9 下調べと夕飯とホットココア
「精鋭が侵入している第二階層の様子を見てみるか」
「マスターの能力だと、映像ではっきり確認できるのは便利ですね」
第一階層のリニューアルを終えたので、モニターを第二階層に切り替える。
侵入した三十名の精鋭たちは、城門を通ることなく、城外で三方に分かれたようだ。
彼らは城塞都市に堀が用意されていないのをいいことに、城壁に縄梯子を取りつけると、するすると登り始めた。城壁の上には歩廊という、見張りや迎撃のための兵士の通路がある。そこから都市の内部の様子をうかがい、侵入する気のようだ。
「しかし、城門も占拠するんだな」
「魔物がポータルを越えてくることを恐れているのでしょうし、城門を取られることも危惧しているのでしょう。きっちり調べ切るまでは安全第一なのは、堅実でいいと思います」
侵入した精鋭の後に、後詰めの百二十名が城門や城壁の側防塔に展開する。外敵を防ぐための城壁が、内部からの襲撃を警戒するために使われるとは、皮肉な話だ。
実のところ、スケルトンが城門や城壁を積極的に利用することはない。魔物の立ち入りを禁じたセーフゾーンだから安心していいのだが、彼らにそれを確認するすべはないので、しばらくはこのままだろう。
「しばらくこんな感じで、動きがなさそうだな」
「大まかな地図を作成して、要所に目星をつけて、民家に侵入してみるくらいが目的でしょうね」
「中心にある城館が重要施設なのは一発でわかるとして、他には兵舎、教会、市場、宿泊施設、あたりが目をつけられるかな」
この第二階層は、城館にいる階層主を倒せばクリアだ。しかし、城館の扉を正攻法で開けるには、鍵が必要となる。ステルスアクションゲームのごとく、点在する情報とお宝を集めて、そしてボスに挑むという構成だ。
人数を用意して損耗を覚悟できるならごり押しもできるし、少人数でもクリアできることをコンセプトとした。軍もいくら倒しても補充されるスケルトンに、面倒臭さを感じることだろう。
「あの教会、色々と問題になるような……、いえ、こちらの話です」
「そんなにか? もう作り直しするには遅いな」
教会を作るにあたって、こちらの宗教知識が俺になく、地球風にしたので邪教崇拝と思われるかもしれない。白天使に先に相談しておけばよかったと後悔する。
その内部には、なんとなくそれっぽいだろうとステンドグラスを配置した。どうせ盗まれるか壊されると思ったので、守護者として中身はがらんどうな鎧騎士も複数配置しておいた。物音をたてなければ何もしない魔物だが、なんだか質の悪い罠になってしまったような気がする。
「しかしあの人たちが本格的に攻略にきたら、第三階層にお引越しですか。見つかるわけにはいかないとはいえ、あわただしいですね」
「第三階層は環境的に過ごしやすくて、快適だと思うぞ。ここはずっと夕暮れで、生活するには微妙だし」
「じゃあ第三階層の作りこみを急ぎましょうか」
「時間はいくらあっても足りないな」
なんせ第三層はさらに巨大に作って、画期的なシステムも導入したいのだ。第二階層の『黄昏の城塞都市』は、現地民にも馴染みやすいように配慮したつもりだ。ダンジョンのセオリーからいきなり外れすぎると、あちらも適応が難しいからだ。しかしその分、第三階層は冒険をしたい。
受け入れられるとありがたいが、こちらの調整の努力も必要だろう。第二階層のクリア報酬も、最終チェックをしなくてはいけない。それからしばらく、俺たちは城館の食堂を利用して、黙々と調整作業を進めていくのだった。
◆◆◆
「はぁー、疲れました。マスター、休憩しましょうよ」
「かなり時間が経ってるな、そろそろディナーも用意するか」
力尽きた白天使が、食堂の石造りの机にべったりと頬をつける。
集中していたが、どうやらそれなりに時間が経っていたようだ。
第三階層の作りこみは外見は終了、そこは簡単だった。しかし中身とギミックは、いまだに基準ラインまで達していないので、ゆっくりと調整していきたいところだ。
ガラスもない窓から身を乗り出して外をながめても、いつだって変わらない夕焼け空が見えるだけだ。しかし、この分だとダンジョンの外は夜になっている頃だろう。一日二食も食べるなんて、俺も偉くなったものだ。
「今日の夕食は、クラブサンドと甘さひかえめのホットココアだ。自販機にも十食セットで追加しておいた」
昼に出先で食べたくなるものかもしれないが、なんとなく食べたくなったので夕食に作った。クラブサンドにはローストチキンとベーコンがたっぷりで、味付けのマヨネーズソースには隠し味を入れてある。そこにメインのこんがりトーストしたパン、すっきりした食感のトマトレタス、やや半熟の黄身が全体をまとめてくれる。
「見た感じボリュームありますね、これは軍人のみなさまも喜びそうです」
「以前に出したパンだと、カレーパンとウーロン茶セットがウケがよかったな」
未知のクラブサンドを食べるのは怖いかもしれないが、口に入れれば気に入ってもらえるだろう。昨日に出したおにぎりと豚汁セットは一部に嫌がられてたが、今日は当たりだとうるさくなりそうだ。米や味噌もバンズにして出せば、リベンジできそうな気はする。
「おそらくカレーパンが好評だったのは、揚げ物で香辛料が効いていたというのもありますが、大きい肉が入ってたからだと思いますよ」
「ああ、牛すじか。この辺の肉って高いのか?」
「猟師は需要はあっても、なり手が少ないんですよね。身近にダンジョンができていても気づきにくいので、ダンジョン崩壊に巻き込まれて亡くなりやすいのです」
「そういうものか」
「死ななかったとしても鳥獣が増減したり、山や森の乱れの影響を最初に受けるんです」
田舎ほどダンジョンの発見が遅れて崩壊しやすく、はぐれた魔物が地上を荒らしまわるのか。猟師はたんぱく源を入手する人間であり、炭鉱のカナリアのように、危機を知るための生贄でもあるわけだ。
「牧畜は盛んじゃないのか?」
「んー、ダンジョン崩壊の後処理が長引くと、穀物も枯渇しかねないですし、毛が有用な種類以外は奨励されてないはずです」
「それじゃあ食料全般が高そうだ」
「たぶん肉を安定して食べられるのは、兵士か猟師か富豪くらいですよ」
サーロインステーキなんて出したら、やばいことになりそうだ。一食にしてはコストが高すぎるし、特に贅沢するつもりもないので出す気はないが。
「魔物はたくわえたエネルギーごと魔石になるから、飯にならないのがつらいな」
「優秀な魔術士に魔石を渡せば農地ができますから、釣り合いはとれているのかなと思いますよ」
ダンジョンの外を更地にした魔術か。数年、下手したら数十年はかかる作業をスキップしてしまった。
あれが魔術士の上澄みだとしてもすさまじい。うちのダンジョン攻略には貴重すぎて出せないみたいだが、ああいう人材が来たら第二階層も壊れてしまいそうだ。
「白天使の食事の好みって、そういえば何なんだ?」
俺よりも先に食事も終えて、ホットココアをぐいぐいと飲みほす白天使に問いかける。大体は美味しく食べているようだが、そろそろ好みくらいできたんじゃないかと思う。ホットココアを気に入ったことは、言われなくてもわかる。
「塩分は好きですけど、油っぽいのはあんまりですね。甘いものは好きです」
「油ものは好きな人でも、大量には食べられないからな」
俺は子どもの頃に……、俺の記憶がまたバグっているようだ。昔のことなんてどうでもいいのに、過去は消し去ったりできないらしい。一瞬だけよみがえった記憶は、すぐに砂嵐が発生したかのようにとぎれとぎれに見えなくなり、やがてそのまま消えた。
「急に頭おさえたりして、どうしました?」
「いや、なんでもない」
白天使の紫の目を見ると、ふらつきはすぐに治まった。それは雨上がりの紫陽花のような、あるいは匂い立つローズマリーの花のような、そんな神秘的な色だった。
自分の記憶を取り戻したいとは、思っていない。
仮に白天使が俺の存在を忘れたとしても、思い出せだのなんだのと言う気もない。生命体の意思は、脳の仕組みに立ち向かえるほど強くはない。記憶があるなら紐づけが繋がれば勝手に戻るし、戻らないなら戻らない。
「白天使は何かと目を合わせてのぞき込む癖あるよな」
「マスターも意外と癖ありますよね」
「そんなものあったか?」
「ふふ、自分のことなんてそうそうわからないものですよ」
「そういうものか」
笑い出した白天使は何におかしさを覚えたのか、俺にはよくわからなかったが、つられて少しだけ笑った。俺も残っていたクラブサンドをたいらげて、ホットココアを口に含む。
白天使はホットココアを気に入ったみたいだが、俺には甘さひかえめでも、甘すぎたくらいだった。次はせめて、シロップなしのカフェオレにしたいところだ。
「仕事終わりに、監視映像のログでも見ておくか」
「そういえば今日は監視がおざなりでしたね」
ダンジョン外にある本部は今も明かりをともして、人の行き来が活発だった。さかのぼって過去の情報を整理し、テーブル上の監視モニターに映す。
「第一階層を探索した三百人は順調のようだな、調査ついでに宝箱もそこそこ見つけてるみたいだし」
「途中でちらっと見ましたけれど、ボス部屋もあっけなくクリアしてましたよ」
第一階層のマッピングは途中のようだが、宝箱を四十個発見できたようだ。小さく粗末な木箱に入っていたのは、ティッシュやトイレットペーパーだった。
第一階層の宝箱は自動補充にしてあって、条件を満たしたらどこかに出現するようになっている。宝箱が初期位置にある限りは、木箱と中身を食わないようにスライムを再設定しておいた。
魔物が人を食わないように設定できれば、狩場を提供できるんだが、生物に対する憎悪のような執着と行動原理は、なかなか剥がせないので困ったところだ。
「ティッシュもトイレットペーパーも人間にはありがたい品でしょうけど、宝箱で大量に出すつもりなんですか?」
「軍隊の消費量を超えるくらい出さないと、気軽に使ってくれないだろう」
一ロールが二十回使用可能として、独立大隊は六百名なので、一日三十ロールあれば足りる。探索が追いつかなければ全然足りない気かもしれないが、それなら後から増やせばいい。後から供給量を減らすよりも、増やしていく方式の方が反感は持たれないはずだ。
「マスターの想定外の使用法になるか、全部別の場所に持っていかれるような気がします」
「それなら自販機を一台追加して、安く購入できるようにした方がいいか。白天使はどう思う?」
「追加するなら高めの値段でもいいと思いますよ」
「覚えておくよ」
映像ログでは軍人が深刻な表情で話し合って、臭いをかいだりちぎって口に入れる様子が見られる。しかし、それはただの使い捨てハンカチだ。
外装も含めて水で溶ける環境対策も入れた仕様で、その分コストが多少増えた。しかし、それでも木箱の方がコストがかかるくらいのお値打ち品だ。衛生のためにどんどん使い捨ててほしい。
そのうちパンデミック対策もしたいが、現時点では消毒液くらいしか思いつかないな。抗菌薬のようなものを用意するには、知識もコストもない。
「第二階層の方は成果なしか」
「民家を優先して調べていましたね。少数での偵察もまだ初日ですし、重要そうな施設には慎重にいきたいのでしょう。不確定要素を消すのも大事なことですしね」
家屋にも宝箱を仕込んであるから、この慎重さだとそのうち見つかりそうだ。まぁ取ることが、必ずしも正しいわけではないのだけども。
「今日は変化なさそうだし、寝るか」
「ではマスター、また明日に。おやすみなさい、よい夢を」
「ああ、お疲れさま、おやすみ」
とりあえず普段の作業は城館の食堂に集まるようにしているが、一人になりたい時や寝る間は別室にすることになった。白天使はどうでもよさそうだったが、俺はよしとしなかった。
子どものあいつに女としての魅力は感じていないし、欲望が希薄な俺の体にも感謝したい。白天使も最初はもう少し俺を警戒していたような気がするが、初心を思い出してほしいものだ。