55 ★第七階層、鏡の国のスノーフィールド
第七階層、鏡の国のスノーフィールド。
どこまでも続く雪原と、夜が固定された空。
ほのかに照らす月光と、星々の瞬きだけの静寂があった。
不定期に降る雪が、世界の音を吸収していく。自分の鼓動と、雪を踏む足音だけがそこにある。その静けさは、世界が壊れてしまったかのようだ。
はっきりいって、この階層は楽にクリアさせる気がない。
稼ぎには使えないし、地形の面倒さも、魔物の強さもこれまで以上だ。
そもそも、まともに移動ができない。
第四階層では街道、第五階層では船、第六階層では鉄道が整備されていた。しかし、第七階層での移動手段は、ひたすら歩きだ。攻略速度を遅くするために、そのように設計した。
ただでさえ雪と夜で動きづらいのに、吹雪が発生したりすると、魔物と戦うどころの話ではない。オートマッピングがあるとはいえ、気づけば遭難の可能性も十分にある。
そんなものだから、開放されてからしばらく経つが、探索者は少ない。
その閑散とした様子ときたら、第一階層と同レベルだ。第七階層はNPCの町も少なく、セーフゾーンはほとんどない。
暗闇の雪原は精神をむしばむし、氷河のクレバスにも注意を払わねばならない。
手足はかじかみ、まともな防寒具もなしでは、凍傷のおそれがある。一騎当千の探索者といえど、存在するだけで消耗する。
「どこにもいないな。本当に第七階層にいるのか?」
黒いローブの集団も、第七階層を探索していた。
彼らがどこを目指し、何を探しているのか、目星はついていない。
だが、上級探索者さえ怖気づく第七階層に侵入した時点で、彼らがまともでないことはわかっている。少なくとも、探索者としての栄華を極め、貴族に成りあがることを夢見る、といった単純さはない。
集団ながら寡黙なのは、俺や白天使の情報収集を警戒していると思われる。俺には白天使のような思考盗聴ができないので、もどかしい。いずれNPCとの会話を収集すれば目的地も判明するだろうが、先回りするには推理したいところだ。
「白天使が待つ約束の地ってどこだ? ヒントが弱すぎるぞ」
あの集団だけに、待ち合わせ場所を伝えた可能性もある。しかし、探り探りの様子からして、彼らも正確な場所はわからないようだ。そうなると、白天使の居場所を推測できるだけの材料が、相手にはある。
四年以上を一緒に過ごしたが、白天使の事情も、過去も、ほとんど知らない。俺が知るパーソナルデータは、本名くらいだ。極光の氏族だとか、なんとか言っていたのを覚えている。
「やっぱり、そういうことか」
極光、すなわちオーロラ。
その幻想的な光の帯は、吉凶の象徴として人々に注目された。
第七階層には、オーロラのスポットがある。
もしも追跡者が白天使の来歴を知っていたなら、約束の地になっていてもおかしくない。しかし、俺の能力でいくら調べても、オーロラの周辺に白天使の姿は見えない。
けれども、俺には心当たりがそこしかなかった。
肉眼で見えるかは定かでないが、転移で直接乗り込んで調べることにした。
◆◆◆
雪原に一本だけぽつんと残る、大樹の骸があった。
それは懸命に、極光に向かって背を伸ばしたまま、力尽きたようだった。
樹氷におおわれた大樹の枝に、一人の少女が腰かけていた。
「こんなところに、なにか面白いものでもあるのか?」
「むむ、マスターが先に来てしまいましたか。どうせ現状維持を選択すると思っていたのに、ちょっと意外です」
「おせっかいな妖精がいたんだよ」
「ああ、あれですか。何度も言いますが、あれに近づきすぎたらダメですよ」
白いキャミソールワンピースに、雪花石膏のように白く滑らかな肌で、髪はプラチナブロンドだ。降り積もる雪のオブジェクトに隠れて、その姿はさらに見えづらい。俺に人外の視力がないと、景色に埋没したままだっただろう。
「降りてこいよ、白天使。食事当番をサボった言い訳を聞いてやろう」
「はいはい、束縛の強い人って嫌われますよ」
冗談めかした返答をして、重力を感じさせずに、白天使はふわりと舞い降りる。
久しぶりに見た姿は、いつも通りだった。
「ふふ、それにしてもわざわざ迎えに来るなんて、もしかしてさびしかったんですか?」
「馬鹿言うなよ。うるさいやつがいなくて、快適な生活を楽しんでいたさ。新作の菓子作りもはかどったしな、ちなみにお前の分はない」
「ちょっと! どうしてですか! 私のお菓子!」
からかいモードだった白天使は、嘘とも知らずにおかんむりだ。本当に菓子作りをしていたとしても、戻ってくるとは思っていなかったし、やっぱり白天使の分は作らなかっただろう。
「ところでマスターから、私の姿は見えるようになってます?」
「バレバレだ」
「あれ? おかしいですね、しっかり隠れていたつもりなんですけど」
「たしかに雪景色には溶け込んでいたけどな」
白天使は不思議そうに首をひねると、自分の頬をぺたぺたと触って確認している。まぬけにも、頭に積もっている雪も丸見えだ。
最後まで能力では捉えられなかったので、肉眼でも見えなかったらどうしようもなかった。白天使の不注意がなければ、見つけられなかっただろう。
「マスターから離れるのが、ちょっと早すぎましたね。あの人たち来るのが遅いんです」
「人間にこの階層は無理だろ、あいつらはがんばっている方だ」
白天使にそれがわからないはずはないが、そもそも興味がなく、理解まで至らないのだろう。前々から人間を過大評価して、あるいは過小評価してしまっている。彼女には人間を面白いと言いながらも、どうでもいいとも思っているような、二面性があった。
「俺かお前をねらって、人間が近づいているんだろう。どうしてなにも言わなかったんだ?」
「乙女の秘密ですよ。探さないでくださいって、書き置きしてあったじゃないですか」
「とぼけるなよ、俺は真面目な話をしている」
「むむむ」
白天使は、言葉に困っている様子だった。いつもは正直に思ったことを言うくせに、めずらしいこともあるものだ。
白天使の事情も、会話をパズルのように組み合わせれば見えてくる。
しかし、俺に隠れてこそこそする合理的な理由はわからなかった。
「はぁ……、マスターが人殺しすると、いつまでも引きずりそうだったからですよ」
「なるほど、なるほど。うーん、そうだな、あぁ、まぁ、たしかに引きずるかもな」
「ほら、私は悪くないですよね!」
「うるさいぞ、家出少女」
情けないが、人殺しが嫌なのは事実だった。俺のためにというとうぬぼれのようだが、白天使なりに気遣っていたらしい。
そうは言っても、俺はすでに探索者の死に加担しているのだから、いまさらではある。
外の世界に影響をもたらし、人を幸福にしただけ、不幸にもしている。正当化しようと思っても、わずかな罪の意識は頭から消えてくれないものだった。
いつかは人の死にも慣れて、なにも思わなくなるのだろう。そんな日がくることを望んでいるが、未来の自分を想像すると少しだけ悲しかった。
「ただでさえマスターは女々しくて、探索者の死で病みがちなんですから、私がささっと処理しておくのが最善ですよ」
「お前はアホだな」
「もしかして喧嘩売ってます?」
「たしかに人殺しはしたくないし、争いは悲しいものだ。それでも、お前にやらせるくらいなら、俺が殺す」
ダンジョンは俺の体内も同然なのだから、即死させることも、意識を奪って殺すことも簡単だ。ストックしている魔石を使えば、万の軍勢だろうが返り討ちにできる。そこに腕力も知略も、必要ない。
人間になりたい白天使が、人殺しなんてするものじゃない。
人でなしでありたい俺の方が適任だ。
「それって……」
「俺はお前の、保護者のようなものだからな」
俺は誰でもない他人よりは、身内が大事らしい。白天使を身内だと思っていたことに、内心の驚きはあった。結局のところ、俺は自分が思うよりも、ほだされやすい性格だった。
「そこは思い人だからってシーンですよ、マスター! こういう展開を本で見ました!」
「いや、本から変な影響受けすぎだろ」
白天使が変なことを言うものだから、思わず笑ってしまった。どうせ恋愛小説かなにかに感化されたのだろう。白天使はひとしきり騒いだ後、保護者は自分だと主張したので、譲歩することになった。




