54 閑話 星辰の変転(下)
「我らが神よ、お初にお目にかかりまする」
「あなたとの面会は、予定になかったはずですが」
「たかぶる信仰を抑えられず、拝謁の栄に浴するこの無礼。伏してお詫び申し上げます」
「ふむ、困りましたね」
私の部屋に入ってきたのは、神経質そうな中年で、不器用な笑顔を浮かべていた。
世話係もいないので、この部屋には私しかいない。一応は建物の外に見張りがいるのだが、この男を素通りさせてしまったようだ。強引に追い払って、勘気をこうむったと騒がれても面倒だ。
言葉と中身がばらばらで、じろじろと舐め回すように確認してきて気持ち悪い。
その声音は危険な色をしていて、身体から漏れ聞こえる幻聴は、欲にまみれたものだった。
「神よ、我々は約束の時を待ちわびておりました。風の日も、雪の日も、いかなる苦難があろうとも、乗り越えてここまでやってまいりました。どうか我らに救いの慈悲を、なにとぞ、なにとぞ」
「あなたがたの努力は理解しています」
私は、嫌々ながら、彼の思考を読み取る。
言葉で会話しても無駄なだけで、こうするのが手っ取り早く、間違いもない。
彼は星辰教団の急進派であり、教団内で同士を集めて独自の思想を共有していた。私から得られる利益を値踏みしており、それは増えた寄進などでは、到底満足できないようだった。
元々は集団内でも少数派だった彼だが、私の目覚めにより支持者を増やし、強引な接触が叶うくらいに力をつけたらしい。手紙のたぐいはプロフェッサーの検閲により、はじかれていたようだ。
「なにをしておるか! 許可もなくこの神域に近づくなどと!」
「プロフェッサー、来たのですか」
異変を嗅ぎつけてきたらしいプロフェッサーは、見たことがない怒りの形相だった。枯れ木のような見た目からは、信じられないくらいの声量と迫力だった。
「御身にふさわしい環境をととのえてから、またお迎えに参ります。我らの信仰心は、ゆらぐことは決してありませぬ」
「そうですか、機会があればまた会いましょう」
プロフェッサーを前に、男は大人しく去っていった。
どうやらここで全面戦争をする気はないらしい。少なくとも、今はまだ──。
「おぉ、眠りの君よ、失礼いたしました。愚老の手抜かりでございます」
「プロフェッサー、あの人にうとまれているようですね。身の回りには注意された方がよいですよ」
「なぁに、話し合いは続けておりますし、いつかは彼も理解してくれる日が来るでしょう」
「そうですか?」
「人は分かりあえるものですし、たとえ分かりあえなくても、ともにあることはできますぞ!」
心変わりを期待するには、彼の周辺は淀んでいたように思う。しかし、強く言えるほど私は人間を知らないし、導いていくつもりもないので、忘れることにした。
その先がどうなるのかは、薄々わかっていた。
◆◆◆
「教義に反抗するようなことをすれば、こうなるでしょうね」
「ゴホッ、おや、眠りの君。牢獄に入り込めるとは、さすが星の化身は違うのぅ」
プロフェッサーは何を思ったか、私に外を見せたいなどと、教団を説得しようとした。そうして、ものの見事に立場を失った。急進派どころか、身内の穏健派にすら疑いの目を向けられて、見捨てられたのだ。
たった一つの上位存在へのチケットを、欲深い世界に公開するなんてありえない。この老人の言葉の裏を理解できたのは自分だけで、背信を疑われて当たり前だった。
「なぜ、あんなことを言い出したのですか? こうなることくらい、あなただって予想していたでしょう」
「いやいや、愚老には、そこまで深く考えることなど、できませぬ」
プロフェッサーは背信者のレッテルを貼られて、こうして牢獄入りだ。
張りつめた集団は、狂気のはけ口を求めるものだ。天から地獄に吊り下げられた糸を独占しようとしたら、報復が待っているのは誰だって理解できる。
「別にあなたが行動しなくても、私は自力でここを出て行けましたし、あなたの説得は無意味でしたよ。プロフェッサー、あなたはそれでよかったんですか?」
「なに、ただの自己満足じゃから、この状況にも納得しておるよ。最近は足腰も痛いし、家族もおらず、生きるのにも飽きてきたところですとも」
その言葉は強がりであり、死の恐怖や諦観は彼の内にあったが、誇りと自尊心が精神を支えていた。目をつむれば暗闇を歩けなくなる脆弱な体で、それでも心には輝きがあった。
「あなたは私に、救いを求めますか?」
「いえ、私はこれでいい……。これでいいのです、神よ」
プロフェッサーはゴホゴホと咳をして、視線が空中をぐらりとなぞる。
壁にずるずるともたれかかり、力なく横に倒れ込んだ。
「プロフェッサー?」
返事はなかった。彼はすでに事切れていた。
老いた体はぼろぼろで、取り調べと暴行に耐えきれなかった。服の下は、紫に腫れていた。たかだか体が傷ついた程度で、存在を保てない。人間は泡のようにはかなげだ。
彼の最後の思考は、娘のことだった。
ほんの数秒にも満たない彼の人生の走馬灯を、私は読み取った。
妻は産後の肥立ちが悪く亡くなり、生まれた娘もまた、体が弱かった。
娘の喪失を恐れた結果、やがて不死の研究に熱中することになるが、成果が出ることはなかった。娘もまた妻のように、若くして亡くなってしまった。
娘が生きていた頃は、その選択が正しいと信じていた。人生をプレゼントして、その先を見せてあげたかった。しかし後になって思えば、娘に寄りそってやればよかったと、消えない後悔が残るばかりだった。
もしも、もう一度会えたなら。妻がいて、娘もいる生活、それが許されるなら。
頭をなでて、好きなものを食べさせて、綺麗な服でも着せてやりたいものだ。
……ああ、そこにいたのかい。会いたかったよ。
彼は私に娘の姿を幻視し、そこで意識は暗転した。
彼は長い余生を終えて、永遠の眠りについた。プロフェッサーが救いを望まなかったのは、すがりつくほど大切なものが、この世になかったのだろう。
「おやすみなさい、よい夢を」
手のひらで彼のまぶたを閉じて、死に顔を安らかに整える。
私はこれでよかったのだろうか、と自分に問いかける。人間の心はまるでガラス細工のようで、根本から違う私には、理解が難しかった。
彼を延命させるとして、その後はどうすればいいのか。逃げるにしても、老人を慣れない土地での生活に追い込んで、それで幸せだと言えたのか。不死の肉体に作り変えてしまえば、それこそ教団はやっきになって、不死の実例を追ってきただろう。
私には不安定な心なんて、ないはずだ。この心は澄んだ湖面のように穏やかで、永遠の夜のように変化もない。それでも、もしもの思考は止まらなかった。もう手遅れになってから、こんなことをつらつらと考えるのはなぜなのか、その答えにたどり着いた。
私はきっと、彼を助けたかったのだ。
◆◆◆
「我らが神よ、約束の時はいつになるのでしょうか? みなが待ちわびております」
「ああ、それ、誰かが作ったうそですよ。私に心当たりはありません」
「は……?」
「もうあなたたちには、会いたくないです、顔も見たくないです」
彼の後任は俗物だった。現世の利益にご執心で、急進派の抑えもできない。星辰教団の暴走はますます早まりそうだった。
私もこれ以上は得るものもなかったし、たとえ死なず苦痛を感じないにしても、解剖を試みられるのもいい気がしない。ここが潮時だった。
「神よ、何をおっしゃるのですか……?」
「私にはやることがあるのです」
私の使命は、世界修復と同族の復活。
好き勝手に法則を塗り替えて、悪意で壊れた世界を、あるべき神代に戻すことだ。
そこに退化した人類の救済などというものはない。
星辰教団の教義の、すべてを救う神など、どこにもいないのだ。
「神よ、我々を見捨てるのですか?」
「見解の相違です。私のものである遺物は持っていきますが、この土地はあなた方が好きにするといいでしょう」
理解が追いつかない人間を放置して、私は異界へと飛び込んだ。
教団から抜け出すのは簡単で、彼らに私を捕まえておくことなんて不可能だった。彼らも私の捜索に手を尽くすのだろう。しかし、見つかったところで、また居場所を変えればいいだけだ。
◆◆◆
「空の道が安定する程度には、世界も落ち着いたようですね」
空間と空間を切り裂いて貼り付けるまでもない、異界の狭間を利用すればどこにでも行ける。この身は夢幻であり、世界の裏側に入り込んでも問題ない。
失敗すれば抜け出せなくなるような、色もなく、広さもない道を感覚で進む。
「これは……、同族はこうなったのですか」
我々の利用してきた空の道、今では妖精の抜け道と言われる次元の裏。
人々に妖精と呼ばれるもの、それが成れの果てだと理解してしまった。
どれもこれも正気ではない。上手く適応できたものは生前の理性をある程度は有しているようだが、死体が動いているようなもので悪趣味だ。
星の終末から逃げ遅れたか、逃げ場所がなく汚染で変異したのだろう。私も眠っていなければ、そういう末路だったのかもしれない。
そんなところで、死にかけた人間がいた。
それがマスターとの出会いだった。
彼は弱い人間で、世界を踏み外してしまうくらいには不安定だった。元から浮いた人間だったか、それとも異界に近しい場所にいたのだろう。その体は違う世界の拒絶反応で、今にも消えてしまいそうだ。
彼は私のように、がらんどうだった。
先天的か後天的かという違うはあるが、その末路がなぜだか気になった。
「放置すれば、このまま死にますが……」
これを治す手段は、存在を定着させる遺物は手元にあった。
世界という大樹から創り出した果実、恩恵をもたらす知恵の実。
今では世界法則の汚染により、発生とともに暴走するために、ダンジョンコアと呼ばれているものだ。我が氏族は、その中でもひときわ力を持つものを封印することに成功し、それを穢れなき状態に戻す研究をしていた。
穢れを除去する研究は、最期まで成功しなかった。しかし、穢れたままのそれを操作する技術は、副産物として私に受け継がれていた。
「まぁ、たまには気まぐれに行動するのもいいでしょう」
何を思ったか、私はそれを消費していた。
封印を解除し、使命を果たすためのリソースを、人体に溶かしていく。壊れた体と心を再構成して、欠損を埋めた。知恵の実を外部から操作して、世界に根を張る。
調整の結果、私に近しい体になってしまったが、彼は生き残った。
異界を創り出すことで、彼は世界に存在することを許された。
「あっ、このままだとこの人、ここで死にますね」
とりあえずの危機は去ったが、助けたことで彼を面倒な立場にしてしまった。
操作できるようにはしたが、汚染された知恵の実は、活性化して彼の中にある。
このまま放置しても、暴走して体が壊れる。そうでなければ、人間に殺されるかだ。
気は進まないが、彼を勝手に助けたのは私なのだから、多少は付き合うべきだろう。助言くらいはするが、どんな選択をしたとしても、彼を応援してみよう。だって人間のことなんて、私にはわからないのだから。
「ふむ、目覚めたようですね」
「失礼、どちら様でしょうか?」
手ひどく警戒されてしまったが、人との距離を測り間違えたらしい。
言語での意思疎通はプロフェッサーくらいしか経験がないので、難しかった。
噛み合わない会話、そういうものがこの世にあると知った。私はいつしか、感情というものを楽しむようになっていた。その激しすぎる個体差は、一族から離れてしまった私に生じたバグのようなものだったが、悪い気はしなかった。
マスターは壊れたものを修復しただけあって、矛盾した人間だった。思考は冷めていて、ひねくれている。それでも、世界が優しいものであってほしいと、願っているようだった。それはもう失いたくないという、代償行為のようなものなのかもしれない。
しかし、彼を助けた自分の選択も、きっと同じようなものだ。相手を尊重するということを、私は学んでいた。人間は弱いから、今度は壊れてしまうことのないように、守らなければならない。
邪魔になるものは、処理すればいいだけのことだ。




