27 迷い家と彼女の名前
俺と白天使は、第六階層に隠された紅葉の日本屋敷にいた。
俺はひとり、室内から障子をそっと開けて、縁側に出る。
大きな池が縁側の下まで広がっていて、その水面には紅葉が散らばっている。水は流れもないのに臭いがなく、池の底の砂利がよく見えるほどに透明だった。
水に浸かったままの柱など対策がなければ腐りそうだが、そのような心配もない。
それもそうで、ここに生命も有機物もない。全ては見せかけだけの夢幻の存在だ。
「うーん、なんとも非現実的な秋の風景だ」
それは夢の中の世界のような、この世あらざる錦秋の神域だった。
広々とした池の先を見やると、秋の風物詩である赤や黄色の広葉樹が一面に植わっている。その落ち葉は地面さえもあざやかに染め上げて、見る者の目を楽しませる。
ときおり見える常緑植物や、茶色の木の幹だけが植物らしさを残していて、それがある種の物寂しさも感じさせた。
「部屋の外はいい感じだな」
生きた植物を用意するのは、ダンジョンに干渉する俺にも至難のわざだった。造花を作ることはできるが、それではリアルさに欠ける。
しかし、NPCを作ったように、第一階層の光苔のように、それっぽいオブジェクトを作るだけならできる。コストをかけられないためにもろくて、多少の力で壊れて大気に消えてしまうし、なんの匂いもないが、見栄えだけは本物も顔負けだった。
縁側を十分に堪能したところで、台所に立ち寄って煎茶とお茶請けを用意する。早くしないと白天使がじれてしまう。
「言われたとおりにお茶を用意したぞ。お茶請けは紫芋の八つ橋にした」
「はーい、甘味まで用意するなんて、気が利くじゃないですか!」
畳の和室に戻って、大きな一枚板のローテーブルにおぼんを置く。
近づいてきた白天使は、白基調に紅葉をあしらった着物をしている。動きにくそうなので白天使の好みではなさそうだなと思いつつ、ねぎらいがてら煎茶を手渡す。
わざわざ湯を沸かして適温まで下げて、茶葉を急須で蒸らしたので、それなりに手間はかかっている。
俺の能力で美味しい煎茶を再現すればいいのに、白天使は味と香りが微妙に違う方がそれらしくて好き、という面倒な性格をしていた。
「なぁ、白天使。少し聞きたいことがあるんだが、勝手にペットを連れ込んだりしてないよな? 怒らないから正直に言ってくれ」
「それって絶対に怒る人のセリフじゃないですか、そんなことしてませんよ」
「じゃあ、なんか変なのがこの家に住み着いてないか?」
ここしばらく、台所の食器が勝手に片付いていたり、物が整頓されて配置が変わったりしている。そして置いてあった食料のうち、果物や蜂蜜が少量減ってたりするのだ。
最初は気のせいか、あるいは白天使のしわざと思ったのだが、そうでもなさそうだと気が付いた。白天使なら盗み食いなんてせずに、どうどうとしているはずだ。
「ああ、それなら家事妖精の一種と言われるシルキーだと思います。近しいテーマに設定したから侵略されてますよマスター」
「もしかしてこの家は捨てた方がいいのか?」
「ちらっと見たかぎりは無害な本質なので、妖精の中では益虫ですよ。無視しておけば家事をするだけで、害はないです」
「幻想生物を虫けらあつかいはひどいな」
白天使は前から把握していたらしい。これまで話題にさえ出さなかったあたり、あいもかわらず妖精嫌いな白天使である。ここは迷い家として作ったはずだったが、座敷わらしの家になったようだ。
幼い子どもは神を宿すという信仰は世界各地にあり、そのうち一つの類似例に幸運を呼ぶ座敷わらしというものがあった。迷い家と同様に、座敷わらしも遠野物語に収録された話だったろうか。
俺としては外の妖精迷宮のイメージに乗っかって、偽装に妖精っぽいイメージを階層に織り交ぜただけだ。さすがに本物の妖精が続々とやってくるとは思っていなかった。
俺の監視システムには反応しないが、どうやって入り込んで隠れているのだろうか。勝手にギミックをいじられる懸念もあるが、ちょうどいい目くらましにはなるかもしれない。
「なにしているんですか?」
「お祀りしたらご利益でもあるかなと思って、お供えを準備してる」
「関わってはダメですよと忠告してるのに、マスターときたらもぅ……。それなら神棚も低めの位置に作り直します? 専用の食器もほしいですね」
「そういえばそうだな。俺はお供え用意してるから、設計はそっちに頼んでいいか?」
湯呑を片手に、ふと思いついたので実行する。白天使は人形サイズの家具や食器はかわいいですねと、趣味に暴走していた。ファンシーなドールハウスのような神棚になったが大丈夫だろうか。
とりあえず好みがわからないので、ミルクとビスケット、煎茶と八つ橋、紅茶とモンブランの三セットを小さいサイズで用意して、作り直した神棚にお供えした。
三分ほどじっと様子を見ていたが、反応がないので少し目を離す。
数秒も目を離していなかったはずだが、いつの間にか全部なくなっていた。
「姿は見えないな」
「妖精は恥ずかしがりなものですよ。彼らは形無き者で、誰かに認識されると在り方の影響を受けるので、隠れるのです」
白天使は妖精に興味がないようで、開けた障子から庭を見ながら、ぬるくなったお茶を飲んでいた。
白基調の紅葉モチーフの着物を着ていたが、わずらわしくなったのか、帯を少しゆるめてだらりと畳に寝そべる。そのまま時代劇に出てくる脇息に体重を預けて、紫芋の八つ橋に手をつけた。
「つまり俺が妖精をおばけだと思えば、おばけになるのか」
「あんまり変な姿にするのは趣味が悪いですよ」
家事妖精シルキーの好みがわからなかったのだが、お供えを全部持っていったということは、何でもいいらしい。妖精専用の部屋か、巨大ドールハウスでも用意した方がいいのだろうか。
「ところで白天使は、クリアされた第三階層はどうだったと思う?」
「倒される魔物の数は右肩上がりでしたし、つたないところはありつつも成功したと思います」
「そうか、成功だったか」
俺はほっと一息ついていた。ダンジョンに力が溜まり続ければ、外まで異界法則が浸食してしまう。このダンジョンは力が溜まる一方だったが、竜の討伐で力の増幅も控えめになった。
人々にはこの調子で頑張ってほしいと思うが、流石に弱体化ギミックもない竜を倒すのは難しいので、ぽんぽん倒されることはないだろう。
「あまりに順調すぎるので、このままだと戦争拡大もありえるかもしれないですね」
「そんなに隣国との仲は悪かったか?」
「人間国家同士はともかく、異人種との殺し合いは根深いはずです」
「たしか人間を奴隷にしていた支配種族たちの総称だっけ」
、
人類の基本種族は様々あれど、繁殖だけが取り柄の人間こそが、被差別種族だった。ただしその力関係は、地上のマナ減衰と、魔石を使う魔術の発達とともに逆転した。
つい千年ほど前までは、人間は奴隷として使い捨てられるばかりだった。しかし今では人たるものこそが支配者で、名を奪われた異人種は存在さえも許されない邪悪になった。
「そもそも異人種の傲慢さがまねいたことです。あまり考えすぎない方がいいと思います」
「そう言われてもな」
正直に言えば、俺は異人種と呼ばれる人々が気の毒だった。しかし俺の理性は、部外者が関わってもろくなことがないと言った。このダンジョンが何もかもを塗りかえてしまうことの罪悪感は、結局俺が何をしようが払拭できないのだ。
「マスターが何かを助けたいと思うなら、別の種族にした方がいいですよ」
「というと、妖精か?」
「妖精は異界を移動する存在ですから、人類が千年頑張ってもどうこうできる相手じゃないです。思考回路も特殊なので、できるかぎり関わらないことをお勧めします」
白天使は心底嫌そうな顔で妖精を語る。同族嫌悪か? とつっこめばきゃんきゃんわめきそうだ。そんな会話をしているうちに、俺はこの少女の正体が無性に気になっていた。
「なぁ、白天使って何者なんだ?」
「おや、マスターも他人に興味あったんですね」
たしかに俺は他人をどうでもいいと思っていたはずだ。最初は白天使がどこかへ消えたとしても動じなかっただろうが、交流が深まった今ならあれこれ考えてしまいそうだ。この妖精とも、人間とも違う隣人を、俺はそこそこ気に入ってしまったのかもしれない。
「無理には聞かないが、気になってはいるよ」
白天使はハトが豆鉄砲を食ったような顔をしていた。姿勢を正して、八つ橋を食べたあとの指をぺろりとなめて、冷めた煎茶を飲みほすと口を開いた。
「私の名前はミケリア・シムラクルム・リリ・エル・ルクスーナ。照らす極光の氏族、朧の末裔です」
その紫の夜空を秘めたような目でこちらを見据えて、彼女は名を告げた。
右手で白髪をなびかせて、ポーズまで決めている。どうにもふざけたやつだ。
「お前、やっぱりどこかの宗教の信仰対象だったりするのか?」
「ええまぁ、そうなります。マスターも私を神としてあがめて、これまでの無礼な態度を謝罪してはどうですか?」
「シルキーの方がまだご利益ありそうだ」
「あー! 言ってはいけないことを言いましたね! この!」
神罰と言いながら俺を叩こうとする白天使を回避しながら、思考を深める。
どうせ、そんなことだろうと思っていた。ダンジョンをいくら監視しても、白天使に似通ったやつは一人もいなかった。こいつは世界でも特別な存在だったのだ。
「信者を放置して、こんなところにいていいのか?」
「実のところ、永い眠りから覚めたら勝手に神にされていたので、異界を通って夜逃げしてきました。詳細はトップシークレットですよ」
「お前いったい何歳なんだ?」
「不老とはいえ寝てましたし、主観年齢は見た目通りなんですから、年寄りあつかいしないでくださいよ」
こいつまだ十代だったのか、おばあちゃんだとばかり思っていた。口に出すとまた怒られるのでこっそり心の中でつぶやいた。
「長い付き合いですし、秘密とはいいましたが、少しは私の目的も答えましょう」
「ああ」
思わず生つばを飲み込んだ俺だったが、白天使は秘密をしゃべるというにはあっけらかんとしていた。
「私は、人間になりたいのです」
それは少し意外な返答だった、同時に深い納得もあった。白天使は自由に見えて、どうにも何かに囚われているような、矛盾したところがあった。
「俺は人間じゃなくなりたい、と思っていた気がするな」
とっさに、そんな言葉が口を突いて出た。きっと人間じゃなければなんだってよかった。もうかつての記憶は遠く思い出せないが、そういう性質だったから俺はここにいるのだと思っている。
白天使への警戒がいつしか解けたのは、俺自身にこうなる要因があったのではないかと思い至ったからだ。
「合うようで合わないですね、私たちは」
「別の知的生命体なのに、何もかも考え方が一致する方がこわいだろ」
何がおかしかったのか白天使はけたけたと笑って、これ以上の情報は好感度を稼いでからですよと言った。たとえどれだけ好感度を上げたところで、秘密主義な白天使がすべてを話すことはない気がする。
「ところで、お前を何と呼べばいいんだ?」
「白天使でいいですよ、もう慣れましたしね」
白天使がふわりと微笑む、それは綺羅星のようなかがやきだった。
ほだされたわけではないが、なぜかそれが美しく、懐かしいものに思えた。
「しかしあれこれ聞いてきたりして、何なんですか? もしかしてマスター、私のこと好きになっちゃったんですか? 申し訳ないですけど、私にとってマスターはそういう対象ではなくてですね──」
「ぶふっ、それはありえないから心配しなくていいぞ」
あまりのおかしさに思わず吹き出してしまい、にやにやとからかってきた少女の言葉をぶった切る。それはそれで腹が立つと、ミケリア・シムラクルム・リリ・エル・ルクスーナ、あらため白天使は俺に近づくとボカボカと叩くのだった。
俺たちの喧嘩にお構いなしで、家事妖精がそっと動いた。
空になった皿と湯呑が、風にさらわれるように台所に消えていく。
縁側から見える池に、ひらりと一枚の紅葉が落ちた。
活動報告にあとがきを追加しました。内容は初期プロットや今後の予定などです。




