37 人魚姫と魂
第五階層、人魚住まう絶海群島。
その内部にあるのは海と島、人魚姫の世界だ。
人魚姫といえば、元になった国名や地名がはっきりしない童話だ。
著者の出身国デンマークをモチーフにした説もあるが、架空のものなのかもしれない。冬には氷山が流れるという描写があるので、南国ではなかったことは確かだ。
人魚姫という物語は、人間にあこがれる人魚姫が、難破船の王子を助けたことから始まる。恋をした人魚姫は魔女と取引して、美しい声を代償に人間の足を手に入れた。
王子と結ばれなければ泡と消えてしまう契約だったが、それでも彼女は王子のそばにいたかった。声が出せずに、出自も話せない人魚姫だったが、王子と過ごす日々は幸せだった。
しかしその王子は命の恩人を勘違いしたまま、結婚する。
もし人魚姫が声を失っていなければ、違う展開が待っていたかもしれない。しかし、すべてはどうしようもないことだ。王子にとって、人魚姫は異性愛の対象ではなかったのだ。
王子と結ばれなければ、泡となって消えてしまう人魚姫。
人魚姫の姉たちは妹を救いたくて、魔女と取引をして自慢の髪を捧げた。
王子を殺せば人魚に戻れるのだと、一本のナイフを人魚姫に手渡した。
人魚姫は大好きな王子を殺すことができず、海に身を投げて泡となった。
◆◆◆
「たき火って見ているだけでも、くせになるなぁ」
「お手軽な探索者気分ですね、夜ならもっと雰囲気があったでしょう」
「遊び疲れたし、精神的な疲れがいやされる感じだ」
「私はまだまだ遊べますけどね!」
今日は白天使がせがんだので、ひたすら第五階層で海遊びをしていた。
身体の方は何ともないが、精神が疲れはてて、砂浜で揺らめくたき火を見ていた。海水はすぐに乾いたし、穢れがいつまでもこの身を汚すことはないので、海水浴の後の気持ち悪さはなかった。
たき火でパチパチと乾いた枝がはじけて、独特の臭いがした。体温の低下を感じることもないが、火を見ると気分的に心が温まった。ダンジョンの中は昼に調整されているので味気ないが、外は夜になっているころだろう。
「ははっ、俺は今日だけでもう一生分は海で遊んだよ、白天使の体力は異常すぎる」
「この海を独占できるのは今のうちですし、遊ばないと損じゃないですか。まだやってみたいことも八個はありますよ」
「人間がここを見つけるのはまだ先のことだろうし、あせることはないだろ。俺はイカダの町でも作って、遊んでみたいくらいかな」
「もぅ、マスターはすぐに町づくりしようとするんだから」
島と海の第五階層だが、ダンジョン内部に船を用意するのは難しい。
なのでこちらから移動手段として、島々を渡るための船を手配しておいた。
第五階層のポータルをくぐれば、船がずらりと並んだ船着き場だ。
船の大きさ・速度・停止位置はバラつきがあるが、DPで自動航行してくれる。
いきなり船と海が出てきたので、探索者たちは面食らっていた。追加される階層の予想は探索者の定番の話題でもあったが、予想外にもほどがあったようだ。
「ところで、白天使は魂ってあると思うか?」
「マスターはどう思っているんですか?」
「質問に質問で返すのはよくないぞ」
「まぁまぁ、細かいこと言わずに教えてくださいよ」
第五階層に人魚姫なんてテーマを持ってきたからか、俺は変なことを考えていた。
人間は短命だが、不滅の魂を持っていた。
人魚は長命だが、魂というものを持たなかった。
海の泡になった人魚姫は、不滅の魂を持つ人間になれなかった。
しかしその献身が神に認められて、魂を得るための試練を受けるところで物語は終わる。これは宗教的な背景が見える結末とも取れる。
俺はうそっぱちだと思った。
「実在も不確かなものを人間が信じているのは、そうあってほしいと願うからだろう」
「それってマスターの思想じゃなくないですか? もっと正直に言ったらどうですか?」
「俺は、魂なんてないと思うよ。満たされた死後の世界があるなら、救いのないこの世はいったい何なんだよ」
「死後のための試練か、はたまたここが地獄というやつですよ」
白天使は、こともなげに言い切った。その目は泥の中で咲く蓮のような、染まらない清らかさがあった。
俺にだって、死後の世界や魂という概念が生まれる必然は、とてもよく理解できた。人間は弱い生き物だから、そうでなければ不安で生きてもいけないのだ。
「それで、白天使は魂ってあると思うか?」
「私はあるかもしれない、と思いますよ」
「本当か? 白天使が信じているなんて意外だな」
「ふふ、私はマスターほどではないですが、けっこうロマンチストですよ。別れてしまった大切な人と、いつかはめぐりあえる。そんな奇跡があったっていいじゃないですか」
白天使はおかしさを自覚しているかのように、笑いをこぼした。
そういえば、白天使は人間になりたいという変わり者だった。それなら人魚姫のように、不滅の魂にあこがれても、不思議ではないのかもしれない。
そんな彼女の言葉を否定できず、黙ってたき火にあたる。
枝がはじける音だけが響いて、俺は燃料を追加しながらそれをゆったりと楽しむ。
「たき火は案外面白いし、自動販売機にアロマキャンドルでも追加してみるか」
「それなら調香はまかせてください、自信ありますよ」
「俺にこだわりはないから、好きにしていいよ」
「ダンジョンに居場所がなくなったら、調香師になりましょうか。練り香水なんかも作ってみたいところです」
白天使はわりと何でもできる。好奇心の強さだけでは器用貧乏になりがちなところだが、高いスペックがそれを支えているのだろう。
俺はダンジョンで過ごすことしか考えていない。しかし白天使は外に出られるなら、どこにでも行けそうだ。いつか別れが来たとしても、笑顔で送り出したいものだ。
「夏も堪能したし、あとの第五階層は探索者たちに任せるかな」
「もう一日は遊びたかったですけど」
「探索者が船着き場を複数発見したみたいだから、そっちに集中したい」
「動作確認は飽きるくらいしたじゃないですか」
「それはそうなんだけど、気になるんだよ」
白天使は合理的じゃないと不満げに口をとがらせている。なにせ探索者の命がかかっているので、神経質になってしまう。もしも違う場所に客を運んだり、途中で船が故障すればと考えると面倒だ。
最悪、そのたびにフォローをしてもいいが、事後対応はなるべくしたくない。人間もこのダンジョンの背後の存在を感じているようだが、確定させるようなそぶりを見せる必要もない。
「第五階層のコンセプトって、探索者というより開拓者ですよね」
「開放的なリゾート気分で、ストレスも軽減できるんじゃないか」
「たしかに閉所で魔物と戦い続けると、精神が壊れますからね」
「効率を考えると、遊びの要素も混ぜないとな。人間は機械じゃないし、パフォーマンスを上げるには緩急が大事だ」
第五階層は七割を海が占めていて、残り三割を島々が占めていた。
島には大小さまざまあり、水生生物を模した魔物がひしめいていた。
島のいくつかにはセーフゾーンとして設定されたNPCの町もあった。
NPCイベントとして財宝の地図などもあり、大航海時代の熱気が感じられる。
「外から持ち込んだボートで自由に移動している人もいますけど、ひねくれ方がマスターに似てますね」
「定期航路以外のことが気になるのは普通じゃないか? 判断が早いほど、得られる利益も多いし」
第五階層ではNPCの船を利用できるので、島々の移動には困らない。
しかし自由に移動するには、自分で船を持ち込まなければならない。
探索者たちは島から島へと泳いで渡るのも難しいので、小型ボートを持ち込んでオールで手漕ぎしているものもいた。好きな場所に移動できるが、しかし移動速度が出ないという欠点があった。
船着き場もないような小島には宝箱を設置してあったり、海賊遺跡の隠しマップも存在する。彼らは彼らで、その冒険の成果を入手することだろう。
「そろそろ外部の人間と接触してみませんか?」
「唐突だな、今はまだタイミングじゃないと思うが」
「もうダンジョンが発生して三年が経過しています。探索者にまぎれることも可能な規模になったと思います」
白天使が変なことを言い出すのはいつものことだが、輪をかけておかしかった。
偽装用の異界品の調整もまだなのに、なぜ素顔で表に出ないといけないのか、不明だ。
「偽装のための策を、もっと考えてからでもいい気がするが」
「今は情勢の変化が特に激しいですから、情報がない方が危険ですよ」
たしかに俺たちの情報源は現状だと、監視と盗聴だけだ。必要な情報を任意で引き出すことは難しく、対応が後手になってしまうところがあった。
スカイレストランの客は貴族もいたりするので、特に注目している。そういう高額サービスで地位の高い人間を引き込んで、情報を引き出していくのが今の方針だった。しかし、こちらからアプローチするなら、情報も物も狙いのものが手に入りやすいだろう。
「二人で行動するのも危険だし、俺だけが情報収集に出た方がいいか」
「私もやりますから、二手に分かれましょうよ」
「お前を一人にすると面倒ごとになりそうなんだが」
「私の魅力でなんでも聞き出してやります!」
白天使の目立つ容姿は、明らかに情報収集に向いていない。
白の髪に紫の目、その風貌は良くも悪くも目線を集めるだろう。記憶に干渉することができるらしいので、それを利用すれば安全ということだろうか。
「マスターよりは対人能力に自信ありますよ。マスターは自分の心配した方がいいと思います」
「まぁ俺よりは白天使の方が会話もはずむだろうな」
「決まりですね! 善は急げで、私は明日からいってきます」
「わかった、気は進まないけど俺もやるよ」
ここで信用して任せていいのか、少しばかり不安があったが、最終的に賛同した。白天使は空回りして致命的なミスが出そうな気もするが、そつなくこなしそうな気もする。
出会った当初には俺の思考を読み取っていた節があるし、最低限の危険は回避できるだろう。




