12話 きっかけは些細な事から
あれから少し時間が経ち、私は待ちぼうけながら机に突っ伏していた。
あまりにも暇なもんで、指先で傘を弄っているだけでは退屈。というかむしろ変に欲望を満たそうとしてしまっているため、『傘を振り回したい』欲がどんどん湧いてきた。
一ヶ月傘を振り回すのを控えたし、少しぐらい良いよね。
ここは図書館だけど、場所なんてはっきりどうでも良いよね。
楽しめることっていうのは、どこでやっても楽しいものだし。
それに人もあまりいないから、少し騒いでも、案外気づかれないかもしれない。
そんな理性を放り投げてしまったような思考に染まり始めていた。
そしてあと少し。あと数分で我慢の限界を迎え、傘を振り回しながら暴走してしまいそうだった、そのとき。ちょうどいいタイミングでイチヅが図書館の中へ入ってきた。
ここまで走ってきたのか、息が上がっており、肩で息をしている。
制服も汗だくになっており、肌にぴたりとくっ付いていて少しなまめかしく、思わず顔を逸らしてしまった。今の私は女ではあるが、やはり前世で何十年も男として生きてきた感覚というのは、何年経っても消えるものではない
「お、おま、たせ……まっ、た? いや、まった、よね」
「うん、待ったね。すごく待った。危うく傘を振り回し始めるところだったよ」
私は冗談と本音まぜまぜにそう言った。
「それは、本当に、待たせた、ね」
「いや、良いよ。全然問題ない。むしろ生徒会の仕事をしてきたのに、そこから勉強会までしてもらっちゃって、本当に悪いね」
我慢の臨界点があと数分だったことは言わなかった。
「良いって、こと、よ。私にできる、ことなんてこれくらいだし」
イチヅはそう言って大きく息を吸った。そして息を吐きだし、何回か息を吸って、吐いてを繰り返して呼吸を整始めた。少しの間そうしていると、すぐに息も落ち着いてきた。
「それにしてもずいぶん遅かったね。仕事多かったの?」
「仕事自体は多くはあったけど、ここに来る途中ワカヅ先生に会ってね。ちょっと雑談」
「そうだったんだ」
話の話題は何だろうか。もしかしなくても、私のことだったりするのかもしれない。それとも普通にそれとは関係ない、最近の調子を聞いたりみたいな雑談だったりするのだろうか。
「あ! それで、ひとつ頼まれごとをしていたんだった」
「頼まれごと?」
「そう」と言いながらイチヅは静かに頷いた。
「ワカヅ先生の研究室って、少し前に爆発したじゃない」
「確かそこそこの爆発で、先生の研究室はめちゃくちゃになっちゃったんだよね」
「それで研究室の修理中、部屋に置いていた大事な本を図書館に移していたらしいの」
「はぁー、そうだったんだ」
今使っている空き教室は、防犯としてはそこまで高くないし。そういうところに大事な本を置いておくというのは、やりたくなかったのだろう。それに大事な本だからこそ、適当に扱いたくはなかったのかもしれない。
「何冊ぐらい移してたの?」
「えぇーと、確か……少なくとも五〇冊はあったって言ってたはず」
「随分移してたな」
予想よりも多くの本に、思わずそんなツッコミが漏れてしまった。
イチヅは苦笑しつつ、話を続けた。
「その研究室の修理が終わったから、避難させていた本を研究室に戻したいんだけど」
「五〇冊もワカヅ先生が運ぶのは、だいぶ時間がかかりそうだね」
なんていっても完全に子供の身体。少し分厚い本を五冊ぐらい持っただけで、視界が塞がってしまいそうなほどの低身長。
そんな身体で五〇冊以上もの本を運ぶとなると、相当の往復回数が必要になる。
メチャクチャ大変である。
「でしょ。それでその本を運ぶのを私にやって欲しいって、頼まれて」
「なるほど。だったら私も運ぶの手伝うよ。一人よりも、二人の方が早いからね」
「ありがとうね」
私とイチヅは図書室の奥の方へと向かっていった。ワカヅ先生が避難させた本は、図書館の表側ではなく、裏側。普段はしまっている本を置く、地下室書庫にあるらしい。そこに勝手に入るのはダメなので、図書館で仕事をしている人へ一言伝え、その中へと入っていった。
そして若干埃の香りのする地下書庫から目当ての本をすぐに見つけ、図書館の外へと運び出した。
少なくとも五〇冊と言っていたが、実際のところ避難していた本は一〇〇冊近くあり、二人でも運び出すのには結構の時間がかかってしまった。
「ふぅー、ひとまずこれで最後かな」
「本当にありがとうね」
「お礼は良いよ。最近傘を振り回していないせいで、少し体が鈍っていたから、丁度いい運動になったから」
「相変わらず、傘を振り回すのが好きなのね」
「好き……ではあるのかな」
なんとも断言はしにくかった。
そんな風に思いながら返答をして、私は腕に日傘をかけ、本何冊か取って、それらを抱え持った。ずっしりとした重さがあり、鈍器みたいであった。
イチヅも同じく本を抱え持ち、歩き始めた。
「よいしょ、よいしょ」
本の重さがなかなかなため、歩くスピードはゆっくり。この速さだと、今日の勉強会は休みかな。まぁ勉強会一日なくなるくらい、問題はないか。
……。
…………。
………………。
ついでにあのことを聞いてみるか。
「ねえ、イチヅ」
「どうしたの?」
「なんでイチヅは私の勉強を手伝ってくれるの? 今日だって、生徒会の仕事が忙しいのに、わざわざ勉強会の時間をつくってくれたし」
「……それはもちろん、クラスメイトだったからよ」
それを聞いた私は、少し踏み込むようにして言った。
だってそれ以外の理由があるのは分かり切ったことだったから。
「本当にそれだけ? 他に何か理由があるんじゃないの」
「っ!?」
「もし他の理由があるなら、教えてほしいな。私としても、理由が分からないまま、勉
強会を享受し続けるっていうのは、締まり悪いし」
「……」
私がそう言うと、イチヅは黙り込んでしまった。そして彼女の歩くスピードが急に速くなり、前の方に出た。そのときイチヅの顔が赤くなっているのが見えた。
「別に無理にとは――」
「いえ。大丈夫。……それにいつかはちゃんと話したい、と思っていましたから。ただ少し言い出すのが恥ずかしかったから……」
前を歩くイチヅはそう答え、息を吸って、吐いてと深呼吸を繰り返した。それはさっきの、息を整えるためのものではなく、自分の気持ちを落ち着かせているように見えた。
何回か深呼吸を繰り返すと、イチヅは意を決したように私の方を振り返った。
そのときの彼女の表情はいつもみたいなできる女の子という感じではなく、どこか幼さを感じる、温厚な――小動物みたいな印象を抱いた。
「レインにさ……聞いたよね。貴方が初めて戦ったのときのことを」
「聞いてきたね。それで私はトロールと、って答えたよ」
「うん。そうだったわね……」
私が答えると、イチヅは静かに目を閉じた。
「私はそのとき助けられたのよ」
「……えっ?」
「貴方が助けてくれた女の子、それが私なの」
「……」
「私はあのとき、両親無事かどうかも分からなくて、不安なとき。そしてトロールたちが現れて、襲われそうになって、不安に不安が積み重なったとき。あのとき、貴方が前に出てきて、私を引っ張ってくれて、助けられたの」
イチヅはぽつりぽつりと言葉を漏らし出した。
私はその言葉を聞いて目を見開いた。
まさかまさか、だ。
「先の見えない、真っ暗なときに、貴方は私に光を見せてくれた。大丈夫って、言ってくれた」
懐かしむように、愛おしそうに、言葉を紡いでいく。
「他の人が聞いたらそんな昔の事って言うかもしれない。そんな些細な事って、言うかもしれない。だけどあのときのことが私にとっては一生ものの恩だったの」
「……だから私のことを助けてくれているの?」
「そうよ。私にできる恩返し、それはこの程度の事しかできないから」
イチヅは笑顔を浮かべながらそう答えた。私は顔が熱くなるのを感じ、思わず目の向き場が分からなくなってしまった。あたふたと、顔を忙しく動かした。
幸運なことに、そのときには既にイチヅは正面を見ていたから、そんな醜態を見せることはなかった。
「……」
あのときの女の子がまさかイチヅだった……とは。まだ脳内の処理が終了せず、滞っている。もし脳内処理がフリーズしていたら、何も考えられなかった。
開いた口が閉じないというのはこういうときのこと言うのだろう。
「あれっ? だけど髪の色は。あのときの女の子の髪の色って、桃色だった気がするんだけど」
「あのときの貴方に憧れて、色々と頑張っているうちにこうなっていたの」
「頑張ったら」
「ええ。頑張ったら色が変わったの」
「えぇ……?」
人体の神秘なのか、異世界の神秘なのか。ともかく凄いなー。そんな小学生みたいな感想しか湧いてこなかった。どうやら私の脳内処理スピードはまだ滞っているみたいだ。
「あっ。だからって言って、私に申し訳なさとか感じなくていいわよ。これは私が好きだやっていること。貴方への恩を返すために、自己満足でやっていることだから。……だからレインは、これまで通り、に勉強会をしたり、話したりしてくれると嬉しいわ」
「……うん。そうするよ」
何とか処理をすべて終え、正常運行となった脳を使って、そう答えた。
* * *
そうしてイチヅから勉強を手伝ってくれる理由を聞いた私は、研究室へと歩を先ほどまでと変わらず進めていた。
あのときの女の子がイチヅだったことは本当に驚きであるが、それ以上にそれに気が付かなかった私の節穴っぷりに驚きである。どんだけ傘を振り回すのに夢中になって、周りを見ていなかったのやら。いや、そもそも人を見ていなかったのやら、ということだろう。
そんな風に自分を卑下していると、いつの間にかワカヅ先生の研究室の目の前まで来ていた。
ワカヅ先生の研究室は、安全上の関係で、校舎からは少し離れたところに建てられた建物を使っている。一階建ての石造り。暴発によって破損された壁の部分は真新しい石が使われていて、白と黒のコントラストとなっていた。
研究室の窓から見える、真新しいカーテンは閉まっていて、中の様子は一切見えない。ただカーテンの隙間から光は少しも漏れていなかったため、研究室の中は真っ暗であることが想像できた。
「ワカヅ先生いないのかな」
「? おかしいわね。研究室にいるって言っていたのだけど」
「ひとまず扉を叩いてみるか」
私は運んできた本をドサリと音を立てて地面に置き、もしかしたら仮眠しているかもしれないので、強めにノックした。
「……」
「……」
中から返事はない。
私はもう一回、今度はさっきよりも強めにノックした。
「……」
「……おかしいわね」
今度も返事はなかった。
「何か用事でもできたのかしら」
「そうだとしたらどうする? 本はこのまま置いて帰る?」
「それは少し安全上的によろしくないから、待っていましょう」
「ま、それもそうか」
そう言って、私は重いものを持って疲れた身体を休めようと扉へ寄りかかった。
「っ!?」
その瞬間、扉がゆっくりと中へ動き、私の身体が前へ転がりそうになった。寸前のところで踏ん張ったたため、幸い倒れるということはなかった。
「大丈夫!?」
「う、うん。一応大丈夫。……それにしても扉が開いてるってことは、ワカヅ先生中にいるのかな」
「空いてるってことはそう言うことよね……」
首を傾げながら私とイチヅは研究室の中へ入った。
中はやはり光が付いておらず、真っ暗闇だった。そこでイチヅが魔法を詠唱し始めた。
「《世界の基本たる一構成はここにあり。照らし、示し、灯したまえ――クリエイト・ライト》」
詠唱を終えるとイチヅの目の前に淡い光を放つ玉が生み出された。ゆらりゆらりと不自然に揺れながら、それから発される光が研究室の中を照らしていく。
机や空の棚が整然と並べられている。机の上にはいくつもの道具や本、紙束が積み重なってる。床にはまだ何も置かれていないが、少しすれば、机に置かれているモノたちが床へ散乱していくだろう。
「イチヅせんせー。いますかー」
「イチヅ先生。言われ通り、頼まれたモノを持ってきましたわよ」
私はそう呼びかけた。しかし、さっきと同じく返事はなかった。その代わり小さな物音がした。
物音の発生源は棚の後ろからであった。
「イチヅ先生?」
「ふわぁ~。ああ、ごめんね、イチヅちゃん。それにレインちゃん」
棚の後ろから欠伸を漏らして、ワカヅ先生が現れた。髪は少々ボサボサとなっていて、だらし気なさを感じた。
「昼寝をしてたんですか」
「そうだよ。ここしばらくはちょっと忙しくてね」
……昼間見たときはそんな風に感じなかったが、それはたくさんの生徒たちの前だったからかな。
「気をつけてくださいよ。そんなんでまた暴発事故起こしたら、また大変ですよ」
「分かってるよ。それより頼んだものを持ってきたんだって。じゃあ、あとの残りは全部私がやるから、ひとまずそれを入り口のところに適当に置いたら帰っても大丈夫だよ。勉強会やるんでしょ」
「?」
「分かりました」
イチヅはそう返事をして踵を返そうとした。しかし私はその場を動かず、腕を下ろして、そこにかけていた傘を滑り落してキャッチした。
「どうしたの、レイン?」
イチヅが不思議そうにして尋ねてくるが、私は何も返さない。その代わり、傘を前後に揺らしながら目の前にいるワカヅ先生に向かって言った。
「え、ちょっ!? レイン!?」
「……すみませんワカヅ先生。ひとつ良いですか」
「? 良いけど、急にどうしたのかな?」
ワカヅ先生はにこやかにそう返した。彼女は私の動きを、今の体勢を見て、なんとも思っていなかった。
「今更ですけど、私古代魔法に興味があるんですけど、色々とご教授してもらっても?」
「もちろん、大歓迎だよ! 古代魔法に、遅い早いもないからね。しっかりこの道に引きずり込んであげるよ!」
やはりにこやかに。不気味なほど、にこやかにそう答えた。
「……」
「!」
他の本も持ってこようとしていたイチヅは足を戻し、私と同じくワカヅ先生を見つめている。
「最後にもう一つ」
「何かな?」
「貴方は誰だ」
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