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29 閑話 才媛の風声(下)

 第三階層の三十三階、集団攻略に参加した私は、危機的状況にあった。


 あと少しでクリアという時に、ジェヴォーダンの獣に囲まれてしまった。それを切り抜けるための予備プランとして、五人六組にばらけて奮起(ふんき)しなければならない。


「魔物の駆除は頼んだぜ、アイリス。身の守りは俺たちに任しておきな」


「それではお願いします」


 単独参加の私には、主催者スタンリーの仲間が割り当てられた。この四名に後方と側面の警戒、それから撤退判断を任せることになる。



 獣がそれぞれのグループにつられて分散したところで、ピィィと笛の合図が出た。

 攻勢に転じろということだった。



 私の魔術は強力なので、自滅しないように、雑念を(はら)って魔術に集中する。魔石から力を引き出し、それを自身の望むままに改変する。寄ってくる獣への恐れを、自分の意識から外す。


 この身体をめぐる力と酔いしれるような全能感の中で、魔術を感知した獣たちが矢のような速度で、こちらに接近してくるのをとらえた。



嫋々(じょうじょう)たる世界、(たば)ねて、荒天の狂騒。風よ、露命(ろめい)を裂け!」



 私の風魔術により顕現(けんげん)した暴風と不可視の刃がすべてを切り裂き、群がるジェヴォーダンの獣を飲み込んだ。起動と展開までの時間が短く、殺傷と自衛に適した風魔術が自分の得意分野だった。


 効果範囲内の岩石は砕け散り、二十数匹の獣が血みどろになり地に()して、魔石に変わった。配布された魔石はごっそり消えたが、成果としては上々だろう。



 ピィィと二度、三度と笛の音が聞こえた。

 攻勢と撤退の笛だけは教えられているが、細かなやり取りまではわからない。

 ただ目の前の獣を殲滅(せんめつ)するだけだ。



 のんきに倒した個体の魔石をひろっている余裕もない。予想以上の獣が、興奮のままに次々と押し寄せていた。この増援には終わりがないらしく、ここで倒した分もきっと迷宮がどこかに補充しているだろう。


 私の魔術を警戒してか、やがて散発的に襲ってくるようになった獣に、精神を()()ませてシングルアクションの魔術を使っていく。


 配布された魔石はギリギリだったが、七十匹ほどを相手にして、周辺の掃除は完了した。魔術の連続使用にふらつく頭を振り、嫌な汗をぬぐうが、休んでいる場合ではない。


 魔術を感知して遠方からも増援がこちらに向かってきているだろう。私が倒した分だって、補充されてそれに合流してくる。そろそろ他も片付いて、獣のいない空白地帯ができたころだろう、撤退の合図はまだかと振り返る。


 私の支援につけられた四人が、どこにもいなかった。



「そんな、なんで……」


 周囲には岩石だけがあり、自分一人だけが取り残されている。

 私の撤退を援護するはずの四人は、すでに階段を目指して移動していた。


 もつれそうになる足を必死に動かすが、地形が悪く進めない。階段まであと八十メートルもないのに、増援の獣が出現して、魔術の残滓(ざんし)をただよわせた私ばかりを狙ってくる。数は増え続けて、囲まれつつあった。


 さらに魔術を使用してなんとか迎撃するが、どうしようもない悪循環になっていた。

 配布された魔石は使い切って、もはや自前の魔石にも手を付けていた。


「まって、おいていかないで!」


 転んだ私を見て、好機と見たジェヴォーダンの獣が、飛び込んでくる。

 魔石はまだあったが、魔術の負荷(ふか)に体と心が先に限界を迎えた。


 ああ、私はここで死ぬのか。


 死を前にした覚悟もなく、ただ恐慌の中に残った理性がそう判断した。

 こんな時のために、帰還スクロールが欲しかった。ただでさえ高額なのにパーティーが優先されるために、ソロでの入手が難しい。国が管理して数をしぼっているのだから嫌になる。


 すぐ目の前に獣がいて、息づかいさえも感じられそうな距離までつめられた。開いた口からは舌と鋭利な牙が見えて、あれに噛まれたらどうなるか、容易に想像できる。


 力が抜けて崩れ落ちた体で、後ずさりをして逃れようとする。諦観(ていかん)の中で精神が限界を迎え、失神でもするかという瀬戸際(せとぎわ)になって、それは訪れた。


 それは氷雪の嵐だった。


 一瞬の冷気とともにすべてが凍りついたが、不思議と私に被害はない。時が止まったように目の前で活動を停止した獣は、やがて魔石に変わった。氷は夢のようにすぐに溶けて、元の岩石地帯に戻った。



「逃げましょう、獣が追いかけてくる前に」


「あなたはさっきの……」


 へたり込んだまま後ろを振り向くと、引き返して現れたらしい少年がいた。

 その手に持つのは、氷のような短剣だった。


 少年はポケットから腕輪型デバイスを取り出して、アイテムボックスを起動する。開いたポータルから大容量の倉庫が開かれるが、入口にまとめられた袋を五つほど手に取って、すぐ閉じた。


「何をするのですか?」


「大量の魔石を破壊して、獣を誘導します」


 私が混乱しつつ立ち上がる間に、少年は導火線に着火すると、ぎっしりつまった袋の一つを遠方に投げ捨てた。家が建つくらいのひと財産であろうそれを捨てても、こともなげだ。万が一のために用意してきたそうだが、実際に使うことになるとは思わなかったと少年はのんきに語った。


 腰が抜けた私を引っ張るように、足場を教えるように先を行く。その表情に緊張はなく、自然体に見えた。岩石地帯を、ふるえる足で滑らないように移動する。どうにか次の増援が追いつく前に、次の階段へと撤退できた。



◆◆◆



「ありがとうございます、あなたは命の恩人ですね」


 なんとか階段までたどり着き、お礼を言う。心からの安堵(あんど)があった。少年の私と同等の小さな体が、大きく見えるほどだった。


「お名前をお聞きしてもよろしいですか? 私はアイリス・シャルレーヌ・ラズエストでございます。リシーと呼んでくださいませ」


「オリバーと申します。同じ探索者ですから、貸し借りはお気になさらないでください。ラズエスト様」


「リシーと呼んでくださいませ」


「しかし」


「リシーと、呼んでくださいませ」


 貴族をファーストネームどころか、愛称で呼ぶというのはあまりないことだ。しかし弱小貴族の生まれで爵位もなく、探索者まで落ちた自分が、いちいちこだわることでもない。探索者は情報のやり取りを簡略化するために、敬称なんてつけていられない。


「ところでオリバーはスタンリーに頼まれてきたのですか?」


「あの人ならさっさと先に逃げていましたよ、リシー」


 つまり彼のつけた撤退支援の要員がいなくなったのは、彼の()(がね)だった。私をだましておとりにするのが、本当の予備プランだったということか。


「なぜそのようなことを……」


「あなたは単独で行動していて、大きな派閥に所属していませんから、排除しても文句をつけられません」


「ここでも、政治からは逃れられないのですね」


「警戒心が見えすいた人は、繋がりが少ないからだましやすいのですよ」


 迷宮が犯罪者を排除すると言っても、基準を探ってギリギリを利用する人はいる。つまり抜け穴や許容範囲があったということだ。


「人を殺そうとするなんて、なんてひどい人間なんでしょうか! 星の神様もお怒りになりますわ!」


「彼も何事もなく上手くいくならそれでよしという感じで、明確な殺意があったわけではないようです」


未必(みひつ)の故意でも有罪です! こんなことが許されるはずがありません!」


「はい、すみません」


 少年は私の剣幕(けんまく)に困り顔だった。しかし、スタンリーは私が死ぬかもしれないと承知の上で、情報を制限していたのだ。到底(とうてい)許せるものではない。命が助かった安堵とふるえが治まると、猛烈(もうれつ)な怒りがこみあげてきた。


「でもだれかに頼まれたわけでもないなら、オリバーはどうして私を助けてくださったのですか?」


「単純に救助が可能だった、というだけのことです」


 少しだけ、彼の顔色が悪くなった気がした。彼の動機を聞きたかったが、どうにも踏み込みづらいことのようだ。


 しかし、私を害する意図はないはずだ。あの状況で引き返して私を助けるのは、打算よりもリスクと損が勝るはずだった。命の危機で心が馬鹿になっていると自覚はあったが、人の優しさを信じたいと思った。


 異界品らしき短剣やアイテムボックスを所持するオリバーなら、同行者にも金にも困らないはずだ。それでも一人でいたのは、トラブルを嫌ってのことだろう。



「オリバー、これからどうすればいいかしら? 恩返しをしたいですが、何か望むものはありますか? こういう場合の金銭の相場も知らなくて、それに使った魔石も多かったでしょう」


「見返りほしさのことではありません。それよりも、ここから二人で生きて帰ることを考えましょう。そして、落とし前をつけにいかなくては」


 そういえばここは階段で、まだ危機は終わっていなかった。

 むしろここからが始まりなので、事後処理をしている場合ではない。


 ここから生きて帰るには、エレベーターまでたどり着かなくてはいけない。上下のどちらの階も魔物が群れで出てくる危険地帯で、二人で攻略するような場所ではない。


 これからを思って、私はぎゅっとにぎりこぶしを作って気合を入れた。



◆◆◆



「ああ、二人とも、生きててよかった! 心配していたよ!」


 感動で打ちふるえるような、安っぽい演技を見せるスタンリー。

 やはり予想通り、エントランスホールで待ちかまえていた。


 万が一のケースで、捨て駒が生存していた可能性を想定していたらしい。周辺には彼の仲間たちがいて、そちらは無表情なので、余計にシュールさが際立(きわだ)った。


「私を殺そうとしておいて、よくもまぁ白々(しらじら)しいことが言えますわね。感心してしまいます」


「下手な演技はやめましょう、スタンリー。あなたはこの話を広められたくないが、闘争まではしたくないと思っているはずだ」


 オリバーが冷えた目線で見やるが、彼に傷ついた様子はなさそうだ。皮肉気に笑ってから、じっくりと細長く息を吐いた。


「ああ、分かってしまうかい。これくらいなら迷宮の妖精は怒らないだろうけど、信用が落ちかねないから心配なんだ。それで口止めの慰謝料は金銭でいいだろうか?」


 これも予想していた通りの展開だった。彼らは強硬(きょうこう)手段に出るほど(おろ)かではなく、妥協点を探りに来たようだった。


 彼らに余裕があるのは、仮にこちらが殺人未遂で騒いだとしても、言い逃れができると思っているのだろう。連絡系統の不備があっただけと言い張れば、取り締まり側も強く出られない程度の方法だった。



「アイリス・シャルレーヌ・ラズエスト、君にも怒りはあるだろう。それでも恨みつらみは忘れてほしい。分かってくれるかい?」


 にこやかな笑みを見せる彼だが、目の奥は笑っていなかった。

 この示談(じだん)を断れば、血みどろの殺し合いもあり得る。


 しかし、そもそも彼の融和(ゆうわ)姿勢が嘘だった場合は、こちらが不意を突かれることになる。彼を信用しないなら、行きつくところまで争って、後顧(こうこ)(うれ)いを排除するのも十分にありな選択肢だ。


 私は少し悩んだが、迷いを振り払って、決めていた答えを返した。



◆◆◆



「なんだか後味の悪い決着ですわね」


「争う方がお互いに面倒ですから、心配はいらないでしょう」


「二度と関わりたくない人でしたわ」


「彼は啖呵(たんか)を切ったあなたのことを、思いのほか気に入ったようでした。探索者なら避けられない(えん)もありますから、覚悟も必要ですよ、リシー」


 オリバーが変なことを言うものだから、思わず顔をしかめてしまう。あのような紳士面した外道は、まるで私の父のようで、私の一番嫌いなものだ。


 スタンリーを糾弾(きゅうだん)することはできなかった。

 彼のうさん臭い笑みにイライラしたが、結局は慰謝料をもらって収めることになった。交渉は難航(なんこう)したが、法廷(ほうてい)で争いあうには()が悪かったので、最終的には合意した。


 周囲の信用は、おそらく私よりもスタンリーの方が勝る。もし悪評をバラまいたとしても、彼に被害者面されたら、私たちが悪者になりかねない。わかる人にはどちらが悪いかわかるだろうけれども、争いに好き好んで参戦したい人は多くないだろう。



「オリバー、今回はありがとう。魔石も大量に使わせてしまったし、埋め合わせは期待してちょうだい」


「リシーはなかなか男前な人ですね」


「庶民としての教育も淑女(しゅくじょ)としての教育も、一通り受けておりますが、どういうことかしら?」


「口下手ですみません、好感が持てる人物だということです」


 初対面の男のはずなのに、相手が少年だからか妙に話しやすく、気づけば言葉もかなり気安くなっていた。彼は私を色目で見たりしないし、恩着せがましくもなかった。生意気で性格の悪い弟とは大違いだ。


 迷宮での立ち回りも優れていて、相性も良かった。

 私としては、彼とパーティーを組みたくなっていた。


 私は仲間を欲していたわけで、恩人であることを(のぞ)いたとしても、異界品と大容量のアイテムボックスを持つ彼は好物件だった。魔術士としての私は、絶対に役に立ってみせるという自負もあった。



「オリバーは最近開放された第四階層には行かないの?」


「第四階層は広大で移動も大変と聞きますから、情報が出そろっていない今は様子見したいところです」


 安全重視なくせにソロなのだから、なんともマイペースな少年だ。どう誘えば、一緒に迷宮の探索をしてもらえるだろうか。仲間になれないとしても、御恩が返せるまでは交流を続けたいと思うが、迷惑になるだろうか。


「私は花の町に少し興味がありますけれど、一人で行くには寂しいですわね」


「それでは、もしよろしければ一緒に探索してみませんか?」


 二人で迷宮から外に出ると、冬の凍てつくような風が私たちに吹いた。

 それでも私の心は高揚したままだったので、その冷たさが優しいものに感じられた。

「最近は足きり階で揉め事が多いな」


「人間らしいですね」

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