7 ★第二階層、黄昏の城塞都市
「さて、第二階層を開放するか」
「はーい!」
「テンションが上がりすぎておかしくなってるぞ」
「えー、そんなことないですよ」
ダンジョン誕生から、はや二週間。
以前より規模が大きくなった軍により、第二階層の開放権限が購入された。
ダンジョン入口のエントランスホールを、さらに大人数を収容可能なように広げて、新たな空間に繋がるポータルを作る。とうとう第二階層がお目見えだ。
第二階層、黄昏の城塞都市。
無人の荒野が広がるばかりの空間に、巨大な城塞都市をまるごと設計した。
ポータルをくぐればそこは城塞都市の門前で、奇妙なことに門番の影もない。侵入者は誰かにはばまれることもなく、内部に潜入することができるだろう。
沈む夕日の淡いオレンジ色が、静かな廃墟を優しく照らす。建物は頑丈な石造りなので原形をとどめているが、ところどころに隠しきれない戦火の跡があった。この第二階層を訪れた人は、まるで世界が自分だけになったような、ある種の孤独を感じるかもしれない。
しかし、かつての住人に見つかれば、そんな感傷に浸る暇はなくなる。寂れた廃墟から、無限の亡者が押し寄せてくるからだ。城塞都市は侵攻を想定しているもので、内側は迷路のように入り組んでいる。
ここは侵入容易、脱出困難のステージだ。
「ポータルをダンジョン入口のエントランスホールに移送完了。異常なし」
「マスター、もっと感情出して喜びましょうよ、ほらハイタッチ!」
「はいはい、俺も喜んでるよ」
俺たちは城塞都市の城館内部、石造りの食堂で、祝勝会である。
天使のごとき少女は、嬉しそうにくるくると踊っている。この少女の知能指数は、日が経つごとに少しずつ低下している気がする。
ここは作り物の廃墟で埃もないので気にならないが、黙っていれば神秘的なのになと少し呆れる。
「ちょっと時間は早いですけど、テーブルに記念のランチ出しましょうよ」
「ブランチってやつか」
「執事、執事、私の味わったことのないものを、急ぎ用意してらっしゃいな」
「……イエス、マイレディ」
テンションが壊れている白天使は、手をパンパンと叩き、成金のようなセリフでふざけている。執事という柄でもないが、祝勝会なのだから望みどおりにふるまってもいいだろう。
安っぽいソファーベッドから立ち上がって、食堂のテーブルに食器を用意する。ソファーベッドは部屋に合わないから処分すればいいと思うが、白天使に反対されたので、今でも現役である。
「タリアテッレのボロネーゼをご用意いたします。せっかくの新しいお召し物が汚れては事ですから、この食事用エプロンをご着用くださいませ」
「よくわからないですけれど、馬鹿にしてないですか?」
「滅相もないことです」
「本当ですか? 嘘ついてたら減俸しますよ」
どうやら慇懃無礼を解する感性はあるようだ。俺たち不思議生物の体は汚れの原因にはならないが、それでも食べ物をこぼせば服は汚れる。俺の学ランは黒いから汚れが目立たないが、白天使の服は大惨事になるだろう。
白天使がお祝いに秋冬服を欲しがったので、要望を聞いて適当に渡した。白ニット、枯れ葉色のロングフレアスカート、インナー、ショートブーツ、ランジェリーや装飾品、あれこれ出したのでコストがかかった。白天使は大人でフェミニンな感じでお願いしますという話だったが、背伸びしすぎて中身と釣り合っていない。
「素直ないい子には、レモンジュレのパンナコッタと、ファーストフラッシュダージリンもつけるぞ」
「私ほどのいい子は、この世に二人といないですよ!」
いそいそと食事用エプロンをつけて、フォークまで手にして準備万端のようだ。二人前を用意して配膳すると、きらきらとした目が皿に吸いつくように動いた。
「よし、せっかくだから自動販売機にも限定五食で追加するか。紙食器も用意しないとな!」
「これは販売品の調査名目で、奪い合いが起きそうですね!」
端的に言うと、俺たちは非常に浮かれていた。
今も侵入者がいるのに、コストをかけて美味しい昼ごはんを食べるくらいだ。
なにせ地下に潜むような生活から、文明的な生活ができるようになった。夕暮れがまぶしい廃都市とはいえ、これまでとは天と地の差だ。魔石も軍が外から持ってきてくれるので、割と躊躇なく使ってしまっている。
実のところ、調査で魔術スクロールの効果が確認されて、その取引が大量に入っていた。国にとっても安くはなかっただろうに、補正予算が一週間程度で成立するなんて異常事態だ。ダンジョンがどれだけこの世界の脅威なのか、うかがい知れる。
俺たちは魔術スクロールの利益分で第二階層を作った。第二階層の開放権限が購入される前から、さっさと移住していたわけだ。攻略不可には設定できないので、第二階層に通じるポータルを第一階層に隠すはめになったが、見つかることはなかった。ポータルはすでにエントランスホールに移動させたし、これで証拠隠滅も完璧だ。
「うーん、おいしいものを食べたら生きてるって感じます。パンナコッタなら、もう一つは食べられますよ」
「食べ過ぎると太……、俺たちは太らなそうだな。世の女性に背中を刺されそうだ」
俺も白天使も食事は必要ないし、食べ過ぎても異常はなく、その気になれば空腹感まで操作できるような便利な体だ。食欲に支配されたらエンゲル係数が上がりすぎるので、ほどほどにしたいものである。
「しかし第二階層は攻略にどれだけかかるんでしょうね」
「軍は六百名も派遣してきたし、最短で一か月、長くて三か月、じゃないか?」
第一階層が少人数で短期間攻略されたのは、こちらが後押ししていたからだ。今回は少し苦戦をしてもらう。最終的には万単位の人間にダンジョンに来てもらって、強い魔物も間引いてもらいたい。城塞都市は広大なので、家屋内部を探すのにも時間がかかるだろう。
「危険なダンジョンは他にあるわけで、軍も戦力の集中は避けたいでしょう。もしかしたらここの一般開放も、案外近いかもしれないですね」
「そうなれば最初は王侯貴族の私兵か、雇われ探索者が来るかな。俺たちも規模の拡大に動くわけで、貴族も商人もその流れに参入したいだろうし、押さえつける側は大変だな」
現在はダンジョンに来ているのが軍属だけなので、統制されている。これに一般が食い込むごとに、治安問題も生じるだろう。その管理と対応策も練っておいた方がよさそうだ。
「お宝探しにハマって、軍人をやめてここに居残りたいって人が続出したらどうします?」
「それはありがたいけど、考えたくない問題だな」
一般開放されたダンジョンを潜る探索者は、さほど多くない。
その理由は、リスクの高さとリターンの不安定さだ。
しかしこのダンジョンは魔術スクロールを買えるので、危険を減らしつつ安全に探索できる。ダンジョンの一番の目玉である、再現不能の奇跡、異界品もそのうち宝箱から出すつもりなので人気は出るだろう。
国も軍人の給料を増額するなり、戦利品の私的利用の許可を出すなど対処を考えるはずだ。しかし、軍に崩壊されても困るので、こちらとしても加減はいるだろう。
「マスター、お腹いっぱいになりましたし、すごろくで遊びましょうよ」
「それは流石にのんきすぎる」
「マスターだって、すごろくを用意した日は一日遊び惚けてませんでした?」
「それを言われると弱いな」
白天使は予想以上に、世間知らずで幼い。保護者もなしにどうしてこんなところにいるのか知らないが、箱入り娘だ。かと言って無害な存在でもなく、変な二面性があるところが謎だ。
魔物でも、アンドロイドでもいいから、白天使の面倒を見る係を作れないかと考える。結局、コストがかかりすぎて現実的じゃないとあきらめる。俺と白天使だけでは運営も面倒なので、そのうち何かの手伝いは作ってもいいかもしれない。
「さて、昼食も終わったし、第二階層を開放してから少し時間が経っているな。到着した独立大隊はどうしてる?」
「およそ半数が第二階層に侵入、各所でスケルトンとかちあって、圧倒してます。でも兵舎から上位種が大量に出陣してますから、撤退して仕切り直しになるでしょうね」
「魔物がポータルを越えることはないけど、彼らは気が気じゃないだろうな」
「異常に対応する戦力は十分と油断してたでしょうし、どこか遠くにいる責任者の顔も真っ青かもしれません」
俺が原因のこととはいえ、気の毒なことだ。階層が追加されて設計思想が変わるようなダンジョンは、前例がなかった。魔術スクロールをよほど重く見たのか、合計六百人は十分な安全マージンだったはずだが、あちらも運がないことだ。
「俺もそろそろ監視システムを構築するか」
「マスターがダンジョンの監視をするようになったら、私の仕事なくなりません?」
「音声は調整が難しくて、不安定だからそれほどひろわないつもりだ。会話の盗聴は今後も頼む」
「はーい」
情報源が白天使だけだと反応が一拍遅れるから、俺も自分で調べたい。ダンジョンの最低限の情報は俺にも入るが、侵入者を含めた詳細が知りたい。
「それから、シミュレーション機能を付与したタブレットを、お前に渡しておく。それでダンジョンをいじるなり、道具を作るなりやってみてくれ」
言われてみれば白天使には監視しか頼んでなかったし、もてあますのはもったいない。白天使は頭が悪いわけではないので、ダンジョン作成の意見を聞きたいこともしばしばあった。
稼いだ魔石が監視システムと似非タブレットにごっそり消えるが、これも先行投資というやつだ。第三階層の構築には魔石を貯めなおさないといけないが、どうせすぐに取り戻せるだろう。
「わぁ、これは楽しそうです! 第一階層のリニューアルとか、自動販売機の改良とか、料理の提供とか、色々変えてみたいことはあります」
たしかに第一階層は初期設定ほぼそのままで、うまみもない。まだ早いがライト層が流入してくることを考えると、リニューアルしておけば盛り上がることもあるかもしれない。
料理も薄利多売しないなら好きにしても問題ないだろう。食料品を出しすぎると農家や料理人が気の毒だし、ダンジョンに不具合が発生した時に、面倒になりかねない。
「いい案があったら正式採用して、報酬も用意しよう。俺が感心するくらい立派なものができたら、高級なチョコレートボックスを贈呈だ」
「チョコレートって何ですか? 可愛らしい名前ですけど」
「わりと依存性のある菓子だ。自販機に並べたら、戦争になるかもしれないな」
「あの、それご禁制じゃないですよね? 本当に食べても大丈夫なやつですか?」
おいしいものは常習性があるものだから仕方ない。俺たちの体は生活習慣病も無縁だから、きっと大丈夫だろう。白天使が横でうるさいが、俺に何を言われても責任は持てない。不安なら食べなければいいだけだ。
「監視システム構築、接続」
アルゴリズムを設計して、膨大な情報処理をダンジョンコアにまかせる。ダンジョン内だけではなく、ポータルや自動販売機にも連動させていく。ついでに検索機能や異常報告の仕組みを取り付けて、入口の外側にもできるかぎり監視の目を伸ばす。
そうして外の光景を目の当たりにして、俺は衝撃を受けた。
「なぁ、外にあったはずの森や崖が、きれいさっぱり消失してないか?」
「え? 言ってませんでしたっけ?」
「わかった、今日のお前は夕食抜きだ」
「はへ!?」
やっぱりこいつに監視を頼むのは無理があったな、俺の目は正しかった。気分的にめまいのした俺は、すがりついてくる白天使を無視して、ソファーベッドに倒れこんだ。