた。
くく、と。
スカイアが笑う。
「ブレア、もうよかろ。妾達はとんでもない良人を手繰り当てたのだ」
「……は」
「シン殿」
彼女は改めて彼へと向き直った。
「其方に、今一度助力を請う。……我らの援けとなって、くれるだろうか」
その言葉に、シンはただ頷く。
「ええ、勿論」