8 妖精の洞窟のリニューアル
「ダンジョンって鉱山みたいなものですし、そういうものなんですよ、マスター」
「どういうことだ?」
ダンジョン周囲の森が、完全に消失していた。
こんな異常が起きているというのに、白天使はやけに冷静だった。
「ダンジョンは必ず人類の生活圏に出現する災害です。都会や交易路上にできたものはまず排除されますが、良さそうな鉱脈なら利用しやすいように手間をかけるのです」
「ああ、管理を楽にするために、周囲一帯を更地にしてたのか」
「そういうことです」
このダンジョンはかつては森の中にあり、崖の斜面にぽっかりと空いた洞窟の形をしていた。しかし、その洞窟は現実には存在しない。現実世界に存在していたのは入口だけで、肝心の中身の部分はシームレスに異界に繋がっていた。
だからこの一帯を更地にすれば、ダンジョンのゲートだけがここに残るというわけだ。実際に外を監視すれば、ゆらめくもやのような巨大な光の輪郭の中に、洞窟の中身が見えてシュールだ。それはまるで正体を見破られた擬態生物のようで、奇妙なおかしさがあった。
「ダンジョン内部まで解体の衝撃がなかったあたり、おそらく王宮所属か、軍将校の熟練魔術士がやったんだと思います」
「振動も全然感じなかったし、静かで丁寧な仕事だったんだな。巻きぞえの虐殺で、大量の動植物が死んでそうだ」
どこまでも殺風景な外を見渡せば、軍が作り上げた簡素な本部と、倒木と岩を積み上げた集積所があるだけだ。洞窟の名残は、もはやダンジョン内部だけになっていた。
植生や動物のなわばりに影響が出たと思うが、大丈夫なのだろうか。周辺村落に異常が出ても、俺には何もできない。
「魔術を発動させるのに、魔石も相当にかかったでしょうね。マスターのダンジョンが、評価されたということです」
「じゃあこれから街ができるってことか」
「んー、今すぐには建築材料も人の移動も追いつかないです。これから冬なので、本格的になるのは春以降でしょう」
そういえば外は随分と寒くなったらしい。もっとも、俺は寒さを知覚して理解できても、それが脅威にはならない。見つかれば社会的に死ぬとしても、極寒の雪原に裸でも死にもしないだろう。
「ところで、私の夕飯抜きはよくないですよマスター。人の上に立つものは、軽々に権力をふるってはいけないのです。恐怖政治の末路がどうなるか、お分かりでしょう?」
「まぁ白天使にとっては、報告する必要のないことだったとは理解した。夕食のデザート抜きで勘弁しよう」
「私のデザートが……」
そこまで落ち込まなくても、最近まで俺たち絶食してたくらいじゃないか。白天使があまりに落ち込むので、すごく悪いことをしてしまったようで、良心の呵責を感じる。俺たちは人じゃないが、何かが得られると際限なく求めてしまうのは、人と変わらないものなのかもしれない。
「情状酌量の余地ありで、デザート代わりに、甘さひかえめのホットココアは出す」
「なんですかそれ」
「冬に飲みたくなる甘い飲み物」
俺は甘いものが特別好きというわけではないが、ホットココアは練る手間が面白い。今すぐ飲みたいという白天使を無視して、ダンジョン周辺の監視へ意識を移す。
この場に大型の仮想モニターを可視化して、映像を投影する。ソファーベッドに座って、カメラワークをいじりつつ、映画鑑賞のような体勢でそれを見る。
「ほら、監視しよう」
「しょうがないですねぇ」
独立大隊の簡易本部は、ダンジョン外に設置してあった。
指揮官である少佐は三十代後半ほどで、短髪で大柄、するどい目を持つ男だった。彼は組み立てテーブルに並べた資料の前に立ち、第二階層に派遣した部下の報告を聞く。難しそうな顔をしたまま、左手を下顎に当て、考え込んでいた。
しばらくして、自動販売機の帰還スクロールと治癒スクロールを三つずつ交換させる。そして精鋭の三十名を選び、魔術スクロールを持たせて第二階層に送り出した。
「第二階層の攻略人数を減らす。生存優先の情報収集を主軸とし、スケルトンの行動法則の検証を進めるって言ってますよ」
「精鋭も損な役回りだな、危険手当で給料がいいんだろうか」
魔術スクロールがあっても、即死すればなんの意味もない。俺なら未知の場所に命がけで突っ込むなんて、どれだけ給料がよくても耐えられない。捨て駒みたいな扱いだと人材流出が止まらないだろうし、上層部も労には報いると思いたいところだ。
「自動販売機の食事を、調査名目で優先的に食べられる権利をもぎとってましたよ」
「口に合うかはともかく、他では味わえない料理と思えば、結構な値段しそうだな」
「刹那的な生き方してますから、当たりはずれもわからない博打が好きなんでしょう」
「デザート系は大体評価高いけど、メインはボロクソに言われたりもするからな」
今日はボロネーゼセットを五食しか追加してなかったが、次からは十食くらいに増やすべきかもしれない。ただ、食事はメインの稼ぎでもないし、あんまり出しすぎるのも怖い。足りないくらいの調整が一番いいと思っている。
食わせて腹を壊した人は今のところいないが、再現した化学調味料や添加物が長期的リスクを抱えていそうだし、国民体質的なアレルギーがあったとしたら恐ろしい。
「話を戻すけど、これからこの六百人はどう行動するつもりなんだ?」
「半分は第一階層の探索、百五十名は本陣の構築、百二十名は第二階層の城門城壁の占拠、三十名は第二階層の探索、らしいですよ」
「第一階層に半数も使うのか? 前に来た小隊がすでに調べていたはずだが、念入りだな」
「見落としや変更点がないか、確認しておきたいのでしょう」
第二階層に潜入作戦をとったこともあって、第一階層の探索をするには都合がよかったというわけだ。無駄のない運用だな。
「しかし成果なしだと気の毒だし、白天使がやりたいなら第一階層のリニューアルでもしてみたらどうだ?」
「えっ、今ですか……? ボス部屋のケルピーを集団にして、リポップ可能に設定。あとは純粋に洞窟を拡大させて、細かい通路を増やして宝物を設置するくらいですかね」
「洞窟の深いところまで降りて、うさぎの穴くらいの場所を通ると、隠された空間が存在していた、とか面白そうじゃないか?」
イギリスには騎士団伝説や黒魔術の痕跡で話題になった地下スポットがある。謎の地下空間が発見されることはたびたびあるが、どれもロマンあるものだ。未知の発見というのは、心が躍る要素だ。発見者も鼻高々に自慢するだろう。
「それはいいですね! 神殿という設定にして、オブジェクトもこだわって、宝物に強力な効果をつけた異界品を用意しましょうよ!」
「悪用できそうなものじゃなければ、好きにしてもいいぞ」
別に世界に混乱をもたらしたいわけではないので、最低限のことは守りたい。もちろん、魔物と魔術スクロールを産出するダンジョンは、すでに火薬庫のようなものだろう。しかし開き直って露悪的にやるには、心理的に抵抗があった。
「じゃあこんな感じでどうですか?」
まるで髪を切った後の人気美容師のような、自信のある口調で、白天使が語りかけてくる。こいつは適応能力も高いし、どうなろうが困らなそうだ。
「いいんじゃないか、仕事が早い。あとは入口のエントランスホールをさらに大きくして、大理石調タイルの見た目に変更、天井に照明も配置して、縦穴トイレも追加しておこう。それから妖精の洞窟のコモンレア宝箱には、俺から指定したいものがある」
「マスターは初心者に注文が多いですよ、もぅ」
俺も白天使もなぜか霞を食って生きるような存在だが、外の人間は普通の生き物なのだ。スライムが掃除するとはいえ、自分の住むダンジョンが糞尿で汚れるのは嫌だ。
このダンジョンの階層が進んで、長期滞在が必要なレベルになれば、携帯簡易トイレを自動販売機に用意するのもいいかもしれない。あるいは見た目の統一感が問題になるが、スライムを各階層に配置しておけばいいかもしれない。
「まぁまぁ怒るなよ、改修の報酬にロッククッキーを一つどうだ」
「いただきます。……これ素朴な味わいでいいですね。噛んでいるとしっとりとした生地の風味もあって、こういう甘さ控えめなお菓子も好みですよ」
「甘さ控えめでも、砂糖は信じられないくらい大量に使ってあるけどな」
白天使はわりと舌が肥えているが、甘みなら大体喜ぶと俺は学習していた。白天使はロッククッキーを味わいながら、俺があたえた仮想シミュレートの権限を利用して、構想を形にする。
第一階層に追加した価値の高い異界品は、隠し空間の一個だけだ。しかし、ボス部屋の縦穴など、宝箱は色々な場所に仕込んであるし、探索を頑張ってほしいものだ。
「迷宮転変」
先ほど少佐が交換していった魔術スクロールの魔石も使って、第一階層に変化をもたらす。そもそも奥へ行くほどに、危険で過酷なのが洞窟だ。強い魔物を出すのも気が進まないので、採算は微妙だ。
だがしかし、ケイビングという洞窟探索に熱中する人もいる。帰還スクロールもあるし、第一階層も手を加えればマニアックな人気は出るかもしれない。しかしライト層の取り入れには、他の要素追加が望ましいかもしれない。
エントランスホールの突然の拡大と、白で統一された内装への変化。そしてすみっこに現れた複数の縦穴と囲いに、大隊本部は大騒ぎだった。様々な観点から議論を交わしたが、ダンジョンがなぜ人間の生活を配慮するのかと、首をひねるはめになった。
しばらくして、第一階層の派遣部隊が持ち帰った情報も、異常なものであった。少佐の顔はますます険しくなり、しきりに頭をガリガリとかくことになった。