53 閑話 星辰の変転(上)
目覚めた時には、世界は崩壊していた。
幸か不幸か、それを悟ってしまう私は、個として完成された存在だった。
「おおぉ! 目を覚ましたぞ! 星の化身、我らが神がお目覚めになったぞ!」
永い眠りからぱちりと両目を開くと、鼻と鼻がくっつきそうなほどの距離に、老人の顔があった。人類が不老不死を実現して幾星霜、しわくちゃな顔なんて、古代の資料として残るだけだった。
「起き抜けからうるさいですね。誰ですか、あなた」
未知の言語で話しかけられたので、この老人の言語野から知識を拝借することで返答する。すがすがしい目覚めとはいかないようで、思わず嘆息する。
「愚老の名は■■■■と申します! プロフェッサーとでもお呼びくだされ!」
「ではプロフェッサーと呼称します」
プロフェッサーはくたびれた白衣を着ていて、身振り手振りがやけに大きく、ありていに言えば存在がうるさい人だった。しかし彼に邪心はなく、いたく興奮した様子は、まるで生まれたての子どものようだった。
このように感情が変化する生命体と、会話したことはないので新鮮だった。
平伏されたところで困るが、べたべたと触ってくるのは不快だった。
「不審に思われるやもしれませぬが、どうかご安心くださいませ。もろもろの説明をさせていただき──」
「説明は不要です。あなたは星辰教団という宗教組織に属するもので、神代回帰計画とやらの責任者なのでしょう」
相手の思考を読み、整理する。
どうやら驚いたことに、このしわくちゃな老人は遥か遠い未来人らしい。
人為的進化を拒絶したナチュラリストかと思ったが、文明が退化した今の世界では、老化も当たり前のようだ。私の眠りは長きにわたったようで、かつての遺産と技術は世界の崩壊により失われていた。
「ふむふむ、我らが神は不滅であり、全知全能の存在だったと聞いております。伝承とは不確かなものになりがちですが、ふはは、歴史書の記述に誤りなしとは、おどろきですぞ!」
「宗教が成立するとは、今の世は様変わりしたようですね」
「うぅむ、我らが神のまなこには、人の身勝手に映るでしょうか? 御身を呼び起こせし人の弱さを、なにとぞご寛恕いただきたく、お願い申し上げます」
「いえ、私は時の経過で勝手に目覚めただけです。やることもありますので、かまいませんよ」
ここは星の終末を回避するための研究機関だった。いつしか、それも忘れられて神殿となり、時間凍結で眠っていた私は最後の神という扱いらしい。
当時の物品は持ち出されていて、次元の繭で眠る私と、付属する衣服と遺物だけが取り残されていた。同族は私が眠る間に他所に逃れたか、はたまた適応できずに滅亡したか、退化したのだろう。
「我らが神よ、急ぎふさわしい環境を手配させます。ささ、どうかこの愚老とともに、ご来臨たまわりますよう!」
「いいでしょう」
星辰教団、崩壊した世界をあるべき神代に戻すという教義らしい。
その願望は、不老不死と全知全能。神である私に、人を神へと引き上げてほしいらしい。ようするに栄華を極めた過去を捨てられないでいる、選民思想の集団だ。
長い時の中で、私の役目と存在は歪んで伝わったようだ。むしろ寿命のある存在が、欠片でも受け継いでいたことは奇跡なのだろう。私の使命に関係ないので、すべてはどうでもいいことだ。
◆◆◆
「眠りの君よ、新たな捧げものの目録をご用意いたしました!」
「またですかプロフェッサー。広い部屋とはいえ、これ以上は物の置き場に困るのですが」
私はとりあえずの情報収集のために、星辰教団の拠点に滞在していた。しかし、ご機嫌取りの贈り物に辟易としていた。
「これも教団員の期待のあらわれでございましょう! 今を生きる者たちには、すがるものが必要なのです」
「はぁ……、大型のものは倉庫に持ち込みなさい。価値の低い消耗品や、日持ちしない食料は、必要とするものに下げ渡すように」
「ははっ、お望みのままに差配いたします!」
私は彼らを導く存在でもなければ、操り人形でもない。
都合のいい願望や理想を押し付けられても困る。それゆえ私は、自分の能力と情報を黙秘していた。包み隠さずに手札をさらせば争いになるので、これも自衛である。
今はご機嫌取りに夢中の彼らも、そのうちしびれを切らす日が来る。こちらを持ち上げて崇拝する彼らだが、期待を裏切られたと思えば、その落差によりどこまでも冷酷になるだろう。そのタイムリミットまでに、こちらも情報を集めるまでだ。
「寄進されたものに、書物のたぐいはないのですか」
「はい、こちらに。いささか猥雑なロマンではございますが、人の機微を知るには適しているでしょう。私も若かりし頃には、昼夜を忘れて読みふけったものです!」
「そうですか。では、できるだけゆっくりと読むとしましょう」
「ふはは、読み終えられましたら、ぜひ内容を語りたいものですのぅ」
紙と文字で人の内面を知るのはいいが、できれば世情を把握したい。しかし、そういったものはなかなか用意されない。あちらも私に流す情報は、制限したいと思うのは当然のことだった。
生きた人間の頭から知識を読み取るにしても、警戒されているのか、私に接するのはプロフェッサーくらいだ。一人が持つ情報は断片的で、信頼性が低い。
思考の盗聴は強力だが、読み取った情報の真偽までは判断できない。立場の異なる複数人から情報を集めれば、ある程度のファクトチェックができるが、その機会はなかなか訪れない。
今後の展開を考えつつも、日課となった目録の確認をしていくのだった。
それが、嵐の前の静けさであると知りながらも。
◆◆◆
「プロフェッサーは折衝役など押し付けられて、迷惑しているのではないですか?」
「いえいえ、神の知見に触れられる私は、この上ない幸せものでしょうぞ!」
プロフェッサーは私との接触を任されているのだから、重要人物である。穏健派でも筆頭のその権威は理解しているが、どうにも地位に見合わぬ好々爺といった具合だ。
それなりの付き合いになってはいるが、いつでもにこにこと楽しそうだ。大した用事がなくても、私の様子を見に来るのが日常になっていた。私としても、捧げものの確認や、手紙や礼状をしたためるくらいしかすることがないので、苦ではない。
「眠りの君よ、こちらをお召し上がりください」
「なんですか、これは」
「ちまたでは婦女子に人気の飴でございます。女の子なら甘いものじゃろうと思いましてな」
「たしかに私の主観年齢はいまだ幼いですが、それでも精神は成熟しているのですよ」
物を食べる必要はないというのに、プロフェッサーは何かあると私に食事をさせたがった。衰えることがなく、己の精神を操作できる私からすると、娯楽というのは時間の無駄だった。
「うーむ、飴はお気に召されませんか。ふふ、本当の大人は好き嫌いしないものですぞ? 立派なレディーならば、いただきものには──」
「よこしなさい」
ぐちぐち言いながら手を引っ込めるプロフェッサーから飴を奪って、ころころと口の中で転がす。私に栄養摂取は必要ないのだが、この老人は少しでもと、たびたびお菓子を持ち込むのだった。
最初からあやしいところはあったが、今では完全に子ども扱いされている。言葉も中途半端にくだけて、すっとんきょうなことを言い出すこともある。
外見だけで判断して、私を人間の娘のように扱うのは間違いなのだが、何度言っても聞き入れない。老人というのは物分かりが悪いのだと、開き直る始末だ。
「うむうむ、ようございました」
「なぜ頭をなでるのですか」
プロフェッサーは大事な宝物を扱うように、そっと私の頭をなでた。
その骨ばった手と、古書のような臭いが、不思議と嫌ではなかった。
◆◆◆
「眠りの君は、外に出てみたいと思ったりするかのぅ」
「急にどうしたんですか?」
「ここに一人きりでございますから、不自由で寂しい思いをしておられるのではないかと、愚老に何かできまいかと、そう思うての」
「ああ、私は寂しさを感じることはありません。閉じ込められるような存在でもありません。あなた方とは違うのです」
高まった能力と知性と精神は、並び立つものを必要としない。夢幻のごとき浮世をゆらゆらとただようのが、我々だった。
しかし、永遠の繁栄はならず、私たちが生きた歴史も技術もおとぎばなしになり下がり、同族も消失した。朽ちることなく眠り続ける私は、崇拝対象になった。
そのことに悲観的な感情はない。私は余人に左右されることはない。ただ胸の内には、託された使命があるだけだ。
「ほっほっほ、愚老の考えすぎでございましたか。しかし眠りの君は、お日様の光もきっとお似合いになるでしょう。外に羽ばたいていかれるのもよろしいかと」
「立場に見合わない冗談を言うのですね」
「いや、失敬。失言でございます、忘れてくださいませ」
「もしも許されたいなら、また飴を捧げることです」
「おお! 飴などでよろしければ店や職人ごとでも! 必ずご用意いたします!」
「あの、加減はしてくださいよ」
それが冗談ではなかったことは、伝わっている。
しかし、それは冗談でなければならないことだ。
星辰教団にとって、私は遥かなる未来に救済を約束した神だ。その逃亡を手助けするような言動は、たとえ示唆であっても、許されないだろう。
教団員を不老不死へと昇華する神は、何よりも大切なもののはずだった。どんな宝物でも、命でも、捧げられるくらいの魔性の誘惑だ。
「あなたは、私を神だと思っているのですか?」
「もちろんでございます、愚老の信心ときたら、みなの中でもひときわ──」
「ああ、おべんちゃらはいいですよ」
「むむっ、眠りの君よ。人の話はしっかり聞かなくてはいけませんぞ!」
寿命を持つものならば永遠にすがりたくなるはずだが、老いて死が目の前まで来ると、あきらめがつくのだろうか。少しだけ気になったが、深くは掘り下げないことにした。理解不能の下等種族なのだから、思考をのぞき見るのも面倒だった。




