7話 次元魔法
次回は明日の18:00頃更新予定です。
現れたのは、楕円形の黒い『穴』だった。
レインが思い切り両手を広げて、ギリギリ端と端に触れる程の大きさの穴。
光を全く通さない漆黒。月が無い夜よりも暗く、まるでその空間だけが、ぽっかりと世界から切り取られたかのような違和感がある。
空気が、音もなく静かに穴へと吸い込まれている。
──何処へ繋がっているのだろうか?
無意識に、レインは穴の方へと手を伸ばす。
一見不気味に感じられるものだが、実は全くといって恐怖は無い。
本能が、その穴の中へと誘っていた。
「ギギャアアアアッ!!!」
黒い穴へと触れんとするその瞬間、大剣持ちが叫ぶ。
未知の存在に恐怖を覚えたのか、はたまた本能でこれから何が起こると察したのかは分からない。
怒髪天を衝くほどに、怒りで顔を歪めた大剣持ち。目にも見えないような速度で、伸ばした手を掴もうとするが、もう遅い。
レインの指先がそれに触れた瞬間、レインとアルマは溶け込むように黒穴に吸い込まれていく。
ここではない世界へと繋がっていく。
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全身を引っ張られる様な感覚が終わり、レインはゆっくりと目を開ける。
「白い……」
光を塗りつぶしたかのように黒い穴とは対照的に、そこは一面真っ白な世界だった。
とはいえ雪におおわれている訳では無い。
その場所は、白い石材のようなもので作られていた。
何も無い、虚無の世界。
キョロキョロと当たりを見渡すが、この世界の入口なのであろう黒い穴以外は、何も存在しなかった。
「そうだ、アルマは!」
腕の中の少女を見る。
穴に入る直前は気絶していたが、若干意識が戻ったのか、「……うぅ」と小さく唸る。
良かった、アルマは無事だった。
これで、レントとの最期の約束を果たすことができる。
そう安堵し、アルマを抱え直そうとしたその時──
──『ニュルリ』と、手が滑った。
「あ、れ……?」
レインは己の手を眺める。
その手は赤い血で濡れていた。
己の血では無い。傷はアルマが回復魔法で塞いでくれた。
なら──
レインはアルマの背中を見る。
そこには、ゴブリンの矢が深々と刺さっていた。
「ああ、あああ……」
いつ?何故?どこで?
思考が纏まらず、グルグルと何度も巡る。
「……ゴブリンから逃げる時」
矢がレインのふくらはぎを貫いた時、同じくアルマも背中に矢を受けていたのだ。
「じゃあ、なんで、自分に回復魔法をかけなかったんだよ……僕の傷なんかよりよっぽど、酷い怪我をしているのに」
ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
涙がアルマの頬に落ち、さらに下へと伝う。
白い床に、黒いシミが浮かぶ。
「止まれ!止まれ!止まれよ!」
ローブを破り、傷口を押さえて止血を試みる。しかし、流れ出る血は一向に止まる気配は無い。
「……お願いだから、止まってくれよぉ」
レインは、回復魔法を使うことが出来ない。
少年にできることは、徐々に生命を失っていく少女を、ただただ抱き留めることだけだった。
傍観するしか出来ない己に腹が立つ。
「──ッ!?」
急にドキリと胸騒ぎがし、黒い穴を睨む。
ヤツの気配を感じ、ドクドクと心臓が早鐘を打つ。
「来るなっ、来るなっ……!」
と、何度も念じるが叶わず、それはゆっくりと穴から生えてくる。
筋肉が隆起した緑色の右腕。赤い飛沫で斑に汚れている。
黒穴に入る直前、レインの腕を掴もうとしたそれが、ズズズズッと、この世界に侵入してくる。
ギュッと、無意識のうちに腕の中の少女を、強く抱きしめる。
折角逃げ切れたと思ったのに。
ここまで、やって来るのか。
「閉じろおおぉ!!」
穴に向かって、全力で吠える。
魔力はもう残っていない。そのため、文字通り命を削り、魔力を生み出す。
限界まで酷使し、何とか生み出した魔力で魔法を操る。
その甲斐あって、黒い穴が急速に閉まり始める。
穴の向こうに居るであろう大剣持ちが、慌てた様子で手を引き抜こうとするが、それよりも先に穴が完全に閉じ切った。
ぼとっ、と穴のあった場所に、緑色の腕が落ちる。
「……ゴホッ!」
ぴしゃりと、咳と共に吐き出た血が地面を濡らす。
ぐらぐらと視界が揺れる。限界を超えて魔力を使用した影響だ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
浅い呼吸を繰り返す。
もしかしたらここで自分も死ぬのかもしれない。
……それも、いいかもしれないな。
自分一人生き残って何になる。
守ると誓ったのに、誰一人守れず。更には親友との最期の約束も違えてしまった。
こんな木偶、生きている価値など無い。
生き恥を晒すくらいならこのままいっそ──
「……あ」
腰の剣を抜こうとしたレインを止めるように、手が添えられる。
「……は、早まったら、だめ」
「アルマ……」
震える手で、レインはアルマの手を握る。
「……ごめん、ごめんよ。守るって誓ったのに。誰一人として守れなかった」
再び涙が溢れ出す。
ぐしゃぐしゃに泣きじゃくりながら、懺悔する。
もしも、あのとき──と、後悔が尽きることは無い。
「1人で、抱え込まない、で……」
「でも……」
アルマが優しく微笑む。
そのまま眠りにつきそうなほど、穏やかで儚げな笑み。
いままでこんな風に笑った所など、レインは見たことがなかった。
「……もし、レインが、自分を許せないなら──」
アルマが力無くレインの手を握り返す。
そしてそのまま言葉を紡いだ。
「──私が、赦します」
「……っ!」
「街の、神官さんって、懺悔を聞いたりするらしい、よ。やり方が合ってるかは、分からないけど」とアルマが笑う。
そんなアルマの様子に、「なんだよそれ」と、レインも破顔する。
「……アルマ」
「……な、に?」
「──ありがとう」
心からの感謝を、アルマに伝える。
アルマは、レインの言葉に大輪の笑顔を咲かせ──
「うん、どういたしまして」
──と返事をした。
レインはアルマの唇にそっと口付けをする。
「アルマ、好きだよ」
その言葉にアルマはどんぐりのように目を丸め、頬を桃色に染める。
そして、「私も」と照れを誤魔化す様に笑った。
「……あぁ、幸せ、だな。こんな時間が、もっと、続けば、良いのに」
アルマの目尻に涙が浮かぶ。
そしてゆっくりと手が、やさしくレインの頬に添えられる。
その手はすっかり冷たくなっており、否応にも時間が無いことを教えられる。
「……トーマスとレント、そしてレイン。この、皆で、また、いつか───」
「……うん」
その続きを言い切る前に、アルマはこと切れた。
頬に添えられていた手のひらが、力無く、だらんと垂れる。
「──うっ、うっ!うあああぁぁ!!」
嗚咽を漏らし、少女の死を嘆く。
しかし、今度は自罰的な後悔はない。
少女の赦しが、少年の心の負担を少しばかり取り除いたのだった。
作法があっているかなど関係ない。少女が少年を一心に想う気持ちがあってこその事だった。
「──っ、あ」
魔力不足の影響が限界に達し、レインは力無く倒れ込む。
己が回転しているのではないかと錯覚するほど、平衡感覚が無い。
手足に力を入れることさえ難しく、ただ無機質に、地面に体を投げ出すことしか出来ない。
「ぁる、ま」
最後の力をふりしぼり、隣で永遠の眠りについた少女を抱きしめる。
これまで倒れるほど魔力を使い切ったことは無く、この後どうなるかは、自分自身でも分からない。
けれど、どうなるとしても、一緒に居たい。
そう想っての行動だった。
目が霞み、瞼がゆっくりと閉じる。
ただ目を開けることさえ難しくなっていた。
気絶しまいと意識を強く保っていたが、それも限界に達し──
そして、レインの意識が途絶えた。
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