52 見えざる観客
白天使の失踪から、二週間が経過した。
生来薄かった俺の欲求はさらに薄れて、睡眠をとることも、飲み食いすることもなくなっていた。不老の肉体で人らしい生活をいとなむというのが、どだいおかしなことではあった。
白天使の影響で、いつの間にか人らしい生活習慣に染まっていたらしい。それが抜け落ちると、月夜のような静けさと平穏があった。空腹を感じることもない、感情を揺さぶられることもない。これこそ記憶をなくした俺が望んでいた、理想の日々だ。
かろうじて残る習慣として、シルキーに供え物だけはしているが、途中から受け取ってもらえなくなった。何が気にくわないのか知らないが、日持ちのするものはエントランスホールの自販機につっこんで再利用している。捧げものを流用するのはよろしくないが、もったいないし、数量限定の小さな菓子セットは人気があった。
シルキーが何かしらのアクションを起こすところを、しばらく見ていない。
もしかしたらここを去ったのかもしれないが、俺にそれを知ることはできない。いなくなった存在に気づかずに、こうして供え物をしているのだとすれば、滑稽なことだ。
「ガチャの更新、するか」
ふと出した声はしゃがれていて、独り言すら久しぶりだったなと思い至る。
第七階層の調整が落ち着いたので、ガチャ景品の最終チェックをすることにした。
アイテムガチャは、第三階層のクリア報酬で実装したものだ。エントランスホールの一角にあるステージ上の魔法陣から、ランダムにアイテムが排出される。
利用するには高額DPか宝箱産のガチャチケットが必要だが、低確率で異界品も入手できる。ガチャ景品の当たりは個数限定や一点物が多く、定期的な入れ替えは必要だった。
ちょうど第六階層のクリアタイミングと被ったので、それ由来のものを三つ作成して追加することにした。
炎槍アラドヴァル
太陽神ルーが所有したと言われる槍型の異界品。
担い手の意思により破滅の炎をもたらすが、容易に扱えるものではない。
その威力は一軍を飲み込むが、代償として持ち主すら炎に飲み込む。
妖精王のリラ
細かな装飾がほどこされた、音を操る竪琴型の異界品。
その音は弦からではなく、奏者の望む場所から、望んだ音量で発生する。
効果範囲が広く、遠方への情報伝達、敵の攪乱など、応用性は高い。
夢想弓ミストルティン
ドルイドが霊木から作り出した弓型の異界品。
矢の用意は必要なく、弓を引けば仮想のヤドリギの矢が装填される。
その矢は相手の物理・魔術耐性を無視して傷をあたえる。
炎槍アラドヴァルはデメリットのある魔槍のたぐいだが、貴重な範囲攻撃手段だ。もしも白天使がいたら、私が魔剣を作ったときには怒ったくせに、と文句を言ったことだろう。今思えば、あれはあれで面白いものだった。
久しぶりに思い出した白天使の表情は、少し曖昧だった。
しかし、紫のアネモネのような、その目は記憶の中でもあざやかだった。
「納品前に、あれ弾いておくか」
大きな部屋へと移動し、最終調整したピアノを作成する。
ガチャから排出される大型の景品も、自分で確認しなければならない。
迷い家に配置するには畳も傷むしミスマッチだが、どうせすぐにガチャに追加するものだし、気にしないことにする。
今回の追加でこだわったのは、コンサートでも使われるグランドピアノだ。
場所は取るが音の響きは素晴らしく、タッチも繊細で柔らかだ。
内部構造が露出していて、鍵盤に連動するさまも面白く、機能美のあるインテリアにもなる。異界の楽器が使い手に恵まれるかは未知数だが、たまには変わり種としていいだろう。
調律士もいない外だと、音が歪むかもしれないが、音叉と調整方法もおまけでつけておく。ピアノが解体されてしまうのか、気まぐれな貴族の遊び道具になるのか、音叉の方が注目されるのか、その先は知ったことではない。
朱色のカバーを取り外し、白黒の鍵盤の前に座る。
気まぐれに人差し指で単音を出して確認すると、ピアノの音が静寂の中で響いた。そのままゆったりと演奏に入り、最終チェックをしていく。
クロード・ドビュッシー作曲、月の光。
楽譜もないが指先が覚えていた。
暗譜というのは、手品のように見えて簡単だ。思考することもなく、次にあるべき指の置き場所が自然とわかる。ペダルを踏む足も軽やかだ。
人が歴史を歌や踊りとともに伝承してきたように、音を複合した記憶は何年も染み付くものだ。過去の記憶もぼやけている自分だが、忘れていないものもあるらしい。
最初は練習曲を選ぶべきだったかと思ったが、指は滑らかに動いた。何事も一日遊べば感覚を取り戻すのに三日はかかるものだが、不思議と演奏に劣化はない。
最後の音の余韻のままに、手首をそっと下ろし、演奏を終える。
次はアラベスク第一番でも弾こうと思うと、背後からぱちぱちと拍手の音がした。
「シルキーか、まだいたんだな」
どうやら見えざる観客がいたらしい。
相変わらず俺にはその姿が見えないが、その拍手は確かなものだった。
「なんだ? 何か俺に用でもあったか? 移動すればいいのか?」
久しぶりに現れたシルキーは、黙ったまま俺の学ランの袖をつかむと、くいくいと引っ張る。なんなのかと問うても返事があるわけもなく、逆らわずについていく。
しばらくの散歩を終えると、そこは白天使の部屋だった。
「白天使の部屋に入れって? わかったから、押さなくてもいいよ。まったく、なんなんだか」
意図が読めずにとまどう俺の背中を、シルキーが押して部屋に放り込んだ。
迷い家を作ってすぐに個室を分けたので、思えば白天使の部屋に入るのは初めてだ。
勝手に入るのもよくないからと控えていたが、不在のまま数週間も経過すれば、義理は果たしただろう。ここに隠れているということもないだろうし、のんびりと部屋を観察する。
意外と、内装はこざっぱりとしていた。奇矯なふるまいのあいつなら、ピンクとレースを大量に使って、ぬいぐるみでも枕元に置いていそうなイメージだった。
白天使は服を色々とねだるが、たしかにそういうものを作らされた覚えはなかった。ミニマリストじみた俺ほどではないが、それでも物にあふれているわけでもない。
「あいつ、まだこれ使っていたんだな」
白天使の部屋には、古いソファーベッドがあった。
たしか、俺が能力で最初に創り出した家具だ。
間に合わせの低品質だったので、使い心地も微妙なやつだ。
俺が処分するといったら反対したので、そのまま白天使のものになった経緯がある。わりと飽き性に思える白天使だが、変わらないお気に入りがあるのはめずらしく思えた。
「荷物はやっぱり全部置いて行ったか、座標でわかってはいたけど」
白天使の物資を入れたアイテムボックスも、俺の能力を使用できるタブレットや通話端末も、机の上に置き去りだった。これらは便利グッズであると同時に、発信機でもあったのだが、お見通しだったのだろう。
「これは……、メモか?」
机の中をあさると、探さないでくださいと書き置きがあった。
知識のかたよっているあいつらしい、なんともテンプレな文句だ。余白を使えば、もう少し事情をつめこめるだろうに。
「シルキーはこれを見て、俺に今一度考えろってことか」
一息ついて、頭の中で白天使の言動と、ダンジョンの情報網を精査した。白天使にポンコツ呼ばわりされることもあるが、俺の体は人外のパフォーマンスを発揮した。
普段は能力に振り回されたくないので使わない。しかし、やろうと思えば過去の一言一句を思い起こすことも、並列思考を加速させることも容易だ。
見つけた最初の違和感は、黒いフードローブの集団がダンジョンに来た時だ。
第四階層が開放されたころの話だが、あの時の白天使は様子がおかしかった。
黒いフードローブの集団は、今でもダンジョンに出入りしている。
魔物の討伐に熱心なわけでもなく、政争で派手に動くわけでもなく、研究者然とした様子だ。だからこそ監視の優先度は低かったのだが、俺は見誤っていたのかもしれない。
次の違和感は、外部との接触をしきりに勧めてきたことだ。
俺は偽装の手段を増やしてからでいいと思ったのだが、白天使はなかば強行した。そして不思議なことに、あれだけ熱心だったわりに、外に出たのはその一回だけだ。あの時に俺に秘密で、何かしら情報を得たか、情報を流したとみていいだろう。
そして、今だ。
エントランスホールに奇妙なうわさがたっていた。
曰く、ダンジョンには特別な妖精がいる。約束の地で待つそれを見つければ、人は幸せになれるらしい。人々はまことしやかな作り話を馬鹿にしつつ、心のどこかでは期待しているようだった。
これがあいつの意図したものと考えると、白天使はこのダンジョンの内部にまだいる。あいつは誘い出したい誰かを、どこかで待ち構えているのだろう。
「この黒ローブの集団をつけ回すのが、一番楽そうな気はするが……」
そうすれば後塵を拝することになる。先んじて見つけて問いただすには、自分の手で発見しなくてはならない。骨が折れそうなことだ。
俺の望む、理想の日々が続いていた。
しかし心に空白があったことを、俺はようやく認めることにした。




